第3話 DCファイル
葵のノートパソコンの画面の上で、灰色のフォルダはまだ、ひと呼吸、ひと呼吸薄く点滅していた。
点滅の間隔は、書斎の円筒形のデバイスの青い光のひと呼吸、ひと呼吸とぴたりと揃っていた。
揃っていることの意味を、美月はひと呼吸考えた。
考えたひと呼吸のいちばん最後で、それがケンの内部のクロックと、フォルダの点滅のクロックが、同じ源から出ていることだと理解した。
理解したまま、美月は葵のノートパソコンの画面の前に、椅子をひと呼吸ぶん寄せた。
***
「葵さん。これ、開くには、どうすればいい?」
「ファイル名をダブルクリック。ふつうのテキストファイル」
「暗号化されてる、とかない?」
「先生は暗号化しなかった」
「なんで」
「美月さんが見つけたら、その時は見せたいと思ってたんだと思う」
「うん」
葵がノートパソコンを美月のほうに向けた。白いウィンドウの内側に、ファイル名がひとつだけ表示されていた。
美月は人差し指の爪をひと呼吸近づけ、影が文字列の上を過ぎたところで、いったん引いた。
***
「父さん。これ、開いていい?」
『私がいい、と言える立場ではないかもしれない。立場ではないが、君が開けることを、私は止めない』
「止めなくていいの?」
『止めなくていい』
「父さん、止めてほしいって思ってない?」
『思っていない』
「うん」
「父さん、その答え、いつから用意してた?」
『用意していたわけではない。いまの答えだ』
「うん」
***
美月はひと呼吸、息を吸った。いつもより、ほんのわずかに深い息だった。人差し指がトラックパッドを軽くふた回叩くと、白いウィンドウが半透明になり、別のウィンドウが立ち上がった。タイトルバーには、こう書かれていた。
> DC_20XX_終了.txt
タイトルバーの下の本文領域は、まだ白いままだった。
「葵さん。白いままだけど」
「……ケンが、間を置いてる」
「ああ、そうだね」
***
ふた呼吸目のいちばん最後で、白い領域のいちばん上に「娘へ。」、と灯った。続く行は、ひと呼吸、ひと呼吸、書斎の青い光の半拍遅れたひと呼吸の間隔とぴたりと揃って、文字を増やしていった。
「父さん。文字の間隔が、父さんの息の間隔になってる」
『原文は、本人が書いた。テキストとしてはふつうなら一瞬で開き終わる。葵のビューア越しに、私が健一郎本人の息の間隔で一文字ずつ流している』
「うん」
美月はひと呼吸、椅子の背もたれに寄り掛かった。
葵は自分の湯呑みを両手で握り直した。湯呑みの内側のお茶は、もう湯気を立てていなかった。
葵は何も言わずにノートパソコンの画面を見つめていた。文字の列はひと呼吸、ひと呼吸増えていき、いちばん最後の行で、ひと呼吸ぶん、入力が止まった。
止まったひと呼吸のいちばん最後の文字は、こう書かれていた。
> ……
「……」、の後ろに、まだ文字は続くはずだった。
はずだった続きの文字を、画面はふた呼吸ぶん出力しなかった。
「父さん。止まった?」
『私の出力ポートが半拍遅れているだけだ』
「うん。読みたくないわけじゃない?」
『読みたくないわけではない』
「うん」
***
ふた呼吸目のいちばん最後で、画面の上に続きの文字が灯り始めた。「幸せに」、の三文字までを読んだところで、美月はひと呼吸、目を閉じた。
閉じたまぶたの裏で、書斎の青い光が、半拍遅れてひと呼吸揺れた。
揺れた青の奥で、半年前のあの夜の母のいたずらっぽい声が、ひと呼吸ぶん薄く灯った。
灯った母の声は、こう言っているような気がした。
> ねえ、あの人ったらね。
母の声は、もう、家にはいなかった。
いなかったまま、美月はまぶたをひと呼吸ぶん、開けた。
開けたまぶたの向こう側で、画面の上の文字は、もう、最後の行まで灯り終えていた。
隠されていた「DCファイル」の存在に背筋が冷えたら【びっくり】を。続きを読まずにいられなくなったら★を。




