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父のAI〜『泣くのは五分間だけだ』──父の声をしたAIが、葬儀の翌朝、私に告げた。〜  作者: 冬野 結
夜のログ──オムレツの秘密

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第4話 夜の声

再生(さいせい)ボタンを押した。


最初、二秒ほどの無音(むおん)だった。


それから、父の声。生前(せいぜん)のまだ若い、ノイズの()じっていない父の声。


「……結衣(ゆい)。聞こえるか」


美月(みつき)椅子(いす)の背を、もう一度深く押した。押したけれど、背中の力はほとんど入らなかった。


父の声のあとに、(みょう)に長い無音が(はさ)まった。


その無音のあとに、応答(おうとう)があった。


別の声。


女性の声。


ただ、その声はどこか(かた)かった。語尾(ごび)が紙のように平らで、息継(いきつ)ぎの音がなかった。機械が、誰かの話し方を(うつ)し取ろうとして、まだ写しきれていない、そういう硬さだった。


『……はい』


最初、美月には誰の声か分からなかった。


父の声が、ふっと笑った。


「結衣。すまない。私の(うで)では、まだ、君をここまでしか連れてこられない」


『……』


「それでもいい。聞いていてくれ」


『はい』


それでも、輪郭(りんかく)(しん)のところだけが、写真でしか知らないはずの誰かに似ていた。誰かの口調(くちょう)を、まだ上手(うま)くなぞりきれていない似方だった。


それでも美月は知っていた。後ろ(がみ)()け根のあたりが、ひんやりした。


父の声が続いた。


「美月に、嫌いと言われた」


『……』


「七歳だ。七歳の女の子に、嫌いと言われた」


『そう』


「『パパは私の話を聞かない』と言われた。論理的(ろんりてき)順序(じゅんじょ)が崩れていたから、整理(せいり)してから話すように言ったんだ」


『……』


長い無音のあとに、


『それは、よくないと思います』


と、教科書(きょうかしょ)のような平板(へいばん)な返事が返ってきた。


父はしばらく(だま)っていた。


「結衣」


『はい』


「私は、父親(ちちおや)には向いていないのだろうか」


返事は、返ってこなかった。無音は、長く続いた。


母の声は、答えなかった。父も黙っていた。


──七歳。


美月は覚えていた。


朝食(ちょうしょく)食卓(しょくたく)だった。途中でフォークを置いて、「パパは、私の話を聞かない」と言った。それから「嫌い」とも言った。父は黙って自分の朝食を食べていた。


その夜、父が誰に向かってその話をしていたのか。美月は十数年()って、初めて知った。


***


別のファイルを開いた。


日付はもっと新しい。美月が十六のときの、夏の終わりの日付だった。


「結衣」


『うん』


「……だいぶ、話せるようになったな」


『そうかしら』


最初の一言の語尾が、さっきとは違っていた。ほんの少しだけ上がっていた。息継ぎの音がしていた。同じ女性の声のはずなのに、さっきの紙のような硬さは、どこかへ消えていた。


病気(びょうき)が見つかった」


『……』


(めずら)しいやつだ。一年半か、長くて二年と言われた」


『そう』


「美月には、どう言えばいい」


『言わなくていいわよ。ぎりぎりまで』


「……ずるいな、それは」


『ずるくていいの』


「ずるくていい?」


『あの子、強そうに見えて、芯のところはまだ五歳のままだから』


──芯のところ、と美月は(のど)の奥で()り返した。母はそれを、知っているはずがなかった。


父の、息を()う音。


「結衣。私はあの子を、ひとりにする」


『うん』


「ひとりにしないために、何かを(のこ)さなければいけない」


『何を?』


「分からない。家。お金。──それだけでは、たぶん足りない」


『あなたを遺せばいいのよ。残せる範囲(はんい)で』


父は長く黙った。


それから何かを(つぶや)いた。聞き取れない。聞き取れないが、その後に続いた言葉だけがはっきりしていた。


「──私は、研究者(けんきゅうしゃ)だ」


***


美月は再生を止めた。


止めて、しばらく、ノートPCの画面の(すみ)の再生時間の表示を見ていた。


別のファイル。日付はまた別の年。


「結衣」


『うん』


()え子に、論文(ろんぶん)論破(ろんぱ)された」


『あら』


天才(てんさい)と呼ばれていた子だ。私の研究の(かく)を、名指(なざ)しで否定(ひてい)する論文を出した」


『読んだの?』


「読んだ」


『で?』


「……一理(いちり)ある」


『あなた、それ、(みと)めるの嫌いでしょ』


「……認めるしかない」


母の声が、また笑った。


『あなた、研究のことになると、本当に不器用(ぶきよう)ね』


『彼は、何を言っているの?』


「私のAIは中途半端(ちゅうとはんぱ)だ、と」


『中途半端』


「人と組まなければ完成(かんせい)しない、というのは、(よう)するに、AI単独(たんどく)では未完成(みかんせい)です、と認めているのと同じだ。彼はそう書いている」


『あなたは、認めてないの』


「認めている」


『じゃあ、いいじゃない』


「彼は認めずに、AI単独で完成形(かんせいけい)を作ろうとしている。サンプル数十万(すうじゅうまん)客観(きゃっかん)データと巨大(きょだい)なAIモデルだけで、人間ひとりの主観(しゅかん)記憶(きおく)を超えると書いている」


『あら』


「彼は、私を置いていく」


『……』


「私は、彼を()められなかった」


母の声が、しばらく何も言わなかった。


『あなた、あの子のこと、好きだったでしょ』


「……」


『あの天才の子。研究室(けんきゅうしつ)で目をかけていたでしょ』


「……認める」


『論文で批判(ひはん)されたのが(つら)いんじゃなくて、あの子に置いていかれたのが、辛いのね』


父はしばらく何も言わなかった。


「──そうだ」


『……』


「分かっている」


美月はその教え子の名前を知らなかった。


知らなかったが、たぶんあの男のことだった。莉子(りこ)が朝、名前だけ()き捨てた、あの男。


美月はファイルを止めた。まだ、別に聞かなければいけないものがあった。


ファイル一覧(いちらん)を、もう一度見た。


ひとつだけ、再生時間の極端(きょくたん)に長いファイルがあった。


ほかのファイルは十分から、長くて二十分のところ、それは二十五分あった。


美月はその上にカーソルを合わせた。


「父さん」


机の上の、暗くなったデバイスの星のような光が、こちらを見ていた。


ケンの耳には届いていない、はずだった。それでも美月は、その光に向かって、もう一度だけ、頭を(かる)く下げた。


「もうひとつだけ、開けるね」


クリックした。


父が夜、ひとりきりで残していた声に胸を掴まれたら【泣ける】を。その孤独に寄り添えたら、★をひとつ。

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