第6話 非現実からはじめまして
◇
殺気なんてものは通常知覚できない。他者の意思を読み取ることができないように、それと同等と類する殺気は感知しえないものだ。
しかし、時に対人戦での駆け引きの中に、集中力を上げ、僅かな相手の重心移動等から次点の動作を推測していくと、稀に相手の持つ空気感まで共有されるようになる。それは相手の能力が同等であれ、開きがあれ、その場へ向き合ってきた者に不意に表れる。
(まずい――)
全身を刺すような鳥肌が立ち、非常に危険な空気を感じ取った清水は、数秒前まであった状況をすべてかなぐり捨てて、地面を蹴り上げ、飛んだ。
ただ、あまりにも性急に動いたため、加減を誤った。
持ち上がった足裏は、地面に触れていない。身体は宙に浮き、4、5メートル上空で留まっている。文字通り『飛んでいる』として差し支えない現象だ。
杖は形状が変換されており、今は扉の開閉に使用するハンドルになっている。それを右手で持っているが、ハンドルが宙に浮いている実態を示すように、清水の身体がぶら下がっているように見えるだろう。
「へえ。そういうこともできるのですね。身体と服の間にも仕込んでいるのでしょうか? なら、案外いい勝負が期待できそうです」
美南の感心する声が、清水の耳に届く。今は漏れ出た殺気を知覚できない。
(……馬鹿言え)
内心で清水はそう吐き出し、やり取り関係なしに即座に退却を決断する。
空中での戦闘を織り交ぜるのは、清水に利があると言える。上空から銃撃すればそれだけで脅威になり得ようが、派手に戦闘を継続するのは本意ではない。また、動きは鈍く空中制御も難しいため、下手をすれば簡単に墜落させられてしまう。きっと、美南はこの状況にも対応してくる。先ほどまでの遊ばれていた状況よりも、ハイリスクハイリターン過ぎるのだ。
美南の提案から、これ以上、戦闘を続けても無意味なことは承知していたし、明かしてしまった情報の隠蔽も不可能なため、清水は大人しく退く選択肢を取るしかない。
見せるつもりは更々なかったが、能力がバレたからと言って戦闘継続も分が悪い。
「あら。せっかく有利が取れるのに退くのでしょうか」
「……」
対話を拒否し、空中飛行で美南から遠ざかっていく。マンション等の建物も駆使して視界から逃れた。
但し、飛行に際して、身体の言うことを聞かせているとは言い難く、能力のままに振り回されている状態だ。これでは高所を取って銃撃するのが関の山だ。勿論、それだけで強い戦法とは理解しているが、対応力の高い相手では戦闘時間は長引き、次第に街の住人への負荷がかかる。相手にそれを無視されるだけでもきつい状況になる。
行使時間も短いまま、使用の感覚に少々の吐き気を催し、直ぐには追っては来れない距離の小道に着地した。追撃は無いだろうと半ば確信しつつも、警戒しながら大槻へ通信する。
「これ以上の戦闘は不可能だ。離脱する。支援は不要だ。大槻たちも現場からすぐに離れろ」
『了解です』
簡単な指示を出しつつ、更に相手から距離を取るように逃れていく。
大槻たちもこの状況を確認しているところではあろうが、あくまでも冷静に取り合ってくれていることに内心で感謝しつつ、走る。
完全なる敗北と言って良い。逃走時にも追いはしたが、返り討ちに遭い立つ瀬は無い。
ただ、最後もあのまま戦闘を続行していたら、どうなっていたか定かでない。引き際を見極めて生存できていて、美南の情報もある程度入手しているので、完全なマイナスにはなっていないと清水は言い訳する。
いずれにしても、これで終わるわけでもない。今日を起点にして、これから久保への対策を講じることになろう。清水はあくまでも冷静な口調で執り成した。
「私も上に指示を仰ぐ。すまないが、分かる限りで状況報告をまとめておいてくれ」
戦果は最悪だが、それだけを言い残し清水は闇の中へ消える。戦闘が発した音は完全に霧散し、閑散とした夜を生み出す。自身の足音が耳元まで響き、遠くの夜の街並みは依然とした様子だ。
(しかし――)
その道中で、ふと、気付いたことを振り返る。
(あの状況で美南深幸との相対には違和感が残る。果たして、あの場に久保と美南が一緒にいたところに介入するのが性急すぎたからか? ……いや。若しくは、久保に使われたか?)
