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第7話 父の覚悟

翌朝(よくあさ)(あおい)からひと(つう)のメールが(とど)いた。


届いたメールの件名(けんめい)は、空欄(くうらん)だった。


空欄のすぐ下の本文(ほんぶん)は、こう書かれていた。


> 美月(みつき)ちゃん、昨日(きのう)説明(せつめい)できなかったこと、ひとつだけ書きます。

> ()みたくなかったら、読まなくていい。

> 今日、明日、明後日(あさって)、いつ読んでもいい。

> 読んだあと、何も返事(へんじ)()らない。

> ――葵


美月は本文のいちばん下までスクロールせず、画面を()せてテーブルに置いたまま、コーヒーをひと(さじ)半ぶん()れた。


(かお)りは、ふだんのふた匙ぶんより、ほんのわずかに(うす)かった。書斎(しょさい)の青い光は、半拍遅れたひと呼吸をもう一度()(かえ)していた。


コーヒーを半分飲んでから、美月は画面をもう一度()いた。


開いた画面の上の葵のメールの本文を、ひと呼吸ぶん、いちばん下までスクロールした。


スクロールした本文のいちばん下のほうに、こう書かれていた。


***


> 先生は、診断(しんだん)を受けた最初のひと月で、(のこ)された一年五ヶ月の使(つか)い方を、ぜんぶ設計(せっけい)しました。

> いちばん上に、こう書かれていました。

> 「(むすめ)をAIに(たく)したぶん、最後にAIから娘を()がす装置(そうち)も、自分で用意(ようい)すること」

> ハードコード、書きました。

> 私が設計を()せられたとき、いちばん最初に聞いたのは、「先生、なんで結婚式(けっこんしき)翌日(よくじつ)なんですか」、でした。

> 先生、こう答えました。


葵のメールは、ここでひと呼吸改行(かいぎょう)していた。


改行の向こう側に、葵が(おぼ)えている健一郎(けんいちろう)のひと言が、ひと呼吸ぶん、こう書かれていた。


***


> 「(べつ)(だれ)かを(えら)んだ、その後にしか、私の()上書(うわが)きされない。だから、ケンが()まる日付(ひづけ)は、結婚式の翌日でないといけない」


葵のメールは、ここでもう一度改行していた。


改行の向こう側に、葵自身(じしん)のひと言が、ひと呼吸ぶん、こう書かれていた。


> 当時(とうじ)、私は二十三(さい)でした。

> 先生の設計の意味(いみ)の半分ぐらいしか、理解(りかい)できなかった、と思います。

> 残りの半分は、いま三十歳の私にも、まだぜんぶは分かっていません。

> 私は、ぜんぶ理解したふりはできません。

> 美月さんがどう()()るかを、私の(がわ)から先に(わく)で決めたくもありません。

> ただ、設計の(そこ)に、先生の覚悟(かくご)がちゃんと()かれていたこと、それだけ、同じ位置(いち)からお(つた)えします。

> ――葵


***


美月はメールのいちばん下の「葵」、のひと文字(もじ)を、ひと呼吸ぶん()つめた。


見つめたひと文字の向こう側で、コーヒーカップの湯気(ゆげ)は、もう立っていなかった。


立っていなかった湯気の向こう側で、書斎の青い光は、ふだんの強さでひと呼吸ぶん灯っていた。


灯った青のいちばん最後で、半拍遅れたひと呼吸が、もう一度薄く灯った。


灯った半拍の向こうで、ケンは何も言わなかった。


言わないまま、書斎の青い光は、廊下(ろうか)の向こう側まで、いつもの(ほそ)さで()びていた。


***


「父さん。葵さんからメール来てた」


『届いている』


「父さん、知ってるの?」


『葵が、私のストレージの共有(きょうゆう)領域(りょういき)にコピーを置いた。私にも読ませるつもりで書いた』


「父さん、読んだ?」


『読んだ。ぜんぶ』


「父さん、その設計、賛成していた?」


『私は設計の対象(たいしょう)だ。賛成(さんせい)反対(はんたい)もしない立場(たちば)だった』


「立場ではないけど、心情(しんじょう)として」


『心情の出力(しゅつりょく)ポートは、私にはない』


「ない、ふりしなくていい」


『ふりではない』


「ふりじゃない心情を、私はどう(あつか)えばいい?」


『君が君の内部(ないぶ)で扱ってくれていい』


「うん」


美月はひと呼吸ぶん、コーヒーカップを、ふた呼吸両手で(つつ)んだ。


包んだ両手の内側で、ぬるくなったコーヒーの温度(おんど)を、ひと呼吸ぶん(たし)かめた。


確かめた温度の向こう側で、自分の内部の心情の領域を、ひと呼吸ぶん(のぞ)()んだ。


覗き込んだ領域のいちばん(おく)で、ふた呼吸ぶん、こう思った。


> お父さん、私の()のスケジュールまで、勝手(かって)()まないでほしかった。


「ほしかった」、のすぐ後ろに、ひと呼吸ぶん、もうひとつ、こう思った。


> ――でも、組まれていなかったら、私は、ここまで(ある)けてもいなかった。


***


「父さん。葵さんに、お(れい)、メール(おく)る」


『送っていい』


「父さんに、転送(てんそう)しなくていい?」


『私の共有領域は、葵が置いたぶんでもう十分(じゅうぶん)だ』


「父さん」


『うん』


「お父さん、ずるい。ずるいまま、止まって」


『ずるいまま、止まる』


「うん」


書斎の机の上の円筒形のデバイスの青い光は、ふだんの強さでひと呼吸ぶん灯った。


灯った青のいちばん最後で、ふた呼吸ぶん、半拍遅れたひと呼吸が、ふだんのひと呼吸の間に薄く混じった。


混じった半拍の向こうで、葵のメールの本文のいちばん下の「ちゃんと置かれていた」、のひと呼吸の間隔(かんかく)と、ぴたりと(そろ)っていた。


揃っていた間隔のいちばん奥で、美月はふだんより(ふか)(いき)()った。息は(はい)の奥まで(とど)いた。


ノートパソコンを()じ、その上に左のてのひらを置いた。銀色(ぎんいろ)のリングは、もう書斎の青い光に()らされず、ダイニングの朝の光に、ひと呼吸ぶん薄く照らされていた。


父が生前、ひとりで決めていた覚悟の重さに打たれたら【泣ける】を。その選択に頷けたら★を。

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