45 アリスの戦略
45 アリスの戦略
「小国群の軍勢が、国境を越えました」
特務部へ駆け込んできた騎士が、荒い息を整えながら報告した。
「それぞれの国から出された兵が合流し、一つの軍となって王都を目指しております。その数は、少なく見積もっても一万を超えるかと」
執務室に緊張が走った。
小国群は、互いに領地を奪い合うことはあっても、外敵に対しては結束する。今回は、その力をリーブル王国へ向けてきたのだ。
だが、何故、そのような行動に走ったのだろうか?
理由はなんであろうと軍をつれて国境を越えたというのは、敵対行為だ。
しかも、彼らは何度も王都を訪れている。
王女や令嬢がお茶会へ招かれるたび、大勢の護衛が同行してきた。彼らは王都までの道や、橋の位置、川の深さ、街道沿いの町や村を見ているはずだった。
おそらく、ずっと前から調べていたのだ。
「街道の途中で迎え撃ちますか?」
騎士の問いに、アリスはすぐには答えなかった。
地図を広げ、国境から王都までの道を指でたどる。
この一帯には、豊かな農地が広がっている。麦は間もなく刈り入れの時期を迎え、畑では多くの野菜が育っていた。
ここで両軍がぶつかれば、農地は踏み荒らされる。村や町も戦いに巻き込まれるだろう。
兵だけでなく、大勢の民が犠牲になる。
「王都まで来てもらいましょう」
アリスが言うと、室内にいた者たちが一斉に顔を上げた。
「王都を戦場になさるのですか?」
「ええ」
アリスは王都を囲む城壁を指した。
「王都には高い城壁があります。城門を閉ざせば、少ない兵でも守れます。敵が街道を外れないよう、騎士団には一定の距離を保って監視させます。途中の橋や農地で戦ってはいけません」
「しかし、王都には大勢の民が暮らしております」
「だから、先に避難してもらいます」
王都の周囲には、王家が直接治める広大な領地がある。その中でも敵の進路から外れた北部と東部には、農村や離宮、倉庫が点在していた。
「避難先は、敵の進路から十分に離れた場所に限ります。王領だけで受け入れきれなければ、近隣の領主にも協力を求めましょう。避難する民には食料を持たせ、道中の警護もつけます」
言うのは簡単だ。
何万人もの人間を、一度に王都から動かさなければならない。
アリスは特務部の者たちを集めた。
「王都を区画に分けます。区画ごとに人数を調べ、避難する順番と行き先を決めてください。老人や病人、幼い子どものいる家を優先します」
「荷車が足りません」
「商人の馬車を借り上げます。王宮や貴族家の馬車も使います」
「食料はどうしますか?」
「王都の備蓄を確認してください。炊き出しに使った道具も持ち出します。避難先で温かいものを作れるようにしましょう」
以前、ピクニックと呼んでいた炊き出しを何度も行った経験が、ここで役立った。
必要な鍋の数、薪や水の量、人を並ばせる方法。実際に経験した者たちがいるからこそ、具体的な計画を立てられる。
特務部を挙げて避難計画を練っていると、ハトン公爵家のマイルスが訪ねてきた。
いつもより質素な衣装をまとい、疲れをにじませながらも、しっかりとした足取りでアリスの前へ進み出る。
「父が病に倒れまして、わたくしが急遽、当主の座を継ぎました。このような事態ですので、正式なご挨拶は後日とさせていただきます」
「まあ……お父上のこと、お見舞い申し上げます」
「ありがとうございます」
マイルスは深く頭を下げた。
「王都の民を避難させると聞きました。我が領でも受け入れます」
「よろしいのですか?」
「はい。すでに屋敷や倉庫、領内の空き家を調べさせております。受け入れられる人数は、今日中にお知らせします」
さらに、マイルスは一枚の書類を差し出した。
「農作業に使う荷車を集めました。まもなく王都へ到着するはずです。荷物だけでなく、老人や病人、歩くことのできない者を乗せてください」
書類には、荷車の数だけでなく、御者の名と、何人を乗せられるかまで記されていた。
「助かります。感謝いたします」
「以前の炊き出しで、人を動かすことの難しさを知りました。あの経験がなければ、荷車を出すことにも気づかなかったでしょう」
マイルスはわずかに笑った。
「我が家の料理人たちも連れてきました。避難先での炊き出しにお使いください」
「ありがとうございます。とても心強いです」
避難の知らせは、すぐに王都中へ伝えられた。
王領へ向かう者、ハトン公爵領へ向かう者、地方に住む親族を頼る者。人々は持ち出せるだけの荷物をまとめ、指定された広場へ集まった。
大通りには荷車が列を作り、騎士や特務部の者たちが声を張り上げて人々を誘導している。
「荷物は一人一つまでです!」
「北の王領へ向かう方はこちらへ!」
「歩けない方を先に荷車へ乗せてください!」
混乱はあった。それでも、炊き出しや合同訓練を経験した者たちは、以前よりずっと上手に人々を動かしていた。
だが、避難を拒む者もいた。
「わしはここで生まれた。死ぬなら自分の家で死ぬ」
「兵が集まるなら商売になる。酒も食べ物も売れるだろう」
「店を空けている間に、泥棒に入られたらどうするんだ」
アリスは、彼らを無理に連れ出すことまではしなかった。
危険を説明し、それでも残るという者には、名前と住居を書き出させた。
「残る方には、戦いが始まった後で助けを求められても、すぐには応じられないと伝えてください。それから、軍の妨げになる行動や、敵への物資の販売は認めません」
王族と貴族にも、王都から避難するよう勧告した。
ところが、彼らの多くは聞き入れなかった。
「王族が民を置いて逃げられるものか」
「我々には、この国を守る責任がある」
立派な言葉を口にしていたが、実際には、自分たちが王都を離れている間に権力を奪われるのではないかと恐れている者も多かった。
中には、城壁の内側にいれば安全だと軽く考えている者さえいた。
アリスは集まった者たちを見渡した。
「残ることを選ばれるのであれば、特務部と騎士団の指示に従っていただきます。身分を理由に、食料や護衛を優先することはありません」
貴族たちの顔に、不満が浮かんだ。
「それは少々、乱暴なのではありませんか?」
「戦場となる王都に残るのです。平時と同じ暮らしができるとは思わないでください」
アリスが静かに答えると、甲高い笑い声が響いた。
「まあ、偉そうなこと」
メアリーが扇で口元を隠しながら、アリスを見ていた。
「皇国から伯爵位をいただいたそうだけれど、あなたは少し前まで平民だったのでしょう? 軍や国を動かすような高度な政治判断が、あなたにできるとは思えないわ」
メアリーを取り囲んでいた令嬢や貴婦人たちが、一斉に笑った。
その中には、カーラ・スペーダの姿もあった。
「メアリー様」
アリスは穏やかに呼びかけた。
「何かしら?」
「王族として残られるのですね」
笑い声が止まった。
メアリーの顔から笑みが消えた。
「そうよ。王族としてね。小国群とわたくしは個人的に親しいですわ。戦争になんかなりませんわ」
「そうだ。アリス。これが政治だ」と背後から声がした。
王太子のエドワードが部屋に入ってきたのだ。
「王室は小国群を昔から手なずけている。アリスの知らないところでな」
「そうですか? それでは王族も貴族も避難しないということでよろしいですか?」
「そうだ。アリスも残っていいのだぞ」
「いえ、非難いたします」




