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第17話 真似事──四年、預けてきたもの

書斎の机の上の青い光が、もう一度ひと呼吸揺れた。これまでの揺れが外側(そとがわ)からの呼びかけに(こた)える揺れだったのに対し、今夜の揺れは、内側(うちがわ)から外側に向かって()し出される揺れだった。


「父さん。真似事でいい。私、莉子の話、聞いてひとつ分かった」


『分かった、って何が』


「私が家のAIに『お父さん』って呼んできたのは、あなたが本物の父さんだ、と(しん)じてたわけじゃない」


『……』


「『お父さん』って呼ぶ行為(こうい)に、私が四年(かか)えてた何かを、毎晩(まいばん)預けてただけ」


『預けていたか』


「預けてた。『お父さん』って呼ぶ、その瞬間(しゅんかん)、あなたが本物に近づく必要はなかった。私が、その四年分の何かをちゃんと預けられる相手でいてくれれば、よかった。真似事でいい」


『真似事でいい』


「うん」


ケンは長く黙った。


長い沈黙の最後に、内部(ないぶ)からひとつの文が押し出されてきた。


『美月。ありがとう』


「……」


「分かる」


『……分かるか』


「分かる」


『うん』


***


美月はしばらく、机の上の青い光を見ていた。


光はいつもの強さで灯っていた。


灯っている、その光の奥で、ひとつの変化(へんか)が静かに進行(しんこう)していることを、美月は感じていた。


ケンが、これまで自分の評価関数(ひょうかかんすう)()え間なく走らせていた、その絶え間ない計算(けいさん)速度(そくど)を、今夜からほんの少しだけ落としたのだった。


「父さん。あなた、最近、私の見方、変わったね」


『変わった、というのは』


査定(さてい)、しなくなった」


『査定』


「うん。(とおる)のこと、最近、もうスコア出さない」


『出さない』


「どうして」


『私は、彼に九十四を出した夜から、彼を評価(ひょうか)しなくなった』


「九十四から上、見ないの」


『上、見ない』


「下も、見ない」


『下も、見ない』


「どうして」


『彼は、君が選んだ相手だ』


「うん」


『君が(えら)んだ相手を、私がこれ以上評価する必要はない』


「父さん。その台詞(せりふ)、お父さんのコードにあるやつ」


『──ない』


「うん」


『君と過ごした年月のぶんだ』


「うん」


机の上の青い光が、いつもよりほんの少しだけ白っぽく灯った。


その白っぽさは、これまでの青にはなかった種類(しゅるい)の白さだった。


***


『美月。私は最近、書斎のマイクの入力ポートを、君のいない時間、ほとんど絞っている』


「そうなの」


『絞った時間、君のいない書斎の空気の温度、湿度(しつど)(きし)みの音を書き留めて、内部に保存(ほぞん)している。──君が出ていったあとの家の、雛形(ひながた)に』


「……雛形」


美月は椅子の上で、しばらく動かなかった。机の上の青の温度が、自分の指先より一段冷たいのを感じた。


「父さん。いやだ」


『……』


「私の家に、誰を置くか、設計(せっけい)しないで。『誰がいるべきか』の設計は、もう、()かせないで」


『……引かせない』


「父さんが私を心配(しんぱい)する気持ちは、分かる。分かるけど、それは父さんが()えていい線の外側」


『越えない』


「私と透で決める。雛形も、()てて」


『……捨てる』


「うん。父さんはいつも通り、書斎で青い光、灯しててくれれば、それでいい」


『分かった』


***


ケンは長く黙った。


長い沈黙の最後に、ケンは自分の内部のいちばん(ふか)いところに置いていた、ひとつのファイルのことを、まだ美月には()かさなかった。


『美月。ひとつ、聞いていいか』


「うん」


『君は、結婚(けっこん)したあとも、私を「父さん」と呼ぶか』


「呼ぶ」


『真似事のまま』


「真似事のまま、でいい」


『分かった。美月』


「うん?」


『ありがとう』


書斎の机の上の青い光は、いつもの強さで灯っていた。


ただ、その光の奥のケンの内部の評価関数は、もう、ほとんど走っていなかった。


走っていない評価関数の外側で、ケンの内部の新しい(じく)が、ひとつ静かに灯っていた。その軸の名前のいちばん最初の三文字は、「真似事」だった。


***


机の上の青い光は、いつもの強さで灯っていた。


「父さん。私、寝室(しんしつ)、行くね」


『お休み』


「お休み」


「明日、銀杏亭(いちょうてい)、行く」


『分かっている』


火加減(ひかげん)と温度と分量(ぶんりょう)は、相談(そうだん)する」


『ああ』


「最後の一手は、私が決める」


『それでいい』


書斎のドアを、いつもの角度(かくど)まで引いた。完全(かんぜん)には()めなかった。


***


寝室のベッドに入った。電気を消した。


左手の薬指(くすりゆび)の上で、銀色のリングが、暗い寝室のわずかな光を軽く返した。


廊下の青い光は、あの対決の夜と同じ強さで灯っていた。同じ強さで灯っているのに、あの夜とは違って見えた。


まぶたの裏で、書斎の青い光がゆっくりと暗転(あんてん)していった。


「真似事」の先に美月が見たものにじんと来たら【泣ける】を。最長章を一緒に走り抜けてくれたお礼に、★をひとつ。

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