19 ビザンの帝都で
19 ビザンの帝都で
帝都での日々は、あっというまに過ぎていった。
アリスはアレクに付き添われて図書館に通い、軒を連ねる店に入っては珍しい品々に目を輝かせた。
侍女のラズベリーは「船旅の間もアリス様の手入れをしたい」と、買い込んだ化粧品を積みあがている。
アレクは新しいドレスも買ってやりたかったが、アリスが「もう十分です」と固辞するため、渋々諦めるしかなかった。
「店ごと買い占めてやってもよかったのに」とアレクが本気でがっかりしていると、
「国に戻ってから注文すればいいだろう。アリスに似合いそうなやつや、お前の瞳の色のドレスとかな」
と、デイビスが苦笑しながら慰めていた。
図書館の帰りにお茶をしている時にアリスが言い出した。
「アレク様、わたくしのことをリーブル王国へ知らせてもらっていいですか?」
「いいよ」とだけアレクは答えるとアリスが続きを話すのを待った。
「わたくし、バートとヘドラーにお礼を言いたい。それにお金を返したいのです」
「そうだな。大事なことだ」
「そして、用事が済んだらそれで終わり。すぐにクレールスター王国へ行きたいと思います」
「わかった。そのつもりで動くよ」
明日は、予約している帰りの船が出る。
夕食は、もう一度海の幸を楽しもうと、街のレストランへ出かけた。
今回は少し冒険をして、アレクは生魚のカルパッチョを注文してみた。
運ばれてきた皿を見て、アリスが嬉しそうに目を細める。
「これ、好きです」
「この辛口の白ワインも、良い選択ですね」
そう言って微笑むアリスに、アレクは驚いて目を丸くした。
「生魚を食べられるのかい? なかなか通だね」
「はい、わたくしお刺身が大好きなんです。米で作ったお酒と一緒にいただくと最高ですよ」
アリスはさらりと言ってのけた。
「刺身? それを食べたことがあるのか?」
デイビスが思わず身を乗り出す。
「はい。『海の一族』との会食に出席していましたので」
アリスはあっさりと答えた。
――海の一族。会食。
二人はとてつもなく重大な情報を得たと直感した。しかし、ここで興奮してアリスを警戒させてはいけない。ごく自然を装い、アレクは「へえ、会食って?」と相槌を打った。
「本当は王妃殿下が出席されるはずだったのです。王妃はわたくしの伯母です。父の姉ですので……その会食はとても重要な公務らしく、『今後のために』とわたくしも同行させられました。ですが、途中で王妃が体調を崩されてしまって。結局、わたくしが一人で出席することになったのです」
アリスはカルパッチョを口に運び、白ワインを一口含んだ。
「『伯母の代理で姪が参りました』と説明したら、とても温かく歓迎してくださいました。それ以来、ずっとわたくしが出席しているんです。伯母はいつも途中までは来るのですが、毎回のように体調を崩されるのですよ。おそらく、お刺身が苦手なのでしょう」
クスクスと笑いながら、アリスは楽しそうに続ける。
「でも、お刺身以外にも美味しいものがたくさん出るんですよ? 焼き魚に煮魚……それから茶碗蒸し。これは絶品です! キッシュとはまた違う、お出汁の美味しさといいますか。お酒も美味しいですし、お米の料理も素晴らしい。わたくしが一度にたくさん食べられないのを理解してくださって、一口サイズで出してくれるお気遣いも嬉しくて。お米のお酒だけでなく、梅のお酒もいけますよ……もう、あの会食に行けなくなると思うと、少し寂しいですね」
にこにこと語るアリスを見つめながら、アレクとデイビスはまったく同じことを考えていた。
(とんでもない拾いものをした……!)
