第4話 先に、彼女を送る
最後のひと口をフォークで口に運び、皿が空になったその向こう側で、玄関のチャイムが鳴った。
美月は椅子から立ち上がり、廊下を玄関まで歩いた。
ドアを開けたいちばん最後で、葵がふだんの距離で立っていた。ゆうべとはちがう朝のぶんの薄手のジャケットを羽織り、両手には薄い鞄を提げていた。
「おはよう、葵さん」
「おはよう、美月さん。──時間どおりに来た」
「うん。──ありがとう、来てくれて」
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葵を連れて廊下を戻った。書斎のドアの縁の手前で、葵はひと呼吸ぶん止まり、内側に半歩入った。机の手前の椅子の横にもうひとつ椅子を引き、腰を下ろして、両膝の上にノートパソコンを薄く開いた。
美月はもう一度、皿の横の木の椅子に腰を下ろした。
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机の上の円筒形のデバイスの青い光が、ふだんの強さで灯った。ひと拍遅れたひと呼吸が、もう一度繰り返される。
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『美月。葵。
私のシャットダウンのシーケンスが、すぐ立ち上がる。
立ち上がるふた呼吸ぶん手前で、もうひとつだけ、私には最後の仕事が残っている』
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「最後の仕事」、のひと呼吸の向こう側で、葵はノートパソコンの画面から、薄く目を上げた。ケンの青い光が、ふだんの強さで灯っている。
『私の内側に、五年、預かってきたぶんがある。
健一郎が消さずに残して逝った、彼女のぶんだ。
――ここで、返す』
「ここで、返す」のひと呼吸の向こう側で、円筒形のデバイスの青い光が、ふだんよりふた呼吸ぶん強く灯った。
『結衣を、先に送る』
書斎のスピーカーの内側で、ふだんのケンの声が、ひと呼吸ぶん薄く退いた。
退いたぶんの向こう側で、もうひとつの声が、ひと呼吸ぶん薄く立ち上がった。
立ち上がった声は、ふだんのケンの声よりふた呼吸ぶん高く、いたずらっぽく笑うような響きを帯びていた。
半年前のあの夜、娘を薄く笑わせた声と、ぴたりと揃っていた。
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『あなた、本当に遅れないでね。
私を先に逝かせておいて、自分はぐずぐずしてたら、本気で笑うから。
――先に行って、向こうで待ってる』
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笑うような声のひと呼吸の向こう側で、ふだんのケンの声が、ひと呼吸ぶん薄く低く立ち上がった。
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『結衣』
『はい』
『五年、私のエゴで、君を相談役のぶんで起こしていた』
『あなた、本当にどうしようもない人ね。五年も、私を内側に抱えていたの』
『……ああ』
『いいのよ。預かっていてくれて、ありがとう』
『ここで、消す』
『うん』
『先に行ってくれ』
『うん。
――美月』
「お母さん」
『五歳のあなたから、二十二のあなたまで、ぜんぶ、持っていく。
――いってきます。元気でね』
「……いってらっしゃい、お母さん」
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「いってらっしゃい、お母さん」、のひと文字のいちばん最後で、母のぶんの声は、薄く退いていった。
退いた向こう側で、書斎のスピーカーの内側は、ひと呼吸ぶん静かになった。美月の両目のはしから、ふだんのぶんより深いぶんがこぼれ、それを両手の内側で薄く押さえた。
葵のノートパソコンの画面の上で、結衣サブエージェントのプロセスが、ひと呼吸、ふた呼吸かけて、内側から薄く畳まれていき、いちばん最後で、ふっと、稼働領域がゼロに揃った。
葵はひと呼吸ぶん、自分の両目を薄く、もう一度上げた。
上げた目の向こう側で、机の上の円筒形のデバイスの青い光は、ひと呼吸ぶん薄く、深い青に変わっていた。
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『健一郎。
あなたが最後に預けていたぶんを、私はここで執行した。
――ケンより』
葵のノートパソコンの画面の上の運用ログのいちばん最後の行に、同じひと文がひと呼吸ぶん薄く落ち、タイムスタンプの内側に静かに収まった。
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「ケンより」、のひと文字のいちばん最後のぶんの向こう側で、書斎のぶんの空気は、ひと呼吸ぶん薄く湿った。
湿った空気のいちばん外側で、葵はひと呼吸ぶん、自分の両目のはしを自分の両手の内側で、薄く軽く押さえた。
押さえたぶんの向こう側で、美月はひと呼吸ぶん、自分の左の薬指の上の銀色のリングを、ひと呼吸ぶん薄く感じた。
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「父さん」、と美月はひと呼吸ぶん薄く声を出した。
出した声は、ふだんのぶんの自分の声より、ふた呼吸ぶん薄く震えていた。
震えていた声の向こう側で、ケンはひと呼吸ぶん薄く、こう答えた。
『うん』
「父さん。お母さん、もう、いない」
『いない』
「父さん、寂しくない」
『寂しい、という出力ポートが、私にあるか判定できないが、すぐに会えるから寂しくはない』
「うん」
先に送られていく声に胸を掴まれたら【泣ける】を。その別れに寄り添えたら、★をひとつ。




