25 カーラ
25 カーラ
「一体、いつまで待たせるんだ」
スペーダ公爵が苛立ちを隠さずに吐き捨てると、嫡男のロバートが言った。
「会う時間の約束などしていませんよ」
ロバートは立ち上がり、ぐっと身体を伸ばした。それから、冷ややかな視線を両親へと向ける。
「『カーラと話したい。そうアリス様が仰っている』……カーラと話したいのだそうですよ」
「もう王太子の婚約者じゃないんだ。様などつける必要はない!」
ロバートが言い終わる前に、公爵が遮るように言った。
「確かに婚約は解消されましたが、彼女は現在、皇弟殿下に保護されている身です。ただの侯爵家の息女として扱えば、痛い目を見るのはこちらですよ」
ロバートは父を見下ろすように言ったあと、カーラの方を向いて声音を和らげた。
「カーラ、正直に話すのだよ」
「いや、駄目だ。カーラ、お前が我儘を言ったのだ。反省している、と言えばいい」
公爵が慌てて遮ると、公爵夫人もヒステリックに声を荒らげた。
「そうよ、カーラ! 自分が悪かったと言えばいいの。謝れば済むことよ。『余計なことを押し付けてごめんなさい』って謝るのよ!」
「やめてください」
ロバートが二人の間に割って入る。
「カーラに責任を押し付けるのはやめていただきたい。アリス様はただ真実を知りたいだけです。罰を与えようなどとは考えておられません。だからこそ、正直に話すのです」
ロバートに諭され、公爵夫人は形勢が悪いと察したのか、わざとらしく溜め息をついた。
「わかったわよ。カーラ、正直に話しなさい……でも、余計なことは言わないように気をつけるのよ?」
そうカーラに釘を刺した直後、夫人は不満げに部屋を見回した。
「それにしても、なんなのよ、この扱いは。公爵であるあなたが出向いているのよ? お昼を過ぎたというのに、お茶しか出てこないなんて。馬鹿にされているわ!」
アレクとデイビスが部屋に入ると、中で待っていた面々が一斉に視線を向けた。
向けられた敵意に、アレクは内心で冷笑した。
政治的な対立ではない。ただ空腹で機嫌が悪いだけだろう。
「おや、皆さん、この時間までお揃いでしたか。カーラさんがそれほど大事なのですね……確か、カーラさんの我儘を聞き入れるために、当番を放棄されたのでしたね」
アレクが皮肉を込めて告げると、カーラは顔を強張らせた。
「いえ、その……確かにわたしは……」
弁明しようとしたカーラを、公爵夫人が鋭く遮る。
「カーラ、お黙りなさい。恥の上塗りはおやめなさい!」
「わたしはアリスが来るまで、カーラさんのお相手をしようと思って参ったのですが……まさか皆様揃ってお待ちだとは思いませんでした。アリスは『カーラさんとだけ』話したいと言っていたのですがね」
デイビスが含みを持たせて言うと、公爵は取り繕うように笑った。
「未熟な若い者同士で話しては、物事が正しく伝わらないのではないかと危惧いたしましてな」
夫人が深くうなずくのを尻目に、アレクは軽く肩をすくめた。
「アリスは決して未熟ではありませんが……まあ、いいでしょう。それより、一つ教えていただきたい」
アレクは改めて公爵を見据えた。
「四公爵で持ち回りで行っているという『ピクニックの当番』だが、具体的にどのような仕事なのだ?」
「簡単なことです。現地で汁物を作ります」
「汁物とは、スープのことでいいのか?」
「ええ、まあスープですが、伝統的には『汁物』と呼ぶのが正しく……まあ、スープですな」
「公爵自身が作るのか?」
アレクの問いに、公爵は鼻で笑った。
「使用人にやらせます。我々の役目は材料や調理器具の手配です」
「アリスがやっていた仕事ですね」とデイビスが口を挟んだ。
「手引書のようなものはあるのか?」
「材料はどれくらい用意するのか?」
「……いろいろです」
「そうか。それくらい出来て当たり前だな。いざという時に役立たずでは困るな」
「はい、さようでございます」
「輸送もやるのか?」
「ええ。鍋や竈、肉を焼く道具なども運ばせます」
「終わったあとの確認は?」
「備品を点検し、片付けます」
「本当に簡単なことなのです。使用人に指示を出せば済むだけ。だからアリス――いえ、アリス様がちゃっちゃと片付ければ済む話でしたの。それなのに、嵐が来るなどと言い出して……」
夫人がまくし立てると、公爵も調子を合わせて勢いづいた。
「そう、アリス様が避難指示を出したとのことですが、指示がなくとも皆さんは勝手に逃げていますよ。まったく、余計なことでした」
「なるほど、当事者の話は聞いてみるものだな」
アレクは冷ややかに微笑んだ。
「それはそうと、片付けはもう終わったのか?」
「はい、指示を出しました」
夫人が当然のように言うと、アレクはただ一言、冷たく告げた。
「きちんと指示を出したのだな……確認はまだやっていないということだな」
そこへ、
「アリス様のお着きです」という先触れとともに扉が開き、アリスが入室してきた。
「あら、皆様お揃いですの?」
アリスの悪びれない声に公爵夫人は一瞬ムッとした表情を浮かべたが、黙って頭を下げた。他の家族もそれに倣う。
「お待たせしたようですのね」
アリスはカーラのそばへ歩み寄ると、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「すぐにお話ししたいわ。二人きりで」
「別室を用意してある」
アレクが応じると、すぐに控えていた護衛が動き出し、「こちらへ」と促した。アリスとカーラがそれに続く。
「あっ、お待ちになって――」
追いかけようとする公爵夫人を、デイビスが冷たく阻んだ。
