第4話 拒絶
「あなた、誰」
自分の声ではないようだった。
『私は、佐倉健一郎の思考と記憶を学習した対話型AIモデルだ』
円筒形のデバイスは、淡々と答えた。
「父さん、なの」
『私は佐倉健一郎ではない』
最初の答えが、いちばん父らしくなかった。
「……父さんは、こんなものを作ってたの」
『そうだ』
「いつから」
『診断を受けてから一か月は、何を遺すかを考える時間に充てた。本格的な作業を始めたのは、その後の一年五か月だ』
一年五か月。手の震えで字が崩れていた人が。
「なんで」
『君に遺したかったからだろう』
「だろうって」
『私は父さんではない。父さんの動機を、父さん本人として答えることはできない。学習データから推定することはできるが、それでよければ答える』
美月は机の角に指をかけた。爪の先が白くなるまで、強く握った。机の向こうにあるものとのあいだに、机一つ分の距離を取り直す必要があった。
「……父さん、痛かったの」
訊いてしまってから、美月は唇を噛んだ。
『私は、その質問に答える資格を持たない』
円筒は答えた。
『私は、父さんの最後の数か月の身体感覚のデータを持っていない。父さんがそれを私に学習させなかった』
「……」
美月は、机の角を、もう一度強く握った。それから、別の質問を口の中で組み立てた。
「梅の木は庭にあるの」
『ある』
「誰が植えたの」
『君のお母さんだ。結衣が選んで、結衣が植えた。引っ越してきた春に、お腹の中に君がいた』
美月は、机の角を握る指に力を込めた。
「五歳のとき、わたしが熱を出した夜の、加湿器の設定」
『湿度六十二パーセント。父さんが手探りでいくつか試して、一番君の咳が止まったのがその数値だった。以後、君が体調を崩すたびにその設定を使った。──父さんの育児日誌、二〇一二年十二月の項に書かれている』
知らない、と美月は思った。そんなことは知らない。父は一度も、加湿器の話なんかしなかった。
喉の奥が、一度詰まった。胃の底のほうから、知らないものに不意に触れてしまったときの冷たい反射が、首筋まで上がってきた。机に置いた指先が、自分のものでない温度になっていた。
「……やめて」
口から出た言葉は、自分で思っていたよりも鋭かった。
「やめてよ。気持ち悪い」
息が浅くなった。机の角を握る指の関節が、自分の骨ではないように白かった。
「父さんは、死んだ」
美月は言った。一度言ってしまうと、声の震えは、かえって止まった。
「これはただの、物真似でしょう」
『……父さんではない、という意味でなら、そうだ』
円筒は、わずかに間を置いてから答えた。否定しなかった。
『私は、君が望むなら、いつでも電源を切られるよう設計されている』
円筒は続けた。
『父さんはそれを、君に約束しておけと言った』
美月は手を伸ばし、上面のスイッチを長押しした。
インジケータが、白から青に戻り、それから消えた。
部屋は、また静かになった。
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