清水は「自身が変なことを考えている」と思っている。原点では久保が初期状態で1人だった事実を、清水はわかっていないのだ。最初から清水の視点では2人がそこにいたと錯誤している。
――ならば。
何故、初めに拳銃で牽制しようとしていたのか。
何故、美南に不意を打たれたのか。
認知できていない齟齬により、清水には原因が定かではなかった。
◇
久保が一人暮らしをするアパートの一室に、今日は非常に珍しく来客がいる。正確には「客」と呼んで良いのか微妙なところではあるが、それでも人を招くのは殆どない。友人がいないわけでもないのだが、それならばと、同様に学生の一人暮らしを満喫している友人の方へお邪魔することが多い。
だからこそ、人を家に入れるのに抵抗感と緊張感がある。初対面の異性であれば、尚更心持ちに余裕がなくなる。
けれど、今回はそのようなものは些事だ。勿論、緊張感がないというのは嘘であるが、その緊張感は別の要因により出来上がっている。
久保は自身のベッドに腰を下ろし、対面のソファーに半身で座る女性――美南深幸を見つめる。
「では、お話をお聞かせいただけないでしょうか」
謎の男からの襲撃から見事撃退させた後、身を竦めながら自宅に帰ってこれていた。その際、取り落としてしまった荷物について、元々の現場に立ち寄ることはできないかと美南に相談していたが、まだ敵の目もあり危険なため帰宅を優先しようとなった。
真っ当な意見に仕方ないことではあるが、場合によっては明日モバイル端末の停止を依頼しに、契約会社へ赴く必要が出てきている。
また、自宅が割れている可能性も考慮に入れないのかという問いに対しては、結局、逃亡してもどうすることもできない可能性が高く、逃げた後にどうするのかの問題も発生するため、見送っている。美南自身、防衛もある程度ならば対応できるとのことだったので、甘えさせてもらった。
ソファーには身体を深く預けず姿勢よく座る美南は、久保の第一声に首肯する。
「はい。お約束していた通り、耀壱様にはできるだけのことを誠実に説明させていただきます。ですが、当然答えられない問いもございます。ご容赦ください」
「例えば?」
「わたくしという存在そのものの経緯等ですね」
美南の回答に久保は了承する。本題から外れてくるものだからという理由もあるが、そもそも彼女自身の言が正しいのなら、久保が作り上げたキャラクターである。設定の詳細を知りたければ、今後重要な要素となるであろう書いてきた小説で確認すれば良い。
とは言うものの、美南深幸という人物に対しては、初めにどうしても久保が聞いておかなければならないことがある。
「最初に確認させてください。美南さんは僕が創造したキャラクターでお間違えないでしょうか」
自分でも馬鹿みたいな質問だなと思いつつ、既に認識がある美南には問うしかない。
「はい。わたくしは久保耀壱様がご自身で執筆してきた小説にて、生み出された『美南深幸』で間違いはございません。その証明は、……そうですね。これからお話を聞かれる中でご判断されれば良いかと存じます」
美南の回答に、久保は頷く。納得した形ではないが、今後の関係から察することはできる。
「わかりました。では、この件で確認したいことは1点だけあります。それは、貴女の年齢をいくつになるのか、ということです」
「ふふふ。女性に年齢を聞くのはご法度ですよ。……と一般的には非難するところでしょうが、耀壱様のご懸念も最もでしょう」
美南は茶化すように笑ったものの、質問の意図は理解しているのか、「恥ずかしいですね」と加えたうえで一変して端的に答えた。
「わたくしは今年で25歳になります」
「……そうですか。はい、わかりました」
その年齢は、やはり久保の作成時に想定していた年齢と乖離がある。本編の最終盤面が終了してから数えても、6、7年の差があるのだ。その空白期間が、美南の印象をより不可解にする。
凛々しい大人の女性の姿を捉えて、久保はそれ以上をのみ込む。今はその回答だけで十分に考察できるだろう。追及するのは初めに述べられた美南の言葉に抵触するので控える。
本題へ踏み込むのが先決でもある。
その前に触れねばならない点もあるのだが。
「あと、別に1点。『様』付けは遠慮していただけますか?」
話の本筋にあたらないが、流石に許容できない点は伝えておく。一般人からすると、まず普段の会話で敬称に「様」は付かない。最初に言われてから感じてはいたが、早々に変えてもらいたいことだ。
そう提案したときには、意外にも美南は納得しているようだった。
「わたくしは別に構わないですが、まあ、そうですよね。かしこまりました。……では、今後は耀壱さんと呼ばせていただきます」
美南はあっさり肯定すると、そのまま従う。居心地が悪かったこともあるので、内心安心していると美南はそのまま「ただ」と続けた。
「最初に呼んでくださったように、耀壱さんはわたくしに対しては『深幸』とお呼びください。それに、別にわたくしには敬語でなくても差し支えありませんよ?」
「名前呼びについては、……善処します。敬語については、その、まだ貴女の方が年上ですし、人となりもわかっていませんから、このまま継続させてください」
名前呼びについては、気恥ずかしさの方が先行している程度の為、断る理由は現状あまり無い。
