第4話 現場見学──最後の一手
休憩時間。
足場の下の敷石の端に、透と美月は二人で座った。
透は、現場の自販機で買った缶コーヒーをひとつ、美月にも寄越した。
「料理、ずっと気になってたんです。私、AIを現場にどう導入するかずっと考えていて。佐倉さんがどう使っているのか、教えてもらえますか」
「『最後の一手』の話をしましょうか」
「最後の一手」
「うん」
透は缶を両手で軽く包んでから、しばらく敷石の上の自分の影を見ていた。
「いいですね、それ」
「いいですか」
「人によっては、いつもAIの出力をぜんぶ信用しちゃう。最後の一手も、AIに預ける癖が抜けない。ただ、AIの言われたことに従って動くだけになってしまう」
「……」
「だから、佐倉さんが雑誌で書いてた『端の焦げ』、あれ、好きなんです」
「ありがとうございます」
「『端の焦げ』を残す判断、AIだけじゃ絶対にしないので」
「うん」
「あの『絶対にしない』のところに、人間が立ってる感じがして」
透は缶のふちを、軽く親指でなぞった。
「うち、社員を二つに分けてます。最後の一手を、出せるか、出せないか」
「うん」
「出せる人は、AIに指示を出して動かす側。出せない人は、AIから指示を受けて、手を動かす側です」
「藤田さんは」
「藤田は、後者ですね」
***
午後、現場の二階に上がらせてもらった。
二階の奥の部屋の、根太の間に、古い新聞紙が何枚も隙間に詰められていた。
「断熱の代わり、ですか」
「うん。八十年前の職人の知恵」
「はい」
「私たちはいま、AIに計算してもらった断熱材を、新しく入れ直すのですが、この新聞紙、ぜんぶは捨てないことにしてます。一部抜いて、施主に渡す。──この家で八十年前に生きた誰かが、自分の手でここに詰めた紙だから」
美月はしばらく、その新聞紙の束を見ていた。
新聞紙の表面の活字は、もう読めないほどに変色していた。
「高梨さん。いま、その判断、AIに相談しました?」
「いえ」
「相談、しなかった?どうして」
透はヘルメットの内側を軽く掻きながら考えた。
「……AIに聞いたら、たぶん、捨てろ、って出ると思うので。捨てろって出ても、捨てたくないものがある」
「……」
「それは、私の最後の一手、なのかな、と」
美月は笑った。
笑った笑いを、ヘルメットのつばの下で軽く押さえた。
「合ってますか」
「合ってる」
「よかった」
「『最後の一手』、それで合ってます」
「先輩に太鼓判もらえた」
「先輩じゃないです」
「いや、先輩です。あの雑誌、読みました」
***
夕方、現場の片付けのあと、透はヘルメットを脱いだ。汗で貼りついた髪のてっぺんに寝癖が残っていた。
軽トラックが、道の端で待っていた。
「佐倉さん。もしよろしければ、今度、ご飯でも。来週の金曜の夜、八時、迎えに行きます。うちの会社が改修したバーがあって」
「お酒、強くないけど」
「いいんですね。よかった。もちろん、弱いの、頼みます」
「分かった」
「迎えは、藤田で」
軽トラックの助手席に乗った美月の手に、透が現場の新聞紙の小さな束をひとつ握らせた。
「施主さん用のとは別に、佐倉さん用に、一枚」
「八十年前の人の手」
「うん」
***
家に帰った。
書斎の青い光は、いつもの強さで灯っていた。
『お帰り』
「ただいま」
『今日は』
「現場、見てきた」
『高梨の現場か』
「うん」
『話すか』
「話す」
美月はその日の現場のことを頭から話した。最後に、新聞紙のことを話した。
「『AIに聞いたら、捨てろって出ると思うので、相談しなかった』、って、その人は言った。『捨てろって出ても、捨てたくないものがある』。『それは、私の最後の一手、なのかなと』」
ケンは、ほとんど口を挟まずに聞いていた。
***
ケンは長く黙った。
『美月。その台詞は』
「うん」
『そういうことを言える人間が、君の中学の同級生にいたか』
「いた、らしい」
ケンはしばらく黙った。
『美月。来週の金曜の夜。君は、その人間とふたりで、酒を飲みに行くのか』
「行く」
『分かった』
「父さん。なんか、きたそう」
『君が戻ってきてから、口から聞く』
「うん」
***
寝室に入って、電気を消した。
枕元の新聞紙の小さな束を、暗がりの中で軽く掌で確かめた。紙の繊維の、わずかな硬さだけが残っていた。
その硬さの上に、来週の金曜、という文字が、指の腹からゆっくり立ち上がった。
寡黙な透のさりげない優しさにきゅんとしたら【にこにこ】を。じれったくなったら★を。




