28 王女のわたしにふさわしい相手
28 王女のわたしにふさわしい相手
メアリーは、嫁ぎ先であるメニリーフ王国へ予定より早めに出発する準備をしていた。
従妹のアリスが弟の王太子と婚約していたので、メアリーは両親にこう主張していた。
「アリスが王室に嫁ぐというのに、王女であるわたくしが臣下の家へ嫁ぐのはおかしいでしょう。わたくしも王族のもとへ嫁ぐべきです」
国王夫妻としては、娘を国内の有力貴族へ嫁がせたかった。
国内に留めておけば、何かあったときに力になれる。王家と有力貴族との結びつきを強めるという政治的な利点もあった。
しかし、メアリーは頑として承知しなかった。
「公爵家の血筋なら問題はないだろう。お前の好きにできるぞ」
「公爵は王族ではございません」
「国内でもっとも力のある家の一つだ。お前を大切にすると約束している」
「嫌です。アリスが王太子妃になるのに、わたくしが臣下の妻になるなど耐えられません」
「婚姻は人と人との結びつきだ。身分だけで決めるものではない」
「ですが、身分を無視してよいものでもないでしょう。わたくしは王女なのです」
「気に入った男はいないのか? そいつと結婚しろ。公爵にしてやる」
誰が何を言っても、メアリーは考えを変えなかった。
公爵家も侯爵家も学年主席も、相手がどれほど優秀で誠実な青年であっても、王族ではないという理由だけで断った。
そこで国王夫妻が各国を探して、どうにか話をまとめたのがメニリーフ王国だった。
相手は、メニリーフ国王の何番目かの弟である。
王位を継ぐ可能性は低いものの、れっきとした王族だ。正直メニリーフ王国に嫁がせるのは気が進まなかった。だが、他になかったのだ。
「王弟殿下ならば、あなたも不満はないでしょう」
王妃が尋ねると、メアリーはしばらく考えた末にうなずいた。
「王族でいらっしゃるなら、よろしいですわ」
その言葉を聞いた国王夫妻だけでなく、メイナード侯爵夫妻も、ようやく胸をなで下ろした。だが、祝福できなかった。
話がまとまったとき、メアリーはすでに二十歳になっていた。
輿入れの日取りが決まり、王宮では出発の準備が始まった。
衣装や宝飾品がそろえられ、同行する侍女や護衛も選ばれた。メニリーフ王国へ持参する品々が次々に準備された。
そのころ、アリスは王太子との婚約を解消した。
さらに、メイナード侯爵家からも籍を抜いて、平民になった。
その知らせを聞いたとき、メアリーは驚いたものの、すぐに安堵して、アリスを馬鹿だと思った。
「これでアリスは平民になったのね」
もうアリスは王太子妃にはならない。
侯爵令嬢でもない。
一方の自分は、メニリーフ王国の王弟妃になる。
どちらが上なのか、これでようやくはっきりしたとメアリーは満足した。
ただし、アリスは平民になってすぐにクレールスター皇国の伯爵位を授けられている。
それは名目だけの爵位ではなかった。
アリスは皇国法に基づいて正式に叙爵され、皇国貴族としての身分と権利を与えられていた。
そのことは隠されていないが、大々的に祝われてはいない。祝うのはクレールスター皇国へ戻ってからだ。
メアリーはアリスが侯爵家から籍を抜いたと聞いただけで、自分がアリスより上になったと喜び、その後のことを確かめようともしなかった。
そしてアリスと一緒にやってきたクレールスター皇国の皇弟を見てメアリーは、(この人を待っていた)と思った。
皇帝の弟であるアレクの身分は、メニリーフ王国の王弟よりもはるかに高い。
強大な皇国の皇帝の弟と――海の向こうの小国――メニリーフ王国の王弟、比べるまでもない。
整った容貌に、堂々とした立ち居振る舞い。周囲を圧倒するほどの気品を備えながら、尊大さを感じさせない。
アレクをひと目見た瞬間、メアリーの胸は大きく高鳴った。
――この方よ。
――わたくしにふさわしいのは、この方だわ。
