崩れかけの街道は、三十歩だけ右へずらせば助かる
フォルン領の西街道は、荷車一台がやっと通れる幅しかない。
右は崖、左は湿地。
雨が降るたびに路面が沈み、商人たちは遠回りの山道を使うようになった。その結果、市場は閉じ、税収は落ち、領民は作物を売れない。
「補修費は?」
僕が尋ねると、セリアは苦い顔をした。
「王都の見積もりでは、金貨三千枚」
「高すぎます」
「ええ。払えません」
白紙地図を広げる。
街道の真下には、灰色の沈みが帯のように続いている。けれど三十歩右、崖に近い場所には固い岩盤が通っていた。
「街道を右へずらしましょう」
ミロが崖を見て青ざめる。
「右って、落ちるほうだよ」
「三十歩右へずらして、崖側に石垣を組む。湿地側を埋めるより安い」
ガルドが地面を杖で叩いた。
「岩盤があるなら可能だ。だが、そこは昔から禁足地だぞ」
「なぜです?」
「領境の杭がある。動かせば隣領ともめる」
僕は地図の黒いにじみを見た。
禁足地。
領境の杭。
動かせない街道。
嫌な線がつながる。
「その杭を見せてください」
案内された崖際には、古い石杭が立っていた。王国の境界紋が刻まれているが、周囲の土だけが新しい。
白紙地図を近づけると、黒いにじみが濃くなる。
「この杭、移動されています」
セリアが目を見開いた。
「領境杭を?」
「本来の位置は、三十歩先です。街道を右へずらしても、フォルン領内に収まる」
ガルドが低く唸った。
「誰かが街道を潰すために、杭を動かしたのか」
「街道だけではありません」
僕は地図を指す。
移動された杭の向こう側には、小さな森がある。公式地図では隣領の土地だが、白紙地図ではフォルン領の水源林として表示されていた。
「水源林も奪われています」
セリアの顔から血の気が引く。
「だから井戸が枯れた扱いにされた。水源を失ったことにすれば、税の減免を申請できる。でも実際には」
「水源林の権利を誰かが利用している」
風が崖を吹き上げた。
遠くで、荷車の鈴が鳴っている。
セリアは拳を握った。
「証明できますか」
「測量すれば」
「どのくらいかかります?」
「今日中に基準杭を三本。明日、街道の仮線を引く。三日あれば、監査に出せる図面を作れます」
彼女は迷わなかった。
「やりましょう」
ミロが測量鎖を肩に担ぐ。
「兄ちゃん、三十歩って僕の歩幅でもいい?」
「駄目だ。測量鎖で測る」
「ちぇっ」
その軽いやり取りに、セリアが小さく笑った。
追放された日のギルドでは、誰も地図を見なかった。
けれど今、僕の周りには、地図の先を見ようとする人たちがいる。
僕は白紙地図に新しい線を引いた。
西街道仮線。
三十歩右。
それは、ただの道ではない。
フォルン領がもう一度外の世界へつながるための、最初の線だった。
後書き:
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