34 マイルス・ハトンは考えた
34 マイルス・ハトンは考えた
四公爵家で開いたピクニックは、無事に成功した。
王宮の使用人たちは温かいスープと焼き菓子を楽しみ、四公爵家も、ひとまず与えられた役目を果たした。初めのうちは不満そうだった者たちも、自分たちが用意した料理を喜んでもらえたことで、最後にはそれなりに満足そうな顔をしていた。
だが、ハトン公爵家の跡取りは浮かれてはいなかった。
「まだ足りない」
屋敷へ戻った彼は、ピクニックの報告書を読み返しながら呟いた。
今回は招待した者の数が事前に分かっていた。場所も王家が長く使ってきた湖畔で、必要な道具も揃えられていた。料理を受け取る者たちも、王宮で働く使用人とその家族である。多少の不手際があったとしても、身分ある者を困らせまいと黙って待ってくれた。
本当の災害時とは、たぶん違うだろう。
それに……
「あのアレク殿下は油断ならない」
ピクニックを成功させたのは四公爵家であるはずなのに、気づけば皆が、最初に提案したアレクの慧眼を褒めていた。
おまけに、今度はクレールスター皇国の騎士団までやってきた。彼らは王国の騎士団と合同で訓練を始めている。
このままでは、何をしても後手に回る。
そこで、ハトン家の跡取りは考えた。
(そうだ。ピクニック――いや、炊き出しを町でやってみよう)
本来、炊き出しの相手となるのは、王宮に勤める者たちではない。災害や飢饉に見舞われ、住む場所や食事を失った民である。
(いざという時に向き合う相手が民なら、今のうちに民を相手にやってみるべきだ)
思いつくと、彼の行動は早かった。
王宮に保管されている大鍋や焜炉を借りるための手続きを調べ、町の広場の使用許可も申請した。勝手に持ち出したり、場所を押さえたりすれば、何を言われるか分からない。借りる物の一覧を作らせ、返却時には破損や不足がないか確認することまで決めた。
それから、ハトン公爵家の料理長を執務室へ呼んだ。
「町の広場で炊き出しを行いたい」
突然の話にもかかわらず、料理長は驚いた顔を見せたあと、すぐにうなずいた。
「よろしいと思います」
「そう思うか?」
「はい。場数は大事ですから」
料理長は、机の上に広げられた広場の見取り図と、予想される人数が書かれた紙を見比べた。
「屋敷の厨房で十人分の料理を作れる者でも、屋外で百人分を作れるとは限りません。火の加減も違いますし、風が吹けば煙の流れも変わります。水をどこから運ぶのか、食材をどこへ置くのか、出来上がった料理をどう配るのか。実際にやってみなければ分からないことが多くございます」
「なるほど。では、やる価値はあるな」
「そこで一つ、考えがございます」
「言ってみろ」
「スープに、小麦粉で作った団子を入れてみてはいかがでしょうか」
「団子?」
「水で練った小麦粉を小さくちぎり、スープの中へ落として煮るのです。肉や野菜が少ない時でも、腹が膨れます。汁にとろみがつきますので冷めにくくもなります」
料理長は少し考えてから、さらに付け加えた。
「災害の直後は、十分な食材を揃えられるとは限りません。手に入りやすい小麦を使った料理も、試しておいて損はないかと」
「それはいい」
ハトン家の跡取りは、満足そうにうなずいた。
「今日の夕食に出してくれ。まずは、わたしが食べてみよう」
「かしこまりました」
その日の夕食に出された団子入りのスープは、見た目こそ質素だったが、食べ応えがあった。もちもちとした団子に肉と野菜の味が染み込み、一杯を食べ終える頃には、腹の底から温まった。
「これならいける」
彼はすぐに、炊き出しの実施を決めた。
◆◇◆◇◆
数日後、町の広場に大きな天幕が張られた。
早朝からハトン公爵家の使用人たちが大鍋を運び込み、水桶を並べ、薪を積み上げていく。料理人たちは切った野菜や肉を次々と鍋へ入れ、煮立ったところへ小麦の団子を落としていった。
やがて、肉と野菜の香りが広場いっぱいに漂い始めた。
「ハトン公爵家が、町の者にスープを振る舞うそうだ」
「誰でも食べていいのか?」
「無料だって話だぞ」
噂を聞きつけた人々が、少しずつ広場へ集まってきた。
最初は遠巻きに眺めていた者たちも、実際に器を受け取った人が笑顔になるのを見ると、次々に列へ加わった。子どもの手を引く母親、仕事の途中らしい職人、腰の曲がった老人。想定していた以上の人が押し寄せ、広場はたちまち騒がしくなった。
「押すな!」
「こっちが先に並んでいたんだ!」