メニリーフ王国との婚姻が決まったときには、これ以上の縁談は望めないと思っていた。
しかし、目の前にいるのは大国の皇弟である。
アレクに嫁げば、メアリーはクレールスター皇帝の義妹となる。メニリーフ王国の王弟妃とは比べものにならないほど高い地位を得られるのだ。
しかも、まだ間に合う。
メアリーはメニリーフ王国へ出発していない。正式な婚姻はまだ先だ。
――そうよ、これが運命なのよ。
――わたくしとの縁を結ぶために、アレク殿下はこの国へ現れたのだわ。
アレクがアリスと一緒にリーブル王国へ来たことを、メアリーも知っていた。
しかし、彼女の認識では、アリスは行方不明となって迷惑をかけて、婚約を解消されて侯爵家から追い出され、平民になった哀れな娘だった。
アレクがアリスを気にかけているのだとしても、それは同情にすぎない。
平民のアリスが皇弟妃になれるはずはない。アレクの正式な妻となるには、自分のような高い身分が必要なのだ。
メアリーはそう信じて疑わなかった。
「お母様、アレク殿下をお茶会へお招きしたいのです」
メアリーは母親である王妃にねだった。
「アレク殿下を?」
「せっかく我が国へお越しになっているのですもの。王女であるわたくしがおもてなしをするのは当然ではございませんか」
王妃は娘の顔をじっと見つめた。
「メアリー。あなたは間もなくメニリーフ王国へ嫁ぐ身ですよ」
「まだ嫁いではおりませんわ」
王妃も、メアリーと同じように考えた。海の向こうの評判の悪い国に嫁ぐよりも、隣の大国に嫁ぐほうがメアリーの幸せにつながると思えたのだ。
「ただのお茶会です。外交上の礼儀を尽くすだけですわ」
「それはそうですね」
「もちろんです」
メアリーは微笑んだが、その瞳には隠しきれない期待が浮かんでいた。
王妃は娘の後押しをすることにした。
「アレク殿下は、アリスのためにお越しになったのですよ」
「存じております。ですが、それはアリスが突然、平民になったからでしょう? お優しい方ですから、放っておけなかったのですわ」
メアリーにそう言われると、王妃もそうかもしれないと思った。
「とにかく、節度を守りなさい。あなたには婚約者がいますよ」
「わかっておりますわ」
こうして最初に企画されたのは、王妃とメアリーが主催する私的なお茶会だった。
『王宮の庭園では、季節の花々が見頃を迎えております。ささやかではございますが、ぜひご一緒にお楽しみいただければ幸いです』
メアリーは招待状の文面を何度も確認し、自分で選んだ香りを便箋へ移させた。
「これなら、アレク殿下もわたくしの心遣いをおわかりになるでしょう」
返事が届く前から、メアリーは当日の衣装を選び始めた。
「薄桃色と淡い紫では、どちらがよいと思う?」
「薄桃色のほうが、姫様のお顔が明るく見えるかと存じます」
侍女が答えると、メアリーは鏡に映る自分を眺めた。
「では、薄桃色にしましょう。宝石は真珠を使って。華美になりすぎず、それでいて王女らしく見えるようにしてちょうだい」
「かしこまりました」
「庭をご案内するときには、アレク殿下の前に出ることもあるわね。後ろ姿も美しくないとね」
メアリーの中では、アレクが招待に応じることは、すでに決まっていた。
しかし、届いた返答は期待したものではなかった。
滞在中は予定が立て込んでいるため、辞退させていただきたい――
丁寧な文面ではあったが、はっきりとした断りだった。
「多忙ならば、仕方がありませんわ」
メアリーは平静を装って言った。
招待状を持つ手には力が入っていた。
「きっと私的なお茶会だから、遠慮なさったのです。わたくしと親しくすることで、メニリーフ王国との間に問題が起きてはならないとお考えになったのでしょう」
侍女たちは何も答えなかった。
「それなら、私的なお茶会でなければよいのです」
