52 アレクとアリス
52 アレクとアリス
アリスとアレクは、窓辺に並んで立っていた。
窓の外では、皇国の騎士たちが慌ただしく行き交っている。連合軍を追う部隊から、次々と報告が届いているのだ。
アリスはその様子をしばらく眺めていたが、やがて不思議そうに首を傾げた。
「なんだか、嘘みたいですね」
「何がだい?」
「攻めてきているのは連合軍だと、はっきり伝えましたよね。王国の人たちには」
「ああ。間違いなく伝えた」
アレクははっきりと答えた。
小国群から集められた連合軍が国境を越え、王都へ向かっている。その目的が援軍ではなく、弱ったリーブル王国を奪うことにあるとも警告した。
だが、王国はそれを信じなかった。
それどころか、王都へやってきた連合軍を歓迎し、食事と宿を与えたのだ。
「皇国と争って弱った王国を叩こうとした。それは間違いないと思う」
アレクは机の上に広げられた地図へ視線を落とした。
「連合軍は、勝った側につくつもりだったんだろう。王国が勝っていれば援軍を名乗り、皇国が勝っていれば、王国を攻めるつもりだった。どちらに転んでも、自分たちは得をするつもりだったんだ」
「策略としては悪くないですね。王国の対応が予想外すぎますね」
「まったくだ。なんと言うか、戦略で学んだことが役に立たなかった。彼らが一か所にまとまってくれていて助かった。これも教訓になるな」
スター騎士団は、王都を離れた連合軍を密かに追跡している。
「じきに、それぞれの国の司令官と話ができる。そこで、本当のところが分かるだろう。誰が何を考え、どんな約束を交わして王都へ来たのかもね」
「素直に話すでしょうか?」
「話してもらうさ」
アレクは穏やかに笑った。
その微笑みは優しいものだったが、アリスは追い詰められた司令官たちに少しだけ同情した。
優しい微笑みと優しさは別物だ。
アリスは地図に目を向けながら、考え込むように指先を顎へ添えた。
「王国が抵抗しなかったのは、王都に残った民もいたからでしょうか。やはり、王都を戦場にするのは嫌だったのでしょうか?」
「いや、それは――」
アレクは思わず否定しかけた。
王国の上層部が、そこまで深く考えていたとは思えない。
アリスへの反感から彼女の警告を無視し、皇国に対抗できる軍勢が来たと都合よく思い込んだ。あるいは、メアリーと親しくしていた小国群の王女や令嬢たちを見て、相手が自分たちを裏切るはずがないと信じた。
おそらく、その程度だったのだろう。
だが、アレクは口にしかけた言葉をのみ込んだ。
「……そうかもしれないね」
すべてを愚かさだけで片づけるのも違うのかもしれない。王都には逃げなかった者も、逃げられなかった者もいた。剣を交えれば、必ず民が巻き込まれる。
彼らがそこを考慮した可能性も少しはあると思いたい。
「でも、今回のことで改めて学んだよ。戦況を読むのは難しい。いや、戦況だけではないな。人が何を信じ、どう動くのかを読むのは、本当に難しい」
「アレク様でも、そう思うのですか?」
「もちろんだよ。わたしは何でも分かるわけではない」
「何でもお分かりになるような顔をしていらっしゃいますけれど」
「それは生まれつきだ」
アレクが澄ました顔で答えると、アリスは小さく吹き出した。
「それと――」
アレクは笑っているアリスを見つめた。
「君が優秀だということも、改めて認識した」
国境付近の民を避難させ、王都へ向かう道を開けたこと。
連合軍を無理に阻まず、皇国軍と正面から戦わせることもせず、王都へ誘い込んだこと。
王都に残る者たちにも、何度も危険を知らせた。避難する時間も、逃げる道も用意した。
できるだけ民を傷つけず、敵だけを孤立させる。
言葉にすれば簡単だが、実行するには勇気が必要だった。もし一つでも読み違えれば、責任はすべてアリスに向けられていただろう。
「そうですか!」
アリスはぱっと顔を明るくした。
「拾い物が成長しましたか?」
その言葉に、アレクの胸が詰まった。
以前のアリスは、自分のことを道端から拾われた石ころのように言っていた。
家族から離れ、身分も居場所も失い、それでも笑おうとしていた。守らなければ壊れてしまいそうだった少女は、今では多くの者を守り、自分の判断で国を動かしている。
(成長したよ。本当に、驚くほど成長した)
そう声にしたかった。
よく頑張ったと。
君を誇りに思うと。
けれど、思いが胸の奥から一度にあふれ、喉を塞いでしまった。何かを言おうとしても、声にならない。
黙り込んだアレクを見て、アリスは悪戯っぽく笑った。
「どれくらい成長したのか、お見せしましょう」
アリスはアレクの両肩に手を置くと、そのままつま先立ちになった。
「これくらいです」
「……それは、背丈の話かな?」
「成長したことに変わりはありません」
得意そうに胸を張っているものの、つま先は少し震えている。
アレクが見下ろすと、アリスは顔を上げた。近い距離から見つめる瞳は楽しそうに輝き、唇には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「アリス」
「はい?」
アレクは、その細い腰へ腕を回した。
不安定だったアリスの体が、支えを得てわずかに傾く。笑っていた瞳が驚きに見開かれた。
アレクは逃げる時間を与えるように、ゆっくりと顔を近づけた。
アリスは逃げなかった。
ただ、笑みだけが消え、何が起きるのかを待つように目を閉じた。
アレクは、その唇に自分の唇を重ねた。
触れた瞬間、アリスの体が強張った。
アレクは腰を抱く腕に力を込め、もう片方の手で背中をゆっくりと撫でた。驚かせてしまったことを詫びるように、何度も優しく撫でる。
やがて、肩に置かれていたアリスの手から力が抜けた。触れるだけだった口づけが、互いのぬくもりを確かめるように少しだけ深くなる。
どれほどそうしていたのか。
唇が離れたとき、アリスは顔を上げることができなかった。逃げるようにアレクの肩へ額を押しつけ、そのまま動かなくなる。
「……アリス?」
「今は、顔を見ないでください」
「なぜ?」
「分かっているでしょう」
くぐもった声が返ってきた。
アレクは笑いをこらえながら、アリスを抱きしめた。腕の中にいる彼女は、もう拾ったばかりの小さな少女ではない。
それでも、かけがえのない存在であることだけは、あの頃から何も変わらなかった。
アレクはアリスの耳元へ口を寄せた。
「ああ。わたしは、とんでもない宝物を拾ったよ」
囁かれた途端、アリスの耳まで赤く染まった。
「拾い物から、宝物に昇格したのですね」
「ずっと前から宝物だった。ただ、君に伝えるのが遅くなっただけだ」
アリスはしばらく黙っていた。
やがてアレクの服をきゅっとつかみ、肩に顔を埋めたまま、小さな声で答えた。
「それなら、もう離さないでくださいね」
「もちろんだ」
アレクは迷うことなく答え、宝物を確かめるように、腕の中のアリスをもう一度強く抱きしめた。
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