29 アレクにふさわしい相手
29 アレクにふさわしい相手
そして当日、会場には、開会よりもずっと早い時間から、着飾った令嬢たちが集まり始めていた。
彼女たちの目当ては、クレールスター皇国から訪れた二人の男性だった。
皇弟アレク・クレールと、その側近であるデイビス。
二人とも大国の高位貴族であり、容姿も身分も申し分ない。
令嬢たちは今日のために新しいドレスを仕立て、髪飾りや宝石、香水に至るまで、普段以上に気合を入れていた。
「アレク殿下には、まだ婚約者がいらっしゃらないのでしょう?」
「ええ。アリス様を気にかけていらっしゃるようですけれど」
「でも、あの方は侯爵家から籍を抜いたのでしょう?」
「今は平民だと聞きましたわ」
「皇弟殿下が平民を正式な妃になさるのは難しいでしょうね」
「デイビス様にも、婚約者はいらっしゃらないそうですわ」
「こちらで妻をお選びになるかもしれませんわね」
表面上はにこやかに微笑みながら、互いの装いを厳しく観察する。
誰もが、自分こそ選ばれるかもしれないと期待していた。
やがて、入口付近がざわめいた。
「クレールスター皇国皇弟、アレク・クレール殿下がお見えになりました」
侍従の声が響く。
メアリーは胸を高鳴らせ、入口へ目を向けた。
礼装に身を包んだアレクが、会場へ姿を現した。
しかし、その腕には、淡い色合いのドレスをまとったアリスの手が添えられていた。
「どうして……」
メアリーの唇から、かすかな声が漏れた。
アレクは当然のようにアリスをエスコートしていた。
アリスの歩調に合わせてゆっくりと歩き、段差に差しかかると、その手を丁寧に支える。アリスへ向けるまなざしは柔らかく、周囲に集まった令嬢たちなど、ほとんど目に入っていないようだった。
その少し後ろには、デイビスとラスベリーが続いている。
「アレク殿下が、アリス様を……」
「平民になった方を、この席へお連れになるなんて」
「でも、あのドレスをご覧になって。まさか、アレク殿下がお作らせになったのでは?」
令嬢たちの間に動揺が広がった。
事情を知っている者たちは、黙ったままアリスへ礼を取った。
その反応に気づいた者が、不思議そうに首をかしげる。
「どうして伯爵夫人が、アリス様にあれほど丁寧な礼を?」
「さあ……」
メアリーは扇を強く握り締めた。
アレクが来てくれた。
自分が開いたお茶会へ、招待に応じて来てくれた。
そこまでは思い描いたとおりだった。
しかし、彼の隣にはアリスがいる。
侯爵家から籍を抜き、平民になったはずのアリスが、大国の皇弟にエスコートされていた。
しかも、アレクがアリスへ向けるまなざしは、単なる同情では説明できないほど親しげだった。
それでもメアリーは、自分の考えが間違っているとは思わなかった。
――アリスが頼み込んだのだわ。
――平民になって心細いから、アレク殿下のお情けにすがっているのよ。
正式な妃を選ぶとなれば、話は別だ。
アレクに必要なのは、大国の皇弟にふさわしい身分と教養を持った女性である。
生まれながらの王女である自分にこそ、その資格がある。
メアリーは胸の内に渦巻く苛立ちを押し隠し、王女らしい微笑みを浮かべた。
「ようこそお越しくださいました、アレク殿下。お待ちしておりましたわ」
アレクはアリスの手を軽く支えたまま、礼儀正しく一礼した。
「お招きいただき、感謝いたします」
「お忙しいと伺っておりましたので、お越しいただけて嬉しいですわ」
「王国の方々と話をするよい機会ですから」
メアリーはアリスへ顔を向けた。
「まあ、アリスも来たのね」
「お招きいただき、ありがとうございます」
アリスは穏やかに礼を取った。
メアリーは扇の陰で薄く笑った。
「けれど、ここは上位貴族の交流会なのよ。いくらアレク殿下のお連れでも、今のあなたには居心地が悪いのではなくて?」
周囲の会話が止まった。
事情を知る者たちが、一斉にメアリーを見た。
アリスは怒ることなく、少し困ったように微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です」
「無理をしなくてもよいのよ。侯爵家を離れたあなたには、以前とは違う場所のほうが――」
アレクが「何か誤解があるようです」と答えた。
声は穏やかだったが、メアリーに向ける視線は冷たかった。
「誤解、でございますか?」
「アリスはメイナード侯爵家から籍を抜きましたが、平民ではありません」
メアリーの笑顔が止まった。
「何をおっしゃっているのです?」
「アリスはクレールスター皇国の伯爵です」
ホールが静まり返った。
「伯爵……?」
メアリーが呆然と繰り返す。
「皇帝陛下の裁可を受け、皇国法に基づいて正式に叙爵されています。公の披露は皇国で行います。その身分に疑いはありません」
デイビスが一歩進み、補足した。
「王国にも、必要な文書はすでに届けられております。隠すつもりはありませんでしたが、平民だと公然と侮る者がいるとは思いませんでした……失礼いたしました」
何も知らなかった令嬢たちの顔色が変わる。
先ほどまでアリスを平民と呼んでいた者たちは、気まずそうに目を伏せた。
「では……アリスは、本当に皇国の貴族なのですか?」
メアリーの問いに、アレクは答えた。
「ええ。上位貴族の交流会へ出席する資格は十分にあります」
「ですが、伯爵にすぎないのでしょう?」
動揺したメアリーは、思わず口にした。
「わたくしは王女です。伯爵よりも――」
「アリスが伯爵であることと、あなたが王女であることは、今は関係ありません」
アレクは静かに言葉を遮った。
「あなたはアリスに出席する資格がないとおっしゃった。ですから、その誤解を訂正しただけです」
メアリーは何も言えなくなった。
アレクはアリスへ視線を戻した。
その表情には、再び柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「庭を見に行こうか。花が見頃だそうだ」
「はい」
アリスが答えると、アレクはその手を取った。
メアリーは慌てて二人を呼び止めた。
「それでしたら、わたくしが庭をご案内いたしますわ」
「ありがとうございます。わたくしは庭をゆっくり歩く機会がございませんでしたので、楽しみです」
アレクは礼儀正しく「お願いします」と頭を軽く下げた。
そしてアリスに笑顔を向けた。
「アリス。一緒に案内していただきましょう」
メアリーは笑顔を保ちながら、扇の柄を握り締めた。
アリスは平民ではなく、クレールスター皇国の伯爵だった。
その事実は、メアリーにとって大きな誤算だった。
だが、それでもメアリーは諦めなかった。
アリスが伯爵であろうと、自分は王女である。
生まれながらの身分なら、自分のほうが上だ。
アレクも、いずれそれに気づくはずだ。
メアリーはそう自分に言い聞かせながら、親しげに並んで歩くアレクとアリスの背中を追った。
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