49 王都の外へ
49 王都の外へ
王都から、一人、また一人と人が出ていった。
大きな荷車に家財道具を積んだ家族もいれば、小さな鞄だけを抱え、徒歩で門をくぐる者もいた。
誰も騒がない。
大声で危険を訴える者も、逃げろと呼びかける者もいなかった。
ただ、気づけば昨日まで見かけた顔が消えている。
そんな日々が続いたある朝、一人の身なりのよい若者が馬に乗り、王都の門を出た。
チャールズ・メイナード。
アリスの兄である。
街道を進みながら、チャールズは何度も同じ疑問を頭のなかで繰り返していた。
(敵とは、いったい誰のことだ?)
アリスは、小国群の軍勢が攻めてくると言った。
戦いになれば王都を戦場にすると言い、その前に民を避難させるよう提案した。
実際、小国群の兵士たちは国境を越え、王都まで進軍してきた。
それなのに、王都では彼らを歓迎している。
メアリー王女がお茶会で知り合った王女や令嬢の国だからといって、軍勢を率いて国境を越えたという事実まで消えるわけではない。
(なぜ、陛下も宰相も彼らを王都へ入れた?)
アリスの提案に従うのが嫌だったからではないのか。
アリスの言うとおりに避難を進め、王都を戦場にするなど認めたくなかった。ただ、それだけではないのか。
だとすれば、王都で戦いが起きていない理由は?
「歓迎したから……なのか?」
思わず声に出すと、その言葉は妙に空々しく響いた。
戦わずに済んだのは喜ぶべきことである。
だが、本当にそれで終わったのだろうか。
小国群の軍勢は、王都に滞在している。兵の数は? その後、援軍も到着して数を増している。その彼らを王宮は客人としてもてなし、食事と寝床を与えていた。
何かがおかしい。
チャールズは王都を出る前に父を訪ねた。
「父上。少しお話ししたいことがあります」
「アリスのことか?」
メイナード侯爵は、待ちかねていたように顔を上げた。
「あの子は、いじけているだけなのだ。わたしに愛情がないと思い込んでいる。だから、あんなふうに意地を張って……」
「父上。いまはアリスの気持ちについて話したいのではありません。小国群の軍勢についてです」
「アリスが戻ってくれば、わがままは全部聞いてやるつもりだ」
侯爵はチャールズの言葉を聞いていなかった。
「屋敷でゆっくり暮らせばいい。本が好きだったから、書庫の本も増やした。欲しいものがあるなら何でも買ってやる。そうすれば、いつか機嫌も直るだろう」
「父上……」
「わたしは、アリスを愛していた。だが、姉上も妻も、わたしを騙していたのだ。二人とも、もういらない」
侯爵はそこで初めてチャールズを見た。
「チャールズ。お前はどうなのだ?」
「どうとは?」
「お前もわたしを裏切るのか?」
その目に浮かんでいたのは、息子の意見を聞こうとする父親の色ではなかった。
自分に同意するのか。
自分の側に立つのか。
それだけを確かめようとしている。
チャールズは、小国群の軍勢について話しても無駄だと悟った。
「……いいえ。失礼いたしました」
結局、危惧していたことを何一つ伝えられないまま、父の部屋を辞した。
次にチャールズが訪ねたのは、王国騎士団長だった。
「王都の外の状況を、確認したほうがよいのではありませんか?」
「外の状況だと?」
「小国群の軍勢は、王都までほとんど妨害を受けずに進んできました。各地の領主や騎士団が、いま何をしているのか確かめる必要があると思います」
騎士団長は、面倒そうに眉を寄せた。
「王宮の守りだけで手いっぱいだ。外に回せる兵などいない」
「ですが、王都の外から入ってくる情報が少なすぎます」
「敵はすでに王都の中にいるのだぞ。いま、王宮を手薄にしてどうする」
「それなら、せめて偵察を」
「それどころではない」
一言で退けられた。
王宮を守るために王都の外を見る余裕がない。
だが、外の状況がわからないまま、本当に王宮を守れるのだろうか。
チャールズの不安は消えるどころか、ますます大きくなった。
そこで宰相に面会を求め、自ら偵察に出たいと申し出た。
「一人で行くというのか?」
「大勢で動けば目立ちます。王都周辺の様子を見るだけなら、わたし一人のほうが動きやすいでしょう」
宰相は疲れた顔でしばらく考えたあと、うなずいた。
「無理はするな。異変があれば、すぐに戻れ」
「承知いたしました」
こうしてチャールズは、王都を出た。
門の外には、彼が想像していたような戦争の光景はなかった。
空は青く、風は穏やかだった。
街道沿いに広がる畑では、実りを迎えた小麦の穂が一斉に揺れている。農民たちはいつもどおり畑に出て、鍬を振るっていた。
少し離れた町へ入ると、商店も営業していた。
軒先には野菜や果物が並び、焼きたてのパンの香りが漂っている。
チャールズは馬を休ませるため、小さな食堂へ立ち寄った。
「王都から来たのかい?」
水を運んできた店主が尋ねた。
「ああ。こちらに、王都から避難してきた者はいるだろうか」
「いるよ。もっと南へ向かった人も多いけどね」
店主は、声を潜めながら笑った。
「みんな大変そうだったけど、思ったより明るかったよ。子どもなんか、初めての遠出だって喜んでいた。大人も『こんな機会でもなければ旅なんてできない』ってね」
「旅……」
「大きな声じゃ言えないけど、戦争も悪いことばかりじゃないな、なんて冗談を言う人までいたよ。もちろん、本当に戦いが起きていないから言えることだけどさ」
王都の緊張が嘘のようだった。
人々は避難を続けているが、混乱してはいない。食料もあり、泊まる場所も用意されているらしい。
それどころか、店の隅では王都から来たらしい家族が、次はどの町へ向かおうかと楽しそうに相談していた。
ただし、チャールズには気になることがあった。
町のなかに、妙に姿勢のよい男たちがいる。
旅人の格好をしていても、周囲へ向ける視線に隙がない。日に焼けた腕には鍛えた筋肉がつき、腰に剣がないにもかかわらず、騎士か兵士のように見えた。
一人ではない。
食堂にも、道具屋の前にも、町の出入り口にもいる。
(何者だ?)
尋ねてみたいとは思った。
しかし、彼らのほうもチャールズの存在に気づき、さりげなく視線を向けている。
チャールズは何も聞けなかった。
追及する勇気がなかったのである。
「行けるところまで、行ってみよう」
自分に言い聞かせ、さらに南へ馬を進めた。
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