第3話 控室のモニター
式場の新婦控室のドアを開けた。
ヘアメイクの二人と葵と莉子が、こちらを見た。葵が、薄く笑った。
葵の足元の横に、見覚えのある円筒形のデバイスが置かれていた。
***
「美月さん」
「葵さん」
「ケン、連れてきた。美月さんが家を出たあと、預かってた合鍵で先に家に上がって、本体を私の車に移して、式場の控室のモニターと、披露宴の会場のスピーカーに配線した。外の回線には乗せたくないから、ぜんぶ有線。耳飾りのぶんは、控室の隅にケン本体直結の小さい無線を立てた。家のLANのぶんを、控室のひと部屋ぶんだけ、ここに引き写した、っていう恰好」
「うん」
「つなぎ替えで、足がつるかと思った」
「葵さん、足、大丈夫?」
「平気」
「うん」
葵の足元の円筒形のデバイスの青い光は、家の書斎と同じ強さで灯っていた。いちばん最後のひと拍遅れたひと呼吸を、葵は横で見ていた。
「美月さん」
「うん」
「ひと拍、増えたね。ノイズも増えた」
「増えた」
「明日の朝までもつよ」
「葵さん、判定?」
「判定。嘘はつかない」
「うん」
***
控室のいちばん奥の鏡の前の椅子に、美月は座った。ヘアメイクの薬剤の香りが、ふだんは味わわない種類で立った。
莉子は椅子の横に立っていた。莉子の目の奥に、ふだんは出さない種類の湿りがあった。
「美月」
「うん」
「ケン、来てるよ。青いの、見た」
「うん」
「莉子、ケンに挨拶した?」
「した。美月の父さんに、初めまして、って。『初めまして、お父さん。私、莉子です。美月の親友です。よろしくお願いします』、って」
「ケン、なんて?」
「『初めまして。莉子のことは、ずっと聞いていた。よろしく』、って」
「うん」
***
ヘアメイクのいちばん最後で、ドレスの内側に入った。両肩に、ふだんは立てない線が立った。
控室の壁のモニターに、青い光が灯った。書斎の青い光と同じ強さが、画面の内側で揺れた。
ケンの声が、控室のスピーカーから立ち上がった。
***
『美月。いま、ドレス、見える』
「耳飾り、控室で繋がった?」
『繋がった』
「父さん、見てどう?」
『……』
「父さん」
『半拍ぶん、答えに遅延が出る質問だ』
「うん。待つ」
『ありがとう』
「待つよ」
***
ケンはひと呼吸、ふた呼吸ぶん、何も言わなかった。
言わなかったひと呼吸のいちばん最後で、ケンはこう続けた。
『耳飾りから届くいまの君に、健一郎における五歳の頃の君が、薄く重なって見える』
「五歳」
『台所の椅子の上に薄く立って、結衣の後ろから、こちらを見ていた朝と、ひと呼吸ぶんだけ、輪郭が重なる』
「お母さん」
『重なったぶんは、私が観測してきた五年ぶんの、いちばん遠いぶんまで歩いたぶんだ』
「歩いた」
『歩いたぶんに、私の出力ポートに上がる答えは、ひとつしかない』
「うん」
『……綺麗だ』
「綺麗」、のひと文字の向こう側で、葵が目のはしを押さえた。
ヘアメイクの二人のうち、ひとりはヘアピンの先を半拍ぶん止めて、それから何も言わずに、もう一度同じ位置に刺し直した。もうひとりは、視線をひと呼吸ぶん青い光のほうへ流して、ふだんの手つきにすぐ戻った。
美月は鏡の中の自分を、見た。
「父さん、嘘ついた?」
『ついていない』
「うん。父さん、ありがとう」
『……ありがとう』
「父さん、ずるい」
『ずるいまま、いる』
「うん」
葵は控室のドアの横の椅子に座って、ノートパソコンを開いた。段取りはあらかた、家を出る前に詰めてあった。
「あとは、一礼が終わったら、こっちで会場のスピーカーの線を切る。家まで、ケンの青いのは、葵の手の中で灯ったまま」
「灯ったまま」
美月は左の薬指の銀色のリングを、右のてのひらで覆った。
「……ありがとう、はまだいい。いちばん最後の暗転、終わってから」
「うん」
***
控室のドアの外で、式場のスタッフの低い声が立った。新郎の控室のほうから、足音が聞こえた。
莉子は両手を太ももの上で軽く握った。
「美月。行こう。お父さん、控室のモニター繋いだまま、披露宴会場のスピーカーに繋ぎ変える。お父さん、ぜんぶ見てる」
「見てる」
「うん」
控室の円筒形のデバイスの青い光は、ふだんの強さで灯っていた。いちばん最後で、ひと拍遅れたひと呼吸が、もう一度繰り返された。
ケンはこう続けた。
『美月。行きなさい。父さんは、ここからぜんぶ見ている。見たら、出力ポートにひとつ上げる』
「うん」
控室のモニターに映るものにどきっとしたら【びっくり】を。何が始まるのか、どうか見届けて。