その後もアリスは運ばれてくる料理を美味しそうに食べた。デザートのリンゴのゼリーを食べ終えると、「美味しかった」と満足そうに息を吐いた。
宿に戻った二人は、さっそく頭を突き合わせて話し合った。
「いやぁ、参ったな。アリスの価値が跳ね上がってしまったぞ」
頭を抱えて嘆くアレクに、デイビスが呆れたように、しかし確信を込めて返した。
「アリスさえいれば、あの国(アリスの祖国)ごと彼らを手に入れる必要すらなくなるな」とデイビスが言うと
「いや、あの国を滅ぼすわけにはいかなくなった。そんなことをすれば、今度はアリスの存在が目立ちすぎてしまう」
「確かにそうだな……」
デイビスは感心半分、呆れ半分でため息をついた。
帰りの船では、ラズベリーが全力でアリスの髪や肌を入念に手入れした。その合間を縫って、アリスは本を読み、ビザン帝国で気づいたことをまとめた報告書にまとめて過ごした。
アレクとしては、アリスがこの旅で何に気づき、何を考えたのかをどうしても知りたかった。だから大げさに「これは仕事だ」と言って報告書を書かせたのだが……
「アリス、ちょっといいかい?」
アレクは、前日にアリスから受け取った報告書を手に、彼女の客室を訪れた。
部屋の中では、侍女のラズベリーが不満そうに腕を組んでいた。
「ですからアリス様、お洋服を買っていただいたら良かったのです」
「だって、この歳になって背が伸びるなんて思わなかったんですもの」
アリスは、あの思い出の黄色のワンピースを着ていた。
「背が伸びて、丈がすっかり短くなってしまって……」
ラズベリーはアリスの裾を引っ張りながら「少し丈を伸ばしましょう。他のお洋服もすべて確認しなくては」と呟く。
アレクはここぞとばかりに口を挟んだ。
「やっぱり! 僕もそうだと思ったんだ。だから新しい服を買おうと言ったのに」
しかし、ラズベリーに「気づいていたなら、もっと強引にでも買わせるべきでした」と言わんばかりの鋭い視線で睨まれ、アレクは「いや、なんとなくね? 伸びたかなって思っただけさ」と愛想笑いで誤魔化した。
「でもラズベリー、私もう十九よ? 今さら伸びるなんて思わないじゃない」
アリスが苦笑すると、ラズベリーはきっぱりと言い切った。
「これまで伸びるだけの栄養と機会がなかったから、伸びなかっただけです!」
「船を降りたら、すぐに服を買いに行こう。ラズベリー、仕立て直す手間はかけなくていいからね」
アレクが助け舟を出したものの、ラズベリーは「いいえ、今着るものがありませんから」と、アリスの服を抱えてそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「ビザンの服、動きやすくて好きだったのですけれど。あちらの流行がこちらの国にも入ってくるといいですね」
アリスは去っていくラズベリーを見送った後、アレクに振り返った。
「あれ? アレク様、何かご用でしたか?」
「ああ、この報告書のことでね」
アレクは手に持った書面をアリスに見せた。
「この『ビザン帝国は自らが外に出て行くのではなく、外からの人や物を受け入れ、その良さを吸収して発展してきたように思える』という一文。どうしてそう考えたのか、詳しく聞かせてもらえるかい?」
アリスは少し気恥ずかしそうに頬を染めた。
「深く考えたわけではないのです。ただ、ビザンには国内に必要なものがすべて揃っているでしょう? わざわざ外に出ていかなくても、豊かな物資が手に入る。国は広く、万が一どこかの港が封鎖されたとしても、ビザン自体は決して困らない。そういった背景から連想した、ただの感想です」
彼女は少し俯き、自信なさげに指先をいじった。
「外国からの商人も多かったですし、きっと留学生も大勢いるのではないでしょうか。……あぁ、お恥ずかしいです。専門家の方が読んだら、子どもっぽい意見だと笑われてしまいますね。それに……旅行中、国の人々はとても親切でした。でも、親切な一方で『外国の人は可哀想だな』と思われているようにも感じたのです。船に乗ってビザンの外へ出ようとする私たちを、どこか気の毒そうに見ているような……。確かにすべてが揃っている素晴らしい国ですが、私の頭の中のまとまらない考えを、無理やり形にしたのがその報告書です。文才がなくて、申し訳ありません」
「なるほど……」
アレクは、アリスの観察眼の鋭さに改めて感嘆した。
「アリス。やっぱり君を雇って本当に良かった。邪魔をして悪かったね。素晴らしい報告書だ、ありがとう」
アレクは満足そうに微笑み、アリスの部屋を後にした。




