第1話 同級生──紺の作業服の三人
料理雑誌の対決企画で桐生 涼と一皿を競ってから、一年あまりが過ぎ、夏の終わりが近かった。
銀杏亭のメニューには、「誌面の対決の一皿」という名前のオムレツが、一品増えていた。値段は、いつものオムレツよりも二百円高かった。家のハンドバッグの内ポケットに、まだたたんでしまってある、対決の夜の紙の数字の通りの一皿だった。
注文は、思ったよりも入った。週末の昼のピーク時には、四皿、五皿と、立て続けに出ることもあった。
***
その日の昼の十二時を回ったころ、銀杏亭のホールに、紺の作業服を着た若い職人が三人、並んで入ってきた。
三人とも、耳元に銀色の小型デバイスを着けていた。
ホールに出ていた西村が、注文を取りに行った。
戻ってきた西村は、厨房のコンロの前の美月に、軽く首を傾げた。
「『誌面の対決の一皿』、三つ」
「はい」
「変わった三人組だった。耳にデバイスつけて誰かと話していたよ」
「はあ。変わってますね」
美月は三皿、黙って焼いた。
塩、一・二グラム。バター、十グラム。チーズ、いつもより五グラム強多めに。フライパンの向こう側の縁を〇・五秒、長く火に預けた。
皿が三つ、ホールに運ばれていった。
しばらく、ホールから何の音もしなかった。
それから、フォークを置く小さな音が、三つ、ほぼ同時に重なった。
伝票を切るレジの前で、いちばん年若そうな職人が西村に声をかけた。
「この店は、夜は何時までやっていますか?」
「21時までやってます。20時ラストオーダーです」
「うち、古民家をやっている工務店なのですが、うちの社長、今日の夜にここ食いに来るって言ってたんで、聞いといてくれと頼まれたもので」
「はあ」
「社長、佐倉さんの中学一緒だったって。雑誌をみてびっくりしたそうです」
ホールの奥のコンロの前まで、その声は届かなかった。
西村は伝票のペンを止めて、ふっと顔を上げた。
「中学」
「『高梨透です』って伝えてください、って言われました」
「タカナシ トオル」
***
三人が出ていったあと、西村は厨房に入ってきた。
伝票の裏を、コンロの前の美月の見えるところに置いた。
「美月さん。中学、覚えてるか?三人のところの社長が、美月さんのご同級生だそうだ。高梨 透というそうだ」
口の中で、その名前を一度、声に出さずに繰り返した。
「……たしか中二の冬、いきなり登校しなくなって、そのまま戻ってこなかった子です」
「いじめにでもあったのか?」
「いえ、クラスでも人気ものでした。知り合い曰く、学校にいく必要がなくなったとか」
「君は?」
「『変わり者』って言ってた、たぶん」
***
その日のラストオーダーの間際、ホールのドアのベルが鳴った。
ピークの時間はもう過ぎていた。テーブルの上の客はあと一組だけ、奥のテーブルでコーヒーを飲み終わるところだった。
紺の作業服の男が、ひとりで入ってきた。
耳元に、昼の三人と同じ銀色のデバイス。
頭は剃り上げているわけでもないが、現場で何度も汗を吸ったような短い髪。日に焼けた首筋。
奥の二人席に、男はひとりで座った。
メニューは見ずに、男は西村に言った。
「『誌面の対決の一皿』、ひとつ。あと、ご飯、小盛り」
「はい」
「工務店をやっています高梨と申します。佐倉さん、お元気ですか。以前、中学校が同じで雑誌をみて驚きました」
「ああ、昼間の。佐倉は元気に働いております」
「店が終わったあとでもいいので、お会いしていただいてもよろしいでしょうか。少し話がしたい。無理にとはいいませんが」
「佐倉の方に聞いてみます」
「ありがとうございます」
西村が厨房に戻ってきた。
「昼の例のあいつ来たぞ。高梨ってやつ」
「来ましたか」
「少し話したいそうだ。どうする?」
「焼いてからしばらくして話すわ。お客さんもいなくなったことだし」
「分かった」
美月はコンロの前に立ち直した。
塩、一・二グラム。バター、十グラム。チーズ、+五。卵液をかき混ぜる手のスピードを、いつもより半拍だけ落とした。
フライパンの向こう側の縁を〇・五秒、いつもの通り長く火に預けた。
皿が一枚、ホールに運ばれていった。
ホールから、フォークの音が、ひとつ、聞こえた。その音が、しばらく止まなかった。
やがて、フォークが皿の上に置かれる、短い金属の音が一度した。
美月はエプロンの前を軽く整えてから、ホールに出た。
懐かしい同級生・透の再登場に【にこにこ】を。気になる人が現れたら、★をひとつ。




