02 ピクニックの当番
02 ピクニックの当番
静かな王宮で留守番ができる――そう思っていたアリスの当ては、最悪の形で外れることになった。
「王宮の総責任者が不在になるのは、危機管理上問題があるのでは?」
アリスが当然の懸念を口にすると、王太子エドワードの姉、メアリー王女が不愉快そうに鼻を鳴らした。
「何を偉そうに。ただの留守番のくせに大袈裟だわ。湖までは馬車でたったの二時間。早馬なら一時間、急がせればすぐ着く距離よ?」
「その通りだ、アリス。たった一時間の距離に、大仰な責任者など必要ないという結論になってな。お前もたまには出席させてやろうという、我々の配慮だ」
国王がさも寛大な君主といった顔でうなずく。
(出席させてやる、ですか。どこまで恩着せがましい……)
喉まで出かかった皮肉を飲み込み、アリスは表情を消した。
「かしこまりました。侯爵家の人間として、義務を果たさせていただきます」
「うむ、頼む。それと、王妃から当日のことで話があるそうだ」
国王はそれだけ言うと、メアリーとエドワードを引き連れて、嵐のように去っていった。
残された王妃は、これ見よがしにため息をついてアリスを睨んだ。
「アリス、当日のことだけど。スペーダ公爵家の若奥様のカーラが『荷が重くて体調を崩しそう』だと言うの。だから、あなたが代わりに当番をやりなさい」
「王妃殿下、わたくしはこれまで留守番ばかりで、ピクニックの差配など一度も経験がございませんが」
「言い訳をするなと教えているでしょう! 黙って完璧にこなしなさい。ああ、表向きは『アリスが強く希望したから譲った』ことにしておくから。いい加減、その甘えた態度を卒業しなさい」
王妃はそれだけ言い捨てると、こちらの返事も待たずに部屋を出て行った。
後には、静寂と激しい頭痛だけが残る。
アリスは深くため息をつくと、すぐさま実際の予定表を開き、この二年、実務の修羅場を共にしてきた優秀な文官、バートとヘドラーと話し合いを始めた。
それからの数日間、アリスは王宮の厨房にこもり、ひたすらスープの調理法を学んだ。
もともとは「有事の際、貴族自らが民のために炊き出しを行う」という建前のパフォーマンスだ。だが、ピクニックの場で大釜から配られるそのスープを、好んで口にする者はいない。他にもっと美味しいごちそうが山ほど用意されているのだから、わざわざそんな貧相なスープを飲む人間などいるはずがなかった。すべては「高貴な我が身」に酔うための、形だけの茶番だった。
自分が「作ったことになっている」スープを三つ、盆に載せ、アリスは執務室へと戻った。
「お疲れ様です、アリス様。いい匂いですね」
バートがすぐに気づいて声をかけ、ヘドラーが優しく微笑む。
「ああ、ピクニックなんて本当に出たくない。せっかく静かに休めると思ったのに、押し付けられた仕事のせいで台無しだわ」
「本当に……どうして上の方々は、アリス様にばかり食事の時間すら与えず、こうも酷使なさるのか」
憤るヘドラーに、アリスはふっと表情を和らげた。
「いいのよ、今日はスープがあるわ」
三人は、ヘドラーが自宅から持参してくれた素朴なサンドイッチを分け合い、スープを飲んだ。これが、彼女たちに許されたわずかな休息だった。
「そろそろ、妹と王太子殿下が孤児院の慰問を終える頃ね。また余計な約束をしてこなければいいけれど」
アリスの言葉に、二人の文官は苦笑しながら視線を落とした。
毎回、二人が現地で調子よく引き受けてくる「可哀想な人々のための約束」は、すべてこの執務室に丸投げされる。実務を担うバートとヘドラーには何の罪もない。だからこそ、アリスが毎回、二人の代わりに怒り役を買って出ていた。
妹のバーバラは「忙しいお姉様を助けたいから、先に現場の問題点を見つける」という殊勝な建前で動いている。
そして王太子は「慣れないバーバラが心配だから」という理由で、自分の公務を放り出して付き従う。――そして、彼が放り出した執務が、すべてアリスの元へ流れてくる。
つまり二人は、独りよがりの善意でアリスの首を絞め続けているのだ。
何度注意しても、エドワードは「バーバラの優しい気持ちを理解してやってくれ」と綺麗事を並べ、バーバラは「申し訳ありません、お姉様。でも、困っている人を見捨てられなくて……」と涙を浮かべる。
言うだけ無駄なのは分かっている。それでもアリスが毎月欠かさず小言を言うのは、「責任者として、彼らの越権行為を看過せず、正式に注意した」という記録を残すためだった。
時々、何もかもを放り出して、どこか遠いところへ消えてしまいたくなる。
「そうそう、ピクニックの日は二人ともしっかり休みを取ってね」
アリスは思い出したように、静かなトーンで言った。
「当日だけじゃないわ。その後、二、三日は続けて休んで。当然の権利よ」
「しかし、それではアリス様お一人の負担が……」
心配するバートに、アリスは今まで見せたことのない、どこか冷たく、それでいて晴れやかな笑みを向けた。
「いいの。ピクニックに参加した偉い方々は、みんな『疲れたから』って数日間は仕事をサボるでしょう? ――だから、わたくしも全く同じことをするわ」
その時のアリスの横顔を、二人の文官は後々まで忘れることができなかった。
後に二人は、あの時のアリス様はまるで、これから起こる王国の激動を、そのすべてを見通しているかのようだった、と静かに証言している。
そして――運命のピクニックの朝は、皮肉なほどに美しく晴れ渡っていた。
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