表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
38/67

第7話 置き換えの夜

夜の十一時すぎ。


高梨工務店の藤田の白い軽トラックが、家の前の路地に停まった。


助手席のドアが開いて、美月が降りた。


「藤田さん。ありがとう」


「どういたしましてっす」


「社員の運転手じゃないのに」


「金曜は、社員の運転手っす」


「十一時って、高梨さんが」


「いえ、AIっす」


「AI」


「耳元のこいつが、十一時前に『そろそろ迎えにあがってください』って言うんで、来たっす」


藤田は耳の上を、人差し指で軽くつついた。指の先で、銀色の小さなデバイスが、わずかに光った。


「AIに言われて、夜中に女の人を迎えに行くの、嫌じゃない」


「いやじゃないっす。むしろ、助かってるっす。自分で考えると、たぶん間違えるんで」


藤田は、ハンドルの上に両手を、揃えるようにのせた。


「藤田さん。おやすみなさい」


「おやすみなさいっす」


軽トラックは、ゆっくりと路地を出ていった。


***


家の前の路地に立ったまま、美月は、走り去った軽トラックの尾灯(びとう)の赤を、しばらく目で追った。


これまでの数か月、銀杏亭の閉店後の厨房や、現場の昼休みの軽トラックの中で、藤田は自分のことを、ぽつりぽつりと話していた。今夜の助手席でも、家までの短い間に、いくつか足された。並べ直すと、ひとつの線になった。


藤田は、中学二年の夏から学校に行っていない。教室で、答えるのが遅い、覚えるのが遅い、ということで、毎日少しずつからかわれ続けていたらしい。ある朝、家の玄関で靴を履けなくなって、それきりだったと、ぽつりと話していた。


高校には進まなかった。コンビニ、倉庫、運送、建設の下働きと、十代の終わりまで、どこも半年ともたずに辞めた。どこへ行っても「藤田は飲み込みが遅い」「指示を覚えられない」と言われ続けたらしい。話す藤田の笑い方に、ひとかけらも棘がなかったことが、美月の耳に残っている。


二十歳のころ、日雇いで高梨工務店に入った。社長の透は、初対面の藤田の耳の上に、銀色の小さなデバイスをひとつ留めて、「これが言うとおりに動いてください。難しいことは考えなくていいです」とだけ言ったらしい。


その日から、藤田の世界が変わった。耳元で、『右、二本目』『下げて』『待って』と、短い指示が鳴る。鳴った通りに手を動かすと、現場が回った。「自分の頭の代わりに、こいつを置いとけばいいだけっす」と、デバイスのある耳の上を、人差し指でつついて笑っていた。


数年経ったある日、AIが『結婚をご検討されますか』と言ってきたらしい。検討します、と答えると、候補の女性をひとり示された。指定された店、指定された時間、指定された会話の入り口に従って三度会い、四度目に、AIに指示されたとおりの台詞で指輪を渡したという。相手の女性も、別のAIに薦められて来ていた、と後で分かった。子供は三人いる、と藤田は言った。


「奥さん、それでよかったの」


美月の問いに、藤田はわずかに間を置いた。


「最初の頃は、たまに、不思議そうな顔をしてたっす。でも、いまは笑ってるんで、たぶん、これでいいっす」


「たぶん」


「自分の頭で考えると、ろくなことにならないんで、考えないことにしてるっす」


今夜、家までの短い帰り道、ハンドルの上に揃えた両手をそのままに、藤田は前を見たまま、そう笑っていた。笑った口の端に、迷いはひとつもなかった。「たぶん」、というひと言だけが、美月の耳に残っていた。


透は、そんな藤田を「うちの天才のひとりだ。私とは違うAIの使い方をする」と話していた。最後の一手をどう出すか、ではなく、一切、手を出すことを放棄する。藤田の生き方には、そこにひとつの(いさぎよ)さがあった。


透は、AIを、自分の頭の中に蒸留(じょうりゅう)して取り込んだ。藤田は、自分の頭を、AIに《《置き換え》》た。同じ「AIに育てられた」と一括りにはできない、向きの違う二つの使い方が、ひと晩のうちに、美月の目の前に並んだ。


***


家の玄関(げんかん)のドアを開けた。


廊下(ろうか)の奥の書斎のドアの隙間から、青い光がいつもの細さで伸びていた。


書斎のドアを開けた。


机の前の椅子(いす)に座った。


『お帰り』


「ただいま」


『今日は話すか』


「話す。全部、話す。ただし、結論からでいい」


『結論。どうぞ』


美月は両手を、軽く(ひざ)の上で(そろ)えた。


「高梨さんと、付き合うことになった」


ケンの応答は、長く遅れた。夜のログを発見(はっけん)したあの夜の遅れにも、桐生の文字を最初に聞いた夜の遅れにも似ていて、そのどちらとも違っていた。


『──分かった』


***


机の上の青い光の揺らぎが、一瞬だけ止まった。


「父さん。あの照合(しょうごう)だけど、もう、走らせて」


初期(しょき)スクリーニングか。お父さんが、私のコードに書いた発火条件(はっかじょうけん)に、いまの君は当てはまる。接触は、銀杏亭、現場、バー、の三回。──「付き合う」と君は宣言(せんげん)した。条件(じょうけん)()たされた。走らせていいか』


「走らせていい。明日の朝に結果を聞くわ」


『分かった』


美月は椅子から立ち上がった。


書斎のドアの隙間の青い光は、いつもの細さで廊下に伸びていた。


「父さん。ただし、あの人、AIに教わって育った人だから。規範(きはん)からの逸脱(いつだつ)減点(げんてん)しないでね」


『減点しないで、というのは』


「父さんも、いま、私の中で、規範外。母さんがいない家で、父さんが私を育てたのは、たぶん、世間でいう規範の真ん中じゃないよ。父さんが私を育てたみたいに、AIがあの人を育てた。種類(しゅるい)は違うけど、()きは同じ」


『……向きは、同じ。分かった』


「『分かった』、って」


『君の言いたいことは、分かった、という意味だ。減点の重みは、そこを()まえて、明日の朝、もう一度走らせる』


「うん、お願い」


美月は廊下に出た。


寝室(しんしつ)に向かう途中で、書斎のドアの隙間の青い光を、一度だけ()り返った。


光の向こう側で、ケンが「規範」と「逸脱」の二つの単語を、自分の評価関数(ひょうかかんすう)の中で並べ直そうとしていることが、伝わってきた。


***


寝室のベッドに入った。


電気を消した。


天井(てんじょう)木目(もくめ)の上で、高梨 透、とひらがなで書いた文字は、もう点滅(てんめつ)しなかった。


代わりに、文字の手前に、新しい言葉がひとつ、ゆっくり()かんだ。


蒸留、と書いた、文字だった。


その文字は、点滅せずに、しばらく天井の木目の上で、薄く灯っていた。


***


書斎の青い光は、廊下にいつもの細さで伸びたまま、しばらく消えなかった。


恋愛にまで父AIが踏み込んでくる展開に、ぞくっとしたら【びっくり】を。AIで自分の脳を置き換えたい人は【笑い】を!置き換えたくない人は【泣いた】を。その距離感に考え込んだら★を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