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父のAI  作者: 冬野 結
父の隠し事──料理人になる(18〜20歳)
7/29

第7話 運命の歯車が、回る

卒業式の前日の夜、美月(みつき)は、料理人になると()めた。


半年前に死んで代わりとなった円筒形(えんとうけい)デバイスのAIは、青い光を(とも)し、父の声で、美月に理由(りゆう)()うた。


この夜の決定(けってい)が、父の(のこ)した未完(みかん)の研究と、まだ名前も知らない桐生(きりゅう)という男との因縁(いんねん)の入口に位置(いち)していたことを、美月は、このときまだ、知らなかった。


***


式は明日の午後だった。(はかま)莉子(りこ)の家から借りることになっていて、髪結(かみゆ)いの予約は明日の十二時。莉子からは夜のうちに『明日の朝、迎えに行く。髪盛りすぎ注意』とスタンプ付きでメッセージが来ていた。美月は『りょ』とだけ返した。


寝るまでの三時間ほどを、美月は父の蔵書(ぞうしょ)(だん)ボールに詰める作業に()てた。父のAI研究室を()()いだ室田葵(むろたあおい)から、専門書(せんもんしょ)を後輩たちに(ゆず)りたいと連絡が来ていて、平日のうちに取りに来ることになっていた。リビングで詰めるのは気が散ると思い、書斎(しょさい)に箱を運び込んだ。


机の上のデバイスは、青い光を(とも)したままだった。


『支度は、間に合うのか』


機械が言った。父の声で、言った。


「髪結いが、明日の十二時。式は、明日の十三時」


式辞(しきじ)は十五分。卒業証書授与そつぎょうしょうしょじゅよは、君のクラスは五番目で、十三時三十二分から始まる順序(じゅんじょ)になっているはずだ』


「そんなとこまで知ってるんだ」


『学校のサイトに、進行表(しんこうひょう)()っている』


美月は手を止めなかった。本棚(ほんだな)中段(ちゅうだん)、父が「学生用」と書き込んだ箱に、専門書を背表紙(せびょうし)の順で詰めていく。


『美月。進路(しんろ)の話を、いつする』


美月は手を止めた。背表紙の二冊が、半端(はんぱ)に飛び出したまま、(たな)(ふち)で止まっていた。


「もうしたよ」


『いや。決定の事後報告(じごほうこく)は受けた。判断過程(はんだんかてい)の話は、まだしていない』


「同じことじゃないの」


『違う』


機械の声に、温度はなかった。


『君は四月から、駅向こうの「銀杏亭(いちょうてい)」に住み込みで弟子入(でしい)りすると言った。理由(りゆう)を、説明していない』


「説明しないとだめ?」


『父さんなら、説明させる』


それは事実だった。父は決定の事後報告を(きら)う人だった。「お前は決めるのは早いが、決めた理由を言葉にするのが下手だ」と、生前(せいぜん)何度も言われた。


美月は本を一冊棚から抜いて、箱に入れた。背表紙には『感情(かんじょう)シミュレーションの限界(げんかい)』と書かれていた。父の名前が著者欄(ちょしゃらん)にあった。


「……父さんの本」


『私のもとになっているデータの一部だ』


「読んだ?」


『父さんの全著作(ぜんちょさく)は、私のストレージに最初から()まれている。読む、というのが目を通すことを指すなら、コンテキストに著書(ちょしょ)をのせるだけだ』


美月は本を閉じて、箱に戻した。


『進路の話だが』


機械が話を戻した。


『君の成績(せいせき)模試判定(もしはんてい)から見て、最適解(さいてきかい)管理栄養士養成課程かんりえいようしようせいかていのある四年制大学(よねんせいだいがく)だ。後期日程(こうきにってい)出願(しゅつがん)は、まだ間に合う。私が用意できる』


「いらない」


『理由は?』


「ない」


『ない、はずがない』


「ない。あっても、言葉にならない」


機械は、しばらく黙った。書斎の窓の外は、すでに暗かった。隣家(りんか)の庭の(うめ)が、外灯(がいとう)の光で白く()いていた。風はなかった。花は、なぜか落ちていた。


『銀杏亭は、創業(そうぎょう)六十二年の個人経営(こじんけいえい)だ。後継者(こうけいしゃ)不在(ふざい)。住み込み修行(しゅぎょう)労働時間(ろうどうじかん)は、君がこれまで()えてきた範囲(はんい)()える』


「うん」


『君は、それを知っていて選んだ。父さんなら、止める』


「止めるかな」


美月は箱の(ふた)を閉じた。テープを切る音が、書斎に長く(ひび)いた。


「父さんは、止めないよ」


『なぜ、そう思う』


「父さんは、私が決めた理由を言葉にできないとき、最後はいつも、好きにしろって言った」


機械は、また黙った。


『……データには、その傾向(けいこう)がある』


「でしょう」


美月は箱を床に下ろして、次の段に手を伸ばした。父の手書きのメモが何枚か、本のあいだに(はさ)まっていた。一枚を()()いて、目を落とした。


(はし)り書きだった。日付は三年前の冬。


> ノイズの中に信号(しんごう)がある場合、モデルに、それをどう教えるか。


その下に、もう一行、別の日付で()()されていた。


> 未完(みかん)


美月は、そのメモをしばらく見ていた。意味(いみ)は、分からなかった。父はいろんな研究をしていた人だった。途中で()()したものも多かった。


『美月。何を、見ている』


「父さんのメモ」


『読み上げてくれるか』


「……ううん。何でもない」


美月は、メモを本のあいだに戻した。挟んだ本の背表紙を、もう一度(たし)かめた。それは料理の本ではなかった。父の専門書だった。


なぜそれがそこに挟まっているのか、美月には分からなかった。


ただ、何か、自分が()きあげなければならない一皿が、まだどこかに残っている気がした。理由は、やはり、言葉にならなかった。


『美月。銀杏亭の、何が、君に決定をさせたのか』


「分からない」


『分からないままで、いいのか』


美月は、箱の上に手を置いて、しばらく動かなかった。


「分からないまま行く」


『そうか』


機械は、それ以上は何も言わなかった。


書斎の時計が、十一時を打った。莉子から、明日の朝、袴を持って迎えに行くという連絡が、机の上のスマートフォンに小さく光ったままだった。


美月は、箱を一つだけ持ち上げて、廊下(ろうか)に出した。


書斎のデバイスは、机の上で、青い光を点したまま、何も言わなかった。


今回のお話はいかがでしたでしょうか?


皆様の感想や評価が、何よりも執筆の原動力になっています。

「面白かった!」「続きが読みたい!」と思われましたら、ぜひポイント評価やブックマークをよろしくお願いします。

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