「子どもがいるんです。少し下がってください!」
列が膨らみ、横から入り込もうとする者も現れた。
ハトン家の使用人たちは懸命に声を上げたが、慣れていないため、なかなか人々を誘導できない。料理を配る場所の前には人が固まり、その後ろでは、どこへ並べばよいのか分からない者たちが右往左往していた。
「まずいな……」
ハトン家の跡取りが動こうとした、その時だった。
「こちらへ一列にお並びください!」
よく通る声が、広場に響いた。
クレールスター皇国の騎士たちが現れたのである。
数人の騎士が素早く広場の端へ回り、人々が蛇行して並べるように間隔を取って立つ。別の騎士たちは、老人や幼い子どもを連れた者を転ばないよう誘導していった。
「スープは十分にございます。慌てなくても皆様に行き渡ります!」
「押さずに、前の方から順にお進みください!」
「たくさん、ありますからゆっくり並んでいいですよ」
「並んでいる間にもっとおなかがすいたらたくさんお代わりできますよ」
この後に笑い声が聞こえる。
「騎士様も冗談を言うんだね」
「いや、皆さまをいると楽しいですからつい。マダム」
「やだね、マダムなんて、ただのおばさんだよ」
更に笑い声が弾けた。
「食べ終えた器はこちらへお願いします!」
騎士たちが、優しく微笑みながら人々を誘導していく。
騒然としていた人々が笑顔で並んだ。
「なぜ皇国の騎士団が……」
ハトン家の跡取りが呆然としていると、後ろから穏やかな声がした。
「町で炊き出しをすると聞きましたので見学に来ました」
振り返れば、アレクが立っていた。
「殿下……」
「よい試みですね。ちょうど騎士団にも、民を誘導する訓練が必要だと思っていたところです。手伝わせていただきました」
「これは、ハトン家が主催した炊き出しです」
思わず念を押すと、アレクはあっさりとうなずいた。
「もちろんです。ですから、騎士たちにもハトン家の指示に従うよう命じてあります」
功績を奪うつもりはないらしい。
ほっとしたのも束の間、広場の向こうから歓声が上がった。
皇国の騎士たちが、菓子の入った籠を運び込んできたのだ。小さく焼いた素朴な菓子を受け取り、子どもたちが嬉しそうに笑っている。
「あれは?」
「騎士団からの差し入れです。訓練に協力してくださった町の方々への、ささやかなお礼ですよ」
アレクは何でもないことのように答えた。
ハトン家の跡取りは、返す言葉を失った。
こちらが炊き出しを思いつけば、アレクは騎士団を使って人々を整然と並ばせる。さらに菓子まで用意し、民の心までつかんでしまった。
やはり、この男は油断ならない。
だが、今は対抗心を燃やしている場合ではなかった。
「団子が入っている!」
「これは腹にたまるな」
「温かくておいしいよ」
「これはいいね。うちでも真似しよう」
町の者たちは、器の底から団子をすくい上げ、嬉しそうに頬張っている。二杯目を求める者もいたが、最後まで並んでいる者へ行き渡るよう、まずは一人一杯と決めた。
鍋が空になる頃には大きな混乱もなく、借りた器もほとんどが返却されていた。
炊き出しは、成功した。
片づけの始まった広場を見渡しながら、ハトン家の跡取りは料理長に尋ねた。
「どうだった?」
「改善するところは山ほどございます」
料理長は汗を拭いながら答えた。
「水の運搬に人手がかかりすぎました。団子を作る場所も狭すぎます。それから、配膳口は二か所に分けたほうがよろしいでしょう」
「そうか」
「ですが、やってみたからこそ分かりました」
その言葉に、彼は静かにうなずいた。
人々を並ばせる者が必要なこと。これは大事だ。今日は平和な町中だ。これが災害時だとどうなる? 怪我人もいるだろうし、心が荒れた者も出るだろう。老人や子どもへの配慮が必要なこと。食事を作るだけではなく、器を回収し、洗い、借りた道具をすべて返すところまでが炊き出しであること。
一度成功させただけで、十分なわけではない。
「今日分かったことを、すべて書き出せ」
彼はそばにいた家令へ命じた。
「次は、もっと手際よくやる。皇国の騎士がいなくても、我々だけで人々を安全に誘導できるようにしておくのだ」
「かしこまりました」
次、という言葉を耳にした料理長が、わずかに笑った。
ハトン家の跡取り自身は、まだ気づいていなかった。
アレクに負けまいとして始めた炊き出しが、いつの間にか、民を守るための本物の訓練へ変わっていたことに。




