第十七話 倒れないために
三号機の予兆は、確かに掴めていた。
湊の解析で、摩耗限界の四十八時間前に波形の変化が出る。予防停止は成功し、事故は起きていない。数字もわずかに戻り始めている。
だが半年の期限は、容赦なく迫る。
生産技術室の灯りは、夜遅くまで消えなくなった。
他部署からの問い合わせも減らない。品質、営業、購買、保全。すべての揺らぎが、生産技術に集まる。
「どうして生産技術が」
若手がこぼす。
吉山は答えない。
抱え込んでいるわけではない。
ただ、線を引き続けているだけだ。
その日も遅くまで資料を見直していた。
振動ログ、保全計画、改善報告、決算説明用の資料。星崎に渡すデータも整えなければならない。
視界がわずかに滲む。
瞬きをする。
肩が重い。
「課長、今日は帰りましょう」
湊が言う。
「まだだ」
短く返す。
「数字は戻り始めています」
「まだだ」
机の上の資料が、少し揺れたように見えた。
立ち上がった瞬間、足元が空白になる。
音が遠くなる。
次に意識が戻ったとき、天井が見えた。
白い光。
「課長!」
湊の声が遠くで聞こえる。
周囲がざわついている。
医務室のベッドの上だった。
「過労です」
医務室の担当が淡々と言う。
「しばらく休んでください」
「無理です」
即答だった。
「無理ではありません」
静かな声。
湊がベッドの横に立っている。
「僕が回します」
吉山は黙る。
「三号機のログも、改善資料も、全部引き継いでいます」
若い声だが、揺れていない。
「課長が倒れたら、線が消えます」
「……消えない」
吉山はゆっくり言う。
「線は人じゃない。構造だ」
「でも、引いたのは課長です」
沈黙。
吉山は目を閉じる。
体が重い。
呼吸が浅い。
怒りを抑え、責任を抱え、線を守ろうとしてきた。
だが線を守るために、自分が壊れては意味がない。
窓の外に、灰色の空が見える。
「湊」
「はい」
「半年の期限は変わらない」
「分かっています」
「数字を戻せ」
「戻します」
「揺らぎを含んだままで」
「はい」
吉山はゆっくりとうなずく。
初めて、任せるという選択をする。
守るために抱えるのではなく、渡す。
それもまた、線の引き方だ。
医務室の灯りは静かだ。
工場は今日も揺れている。
だが、倒れないために倒れた。
線は、消えていない。
少しだけ、次の手に渡った。