メアリーはすぐに次の手を考えた。
上位貴族の交流会という名目で、規模の大きなお茶会を開くことにしたのである。
会場は王宮の広いホールと、それに続く庭園だった。
国内の公爵家、侯爵家、伯爵家から招待客を集める。上位貴族と他国の賓客との交流を目的とするならば、アレクにも出席する理由ができる。
ホールには白い布をかけた丸卓が並べられ、色とりどりの菓子や軽食が用意された。
庭には日よけの天幕が張られ、その下にも椅子と卓が配置された。赤や白、淡い黄色の花々が咲き誇り、風が吹くたびに甘い香りが漂った。
二度目の招待状を受け取ったアレクは、デイビスと相談した。
「上位貴族の交流会ですか」
「ああ。今回は出席したほうがよさそうだ」
アレクは招待状を卓上へ置いた。
「この国の有力者が集まるなら、顔を覚えておいて損はない。これから行政支援などの話を進めるためにもね」
「わたしも同意見です。私的なお茶会とは意味が違います」
「それに、アリスを連れていける」
そう言ったアレクの表情が、わずかに緩んだ。
デイビスは呆れたように笑った。
「やはり、それが一番の理由ではありませんか?」
「当然だろう」
「アリス様の伯爵叙爵は、まだ王国では広く知られていません。平民が紛れ込んだと勘違いする者が出るかもしれませんよ」
「それなら、その場で訂正すればいい」
アレクは何でもないことのように答えた。
「事実を隠しているわけではない。彼らに知らせる義務などない。アリスは皇国の伯爵だ。上位貴族の交流会へ出席する資格は十分にある」
「趣味が悪いですよ」
「もともとだ。むしろ、アリスを侮る者がいるなら、早めにわかったほうがいい」
アレクの穏やかな微笑みを見て、デイビスは小さく息を吐いた。
「その者には、気の毒な茶会になりそうですね」
「自業自得だろう」
アレクは出席を決めると、大喜びでアリスのドレスを作らせた。
「新しいドレスなど必要ありません」
仕立て屋が呼ばれたと聞き、アリスは困った顔をした。
「単なるお茶会でしょう?」
「そう、単なる茶会だ。いい気晴らしになる」
「確かに、主催の補佐は面倒でしたが、単なる出席者は気楽ですね」
「そうだ」
「ですから、今あるドレスで十分です」
「十分ではない」
アレクはきっぱりと言い切った。
「庭へ出るなら、昼の光の下でも美しく見える色がいい。それに、重い生地では疲れるだろう」
「そのような理由で、新しいドレスを作るのですか?」
「大切な理由だ」
あまりに真剣な顔で言うので、アリスは笑ってしまった。
結局、アリスはアレクの熱意に押し切られた。
仕立てられたのは、淡いクリーム色のドレスだった。
光の加減によって金色にも見える上質な布地に、小さな花の刺繍が施されている。華やかでありながら派手すぎず、アリスの穏やかな雰囲気によく似合っていた。
アリスが試着を終えて姿を見せると、アレクはしばらく何も言わなかった。
「おかしいでしょうか?」
不安になったアリスが尋ねる。
「いや」
アレクはゆっくりと首を振った。
「想像していたより、ずっとよく似合っている」
「それなら、よかったです」
「皇国へ戻るまでに、あと何着か作ろう」
「必要ありません」
「必要だ」
「今の話を聞いていましたか?」
「聞いていた。そのうえで必要だと言っている」
アリスが呆れると、アレクは楽しそうに笑った。
一方のデイビスは、ラスベリーに同行を頼んだ。
「わたしも出席するのですか?」
「ああ。一緒に来てほしい」
「護衛としてですね」
「情けないがそのつもりで来てくれ」
「確かに、必要でしょうね?」
「皇国から来た独身の男だと思われている。何人の令嬢に囲まれるかわからない」
デイビスが冗談めかして言うと、ラスベリーは呆れながらも笑った。
「そこまでおっしゃるのでしたら、お供いたします」