「皆様は、もうしばらくこちらでお待ちください。お話が終わり次第、カーラ様をお連れします」
「それでは、どうぞごゆっくり。お茶をお持ちさせますから」
デイビスのその言葉を最後に、スペーダ公爵家の一家は、再びしんとした部屋に取り残された。
「こちらでございます」
護衛が開けた扉の先では、侍女のラズベリーがお茶の用意を整えて待っていた。
「ありがとう、ラズベリー。あとは二人だけで話します」
「かしこまりました。何かございましたら、そちらのベルでお呼びくださいませ」
ラズベリーは二人の前にお茶を置くと、静かに一礼して部屋を出ていった。護衛も扉の外へ下がり、室内にはアリスとカーラだけが残された。
「どうぞ、座ってください」
「はい……」
カーラは消え入りそうな声で答え、勧められた椅子へ腰を下ろした。
背筋を不自然なほど真っ直ぐに伸ばし、膝の上で両手を固く握っている。その姿を見れば、ひどく緊張していることは明らかだった。
アリスが向かいの席へ着いた。
「あの、アリス様……」
やがて、カーラが意を決したように口を開いた。
「このたびは、わたしの我儘でご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。余計な仕事を押し付けてしまい」
「それは、先ほど公爵夫人から言うように命じられたことですか?」
責めることなく静かに尋ねられ、カーラは息を呑んだ。
「い、いいえ。わたしが、自分で……」
「ここには公爵夫人も公爵閣下もいません。あなたが何を話しても、わたしは声を荒らげたり、その場で罰したりはしません」
アリスはそう告げてから、自分のカップへ手を伸ばした。
「ですから、用意された言葉ではなく、あなた自身の言葉を聞かせてください」
カーラの瞳が不安げに揺れた。
「わたしを……責めるために、お呼びになったのではないのですか?」
「責任の所在を明らかにする必要はあると思っています。ですが、最初からあなたが悪いと決めつけるつもりはありません」
アリスはカーラを真っ直ぐに見つめた。
「わたしが王妃殿下と公爵夫人のお話の聞いたときと、あなたの認識に少し違いがあるようですから」
「違い……ですか?」
「ええ。王妃殿下は、こう仰いました。『カーラが当番を荷が重いと言っている。体調を崩しそうだから、アリスが代わりにやりなさい』と」
カーラの顔から、さっと血の気が引いた。
「さらに、表向きは、わたしが強く希望したために当番を譲っていただいたことにする、とも仰いました」
「そんな……」
「わたしはそのとき、あなたが本当に当番を嫌がっているのだと思いました」
アリスはわずかに首を傾けた。
「先ほど、公爵閣下と公爵夫人は、あなたの我儘だったと仰いました。ですが、ご子息様は、それを否定していらした。では、実際はどうだったのでしょう」
問いかけられたカーラは、すぐには答えられなかった。
『お前が我儘を言ったのだ。反省していると言えばいい』
『余計なことを押し付けてごめんなさい、と謝るのよ』
『でも、余計なことは言わないように気をつけるのよ』
この部屋へ来る直前に義両親から言われた言葉が、頭の中で繰り返される。
けれど、アリスの声音には怒りも嘲りもなかった。ただ、カーラ自身の答えを待っていた。
「……違います」
ようやくこぼれた声は、ひどくかすれていた。
「何が違うのでしょう?」
「わたしは、当番を嫌がってなどおりません」
カーラは膝の上で握っていた手に、さらに力を込めた。
「わたしが我儘を言ったのではありません。義母は……わたしの名前を利用しただけなのです」
震えていた声が、次第に強くなっていく。
「本当は、義母自身が義父自身が当番をしたくなかったのです。スープを作るだけなら、それほど大変ではありません。ですが当番になれば、何かあるたびに呼び出されます。準備から片付けまで責任を持ち、最後まで現地に残らなければなりません」
「ええ。王妃殿下がわたしに当番をやるようにと仰った時、『カーラ様ができそうにないと言っているから、アリスがやりなさい』とお告げになったの。義理のお母様にそれほど大事にされているカーラさんとは、一体どんな方かしらと思って、少しお話ししてみたかっただけなのよ」
アリスの言葉を聞いたカーラは、膝の上で両手を強く握りしめた。
カーラは唇をかみ、うつむいた。
「わたしも、最初は詳しく知りませんでした。ですが、公爵家のお茶会で聞いてしまったのです。本来ならスペーダ公爵家がするべき調理器具の準備も、後片付けも、すべてアリス様に押し付けてやるつもりだと」
カーラは顔を上げた。
「では、カーラ様は当番をするつもりだったのですか?」
アリスが尋ねると、カーラは勢いよくうなずいた。
「はい。少なくともスープは、わたしが作るつもりでした。皆様も、ご自分の当番のときには、それくらいはなさっています。材料を鍋へ入れて混ぜるだけではありますが……それでも、自分の役目だと思っていました」
カーラの目に涙が浮かんだ。
「それなのに義母は、その仕事までアリス様へ押し付けました。まるで、アリス様ご自身が進んで引き受けたかのように周囲へ話したのです」
カーラはこらえきれず、声を震わせた。
「その上、問題になった途端、すべてわたしの我儘だったことにしようとしているのです」
アリスは取り乱すカーラを静かに見つめた。
カーラもまた、家族に都合よく利用されていたのだ。
「本当ですね」
アリスは穏やかな声で答えた。
「では、今度はわたしの話を聞いていただけますか?」
カーラは涙を拭い、何度もうなずいた。
「はい。どうか、お聞かせください」




