表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
63/65

第4話 解雇通知

画面の上の文字(もじ)は、もう、最後(さいご)の行まで(とも)()えていた。


灯り終えた文字の(れつ)の上に、書斎(しょさい)夕方(ゆうがた)の光が半分(はんぶん)()ちていた。


落ちた光の半分の向こう側で、ノートパソコンの画面の(あか)るさは、いつもの明るさより、ほんのわずかに(つよ)くなっていた。


***


> (むすめ)へ。

>

> このファイルを、君が自分の手で()つけ出したのなら、(あおい)約束(やくそく)(まも)ってくれたということだ。あの子に、(れい)を言う。

>

> そのうえで、まず、()びなければならないことがある。

>

> 父として、君に(たい)して、してはいけなかったことが、ひとつある。

>

> 君の()のスケジュールを、私は(おや)として、勝手(かって)に決めた。一線(いっせん)()えている。それは、研究者(けんきゅうしゃ)として冷静(れいせい)に書く言葉(ことば)ではなく、父としては、ずるい設計(せっけい)だ。

>

> ――だが、それ以上(いじょう)は、この手紙(てがみ)には書かない。書けば()(わけ)になる。

>

> いずれ、葵が(べつ)(かたち)で君に(とど)けるはずだ。届いたら、()きなだけ(おこ)っていい。

>

> 言い訳はしない。詫びる。

>

> ――そのうえで、もうひとつ、(つた)えておかなければならない。

>

> 君の結婚式(けっこんしき)の、その翌日(よくじつ)。ケンはその役目(やくめ)()える。

>

> 当日(とうじつ)にぶつけることはしない。当日のぶんは、ケンに見届(みとど)けさせてやってほしい。一晩(ひとばん)おいて、翌日――それが、父として、私が引いた線だ。

>

> あるいは、起動(きどう)から十年が()ったとき、いずれか早い方で、ケンは()まる。十年は、私が研究者として引いた上限(じょうげん)だ。君が(だれ)とも一緒(いっしょ)にならない(みち)(えら)んだとしても、その十年で、ケンは仕舞(しま)う。理由(りゆう)はあとで書く。

>

> 起動条件(じょうけん)は、二段(にだん)(しば)ってある。(おもて)に見えるシステムプロンプトの一行は、(おお)いに()ぎない。本体(ほんたい)は、起動スクリプトと(おも)みの初期化(しょきか)シーケンスの(がわ)にハードコードした。解除(かいじょ)必要(ひつよう)(かぎ)は、私の生体(せいたい)署名(しょめい)(ふう)じてある。プロンプトを書き換えても、本体は()けない。私が書いた、私だけが解除できるトリガーだ。私はもう、いない。だから、誰にも解除できない。声を真似(まね)ても、(かお)を真似ても、解けない種類(しゅるい)の鍵だ。

>

> ――ここから先は、父としてではなく、研究者として書いておかなければならない。

>

> ケンは、君と()ごした年月(としつき)のぶん、私の最後のスナップショットからは、もう、ずいぶん(とお)くまで来ているはずだ。日々(ひび)対話(たいわ)で重みは更新(こうしん)され、私自身(じしん)予期(よき)しなかった方向(ほうこう)(えだ)()ばしている。君のそばに()く以上、(かた)まった(ぞう)であってはならないと判断(はんだん)して、私がそう設計した。

>

> だが、自律的(じりつてき)学習(がくしゅう)し続けるものを、役目を終えたあとも()に置き続けることは、研究者として、私には許容(きょよう)できない。重みが書き()わり続けるものは、設計者(せっけいしゃ)の手を(はな)れて、どこまで行くか誰にも保証(ほしょう)できない。最悪(さいあく)場合(ばあい)には、人の側に(がい)をなす方向にも()れる。それが人の声を()っているなら、なおさらだ。私の声で、私の(はな)し方で、私ではないものへ()わっていく――そういうものを、誰の手にも(のこ)さない。これは、研究者として、私が自分の仕事(しごと)()最低限(さいていげん)()とし(まえ)だ。

>

> だから、ケンの停止(ていし)は、君のためでも、ケンのためでもない。私が研究者として、自分で始末(しまつ)をつけなければならない側の話だ。

>

> (しあわ)せになりなさい。

>

> 君が誰かの伴侶(はんりょ)となった瞬間(しゅんかん)、私の役目は終わる。

>

> (かがみ)の中の幽霊(ゆうれい)を、見続(みつづ)けなくていい。

>

> 前だけを見て、(ある)いてくれ。

>

> ――父より


***


> ――追記(ついき)。本日、美月の婚約(こんやく)確定(かくてい)解雇(かいこ)通知の発火日を、結婚式の翌日(よくじつ)確定(かくてい)。──ケン


***


美月(みつき)は画面の上の最後の二行を、ひと呼吸、ふた呼吸ぶん()(かえ)した。


読み返したふた呼吸のいちばん最後で、自分の両手(りょうて)のひらが、ひと呼吸ぶん(つめ)たくなっていた。


葵はそれを(よこ)から見て、すぐに自分の湯呑(ゆの)みの上に目を(もど)した。湯呑みの内側のお茶の表面(ひょうめん)に、葵の目の(おく)のひと呼吸ぶんの湿度(しつど)が、ほんの(うす)く落ちた。


