七月の昼休み
七月半ばの金曜の夕方、週明けの進捗報告に出す計算ノートが、最後の半頁ぶん残っていた。研究棟の自室は同期も後輩も引き上げ、空調の音だけが回っている。
シャープペンのノックを二度押して、芯を半分押し戻す。考えごとの合間の手癖だった。
ドアが開く軽い音がして、
「先輩、今日のサークルの飲み会、来られないんですか」
と声がした。早瀬だった。栗色のセミロングを耳のうしろに送る指が、返事より先に動く。片手にコンビニの袋を提げていた。
「ああ、ごめん」
画面を見たまま、半呼吸置いて返した。
「予定がある」
早瀬は唇のはしを少し尖らせ、すぐに笑いの形に戻した。
「彼女さん、ですか」
ノートの余白に置いた万年筆の先が、紙に触れたまま止まった。白い余白に、微かな点だけが滲んだ。早瀬は一拍だけ笑顔を保留し、潔く笑い直した。
「先輩、サークルの飲みだと女子に囲まれてるのに、全然なびかないから不思議だったんですよ」
「そういうの、向いてない」
早瀬は声を落とした。
「……でも、最近の先輩、なんだか変わりましたよね」
答えなかった。
「お相手の方、羨ましいです。お疲れさまでしたー」
早瀬は出て行った。ノートの白の上で、口の端がわずかに緩んだ。
万年筆のキャップを取り、窓の方へ一度かざして、インクの残量を光に透かして確かめる。ノートの右端の余白に、六桁の日付をいつもの並びで入れた。それから、机の上のものを左上から右下へ揃える。計算ノート、その横に刷り出した論文、筆記具立て、マグカップ、電気スタンド。
図書館へ寄った。民俗学のコーナーの前に桜井さんが立っていた。気配で振り向き、
「あ、こんばんは」
と顔を上げた。
「こんばんは」
自分でも気づくほど、返事がわずかに早く前に出ていた。