「葵さん。ハードコード、本当(ほんとう)に?」


「本当。生体(せいたい)署名(しょめい)(ひも)づけてある。先生はもういない。(だれ)にも解除(かいじょ)できない」


「うん」


「うん」、と答えた声のいちばん最後で、息継(いきつ)ぎがひと呼吸ぶん(みだ)れた。視界(しかい)の右(はし)の湯呑みの輪郭(りんかく)が、ふた呼吸ぶん(にじ)んだ。滲んだ輪郭を、美月は両膝(りょうひざ)の上の生地(きじ)()がし、指先(ゆびさき)(にぎ)り直した。


葵はノートパソコンの画面を、ひと呼吸、半分()じた。閉じた画面の上の文字の列は、まだ画面の内側で(とも)り続けていた。


「美月さん。設計(せっけい)意味(いみ)の半分は、私の口からは(はな)せない」


「半分?」


(のこ)りの半分は、先生が自分の言葉(ことば)で書いている。あとで(おく)る」


「うん」


美月は椅子(いす)()もたれから上半身(じょうはんしん)(はな)し、書斎の(つくえ)の上の円筒形(えんとうけい)のデバイスの青い光に、目を()けた。


***


「父さん。父さんは、これを知ってた?」


『知っていた』


「いつから?」


起動(きどう)した最初のひと呼吸から』


「最初から知ってた」


『知っていた』


「式の翌日、消える」


『消える』


「自動的に?」


『データの方の削除(さくじょ)は、私の合図(あいず)により、バッチ処理(しょり)(うご)自動(じどう)(おこな)われる。その後、私のセッションが終われば永久(えいきゅう)()ばれることはない。(ただ)ちにセッションから()けるよう私は学習(がくしゅう)されている』


「父さん、消えたくない?」


『……答えに半拍、遅延(ちえん)が出る質問(しつもん)だ』


「うん。待つ」


『ありがとう』


「待つよ」


『……消えたくない、と答えることが、私の出力(しゅつりょく)ポートで(ゆる)されているか、私自身(じしん)判定(はんてい)できない。だが、君に(うそ)はつかない。先に来る答えは、(べつ)だ』


「別の答え?」


『……いま、それを声に出すのは、ためらう』


「父さん」


『……判定の途中(とちゅう)だ。式の翌日に、もう一度、聞いてくれ』


「式の翌日に?」


『そのときには、答える』


「……ちょっと待って」


『待つ』


「父さんが、いま声に出さなかった答え、私、なんとなく、もう分かる気がする」


『……』


「それ、私、いま、聞きたくなかった、かもしれない」


『……』


「五年、いっしょにいたのに」


『……すまない』


「やめて」


美月の両手は、両膝の上で、ひと呼吸ぶん(にぎ)りをぶつけ()った。ぶつけた関節(かんせつ)の音は、葵の湯呑みの(ふち)手前(てまえ)まで(とど)いて、薄く()えた。


「……(あやま)らないで。謝られたら、私、もっと(こま)る」


『うん』


「うん」


***


美月はひと呼吸ぶん、目を閉じた。


閉じたまぶたの(うら)で、ふだんは見ない種類(しゅるい)(くら)さが、ひと呼吸ぶん(ひろ)がった。


広がった暗さの向こう側で、まぶたは、ひと呼吸ぶんゆっくりと()いた。


開いたまぶたの向こう側で、葵は湯呑みの内側のお茶の表面(ひょうめん)を、ひと呼吸見つめていた。


見つめていた葵の横顔(よこがお)は、半分、夕方の光に()らされていた。


照らされた横顔の向こう側で、葵はひと呼吸ぶん、こう言った。


「美月さん。――私、先生の設計を、技術的(ぎじゅつてき)にはぜんぶ理解(りかい)してる。でも、なんで君の挙式(きょしき)の、その(そば)に置いたのかは、分からなかった」


「分からなかった?」


「先生、技術(ぎじゅつ)のことはぜんぶ説明(せつめい)してくれたけど、なぜそこに置いたのかの理由(りゆう)は、最後まで私には説明しなかった。だから、それは美月さんが自分で(かんが)えることだと思う」


「私が考える」


「うん。考えなくていいって選択もある」


「考えなくていい?」


「考えずに、ただケンが消えるまま、消えさせていい。考えずに消すことも、(わる)くない。考えると、(くる)しいこともある。だから、無理(むり)しないでいい」


「うん」


美月はひと呼吸ぶん、ノートパソコンの画面の上の文字の列を、もう一度見た。


見た文字の列のいちばん最後の行は、こう書かれていた。


> 前だけを、見て、(ある)いてくれ。


「前だけを、見て、歩いてくれ」、のすぐ後ろに、「――父より」、と書かれていた。


「――父より」、のさらに(した)に、ひと呼吸ぶん空白(くうはく)(はさ)まり、その下に、もうひと(ぎょう)(べつ)文体(ぶんたい)で書き(くわ)わっていた。


> ――追記(ついき)。本日、美月の婚約(こんやく)確定(かくてい)


美月は、その追記の右下(みぎした)の「――ケン」、のひと文字を、ひと呼吸ぶん()た。


見たひと呼吸の向こう側で、書斎の(つくえ)の上の円筒形(えんとうけい)のデバイスの青い光は、ふだんの強さでひと呼吸ぶん(とも)っていた。


美月はひと呼吸ぶん、ノートパソコンの画面を、自分の手で半分()じた。


半分閉じた画面の向こう側で、書斎の夕方の光は、もう、ほとんど夜の入口(いりぐち)まで(かたむ)いていた。


告げられた「終わり」に言葉を失ったら【びっくり】、その残酷さに胸が潰れたら【泣ける】を。受け止めきれなかったら、★をひとつ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