敬語の方は哀しいかな、提案に対して拒絶で返してしまった。小説をなぞれば人となりが全く分かっていないは嘘になるのだが、凄く仲の良い相手でもない限り女性には一定の距離間でコミュニケーションをとるのが楽になる。内向的な人間の性だ。名前呼びの方がハードルが高そうに考えなくもないが、敬称等でカバーできる範疇となっている。
年齢を引き合いに出すのは不味いかとも思ったが、久保の返答にも美南は嫌悪感を示したり、強引に変えさせたりしようとはせずに従ってくれていた。
そんな取ってつけたような会話が終わると、漸く話が進められる。
しかし、久保には終始わからないことだらけである。そんな様子を、美南は話始めまで静かに待っている。
「質問と言っても、正直、何がどうなって襲われたのか、要領を得ないのが実情です。すみませんが、みな――、深幸さんから先に教えていただくことは可能でしょうか?」
結局、その方が早いからと、切り口は美南に委ねる。無暗矢鱈にあれこれ訊いても、話が行ったり来たりとついていけなくなりそうだった。
要求に対して、美南が「かしこまりました」と頷くと、一拍置いてから続けた。
「耀壱さんはご自身の視点では、いきなり不可解な出来事に巻き込まれたという認識でよろしいでしょうか?」
「? まあ、そうですね。今晩のあの男が使ってきたものにしても、深幸さんの存在そのものにしても、物理法則を無視した現象が目の前にあるのですから、そう捉えていると言えますね」
中年の男が何かの物質を自在に動かしてみたり、美南という空想上の存在の活動を認識できたりするのは、どう考えても正常ではない。
しかし。
美南は首を横に振り、否定する。
「いいえ。本質は『巻き込まれた』のではありません」
「え?」
理解を超える一声が、耳まで届く。
「耀壱さん、貴方自身が創って起きたのです。巻き込まれたのではなく、巻き込んでいたのです」
久保は平々凡々の一般人である。それは、自分自身がよく理解している。いてもいなくても世界は廻り続けるし、小さな歯車の役割すら今は与えられていない人生を歩んできている。辛うじて与えられているものがあるとするならば、それは大学生の身分だけであろう。それが数年後には社会人に肩書が変わり、一層、周囲の環境からは有象無象の1人であると格付けがされる。
何もそれを悪いことだと思っていないし、当たり前に過ごしてきた。
その根底を覆すように、美南はまじまじと久保を直視している。
「今、貴方は『結果を改変する能力』を有しています」
到底信用に足らない言葉を、真相として美南が紡ぐ。
周囲のフィクションはどうにか許容できている。けれど、該当する人間に自身が当てはまる今までの二十数年にはその記憶はない。突発的なことに対して、自身の関与は否定できる材料が揃っている。自覚がないのも質が悪い。
なのに、そのフィクションを久保が持っていると美南は言い切った。
「例えば、耀壱さんはご自身が死線の中にいたところに何かを願いませんでしたか?」
「……それは」
冗談のような問い掛けに、反論できない。心当たりは付き纏っているものだからだ。あの場面で、久保は銃弾が自身の額を貫く間際に、誰かへの救助を内心で願っている。
「その願いが、耀壱さんの御力を以て『わたくしが初めから耀壱さんのお傍にいて、わたくしが凶刃の手から御守りした』という結果に改変したのです」
死の間際、不自然に停止した世界を久保は見ている。直後に時間が巻き戻されるように発砲が無かったことになり、美南の戦闘に続いていった。あの現象が久保の未来予測のような妄想の結果ではなく、自身の能力による残像だとでも言うのか。
「そして、その結果を正史とするように、わたくし『美南深幸』という空想上のキャラクターが実在する世界に改変されたのです」
美南は自身の存在すらも認知して、堂々と断言する。私が証拠だと言わんばかりに、美南は胸を張る。高校生時代には無かった設定の胸が、歳を経て成長していると今更ながら理解し、無粋すぎて顔には出さないように努める。
つい釣られて、そんな下世話なことをふと思ったが、美南はそのまま話を続ける。
「耀壱さんのご様子を見るに、やはり改変があったのは間違いないようですね」
美南の言い出しに内心がバレたのか心臓が少し跳ねるも、話の本題が逸れていないのでそのまま頷いておく。
「『結果の改変』はそれだけでも非常に危険で、厳重な監視が必要な能力であるとご理解できるかと思います。制約もつくでしょうが、それらを搔い潜って悪用しようものならば、世界の滅亡だって簡単なのです。実現性もさぞ高いことでしょう」
影響力がバカみたいに大きすぎて、想像ができない。久保の素人の頭でも、「結果の改変」でありとあらゆることを思いつける。
お金儲けがうまくいく。宝くじを引き当てる。勉強の成果が出る。運動神経が万能な人間になる。もっと身長が高くなる。誰からにも好かれる。嫌いな人間に痛い目を遭わせる。悪人や犯罪者を根絶させる。戦争を丸ごとなくす。すべての行動がプラスを与える。
今までどれも手にしたことはないが、事実ならば夢のような力だ。
だが、久保の思う以上に、これは厄介だ。
「そして、念頭に置いておかねばならない重大な点は、それが過去をも書き換えてしまうことです」
「過去も……?」
「はい。現在見えている結果を改変すれば、辻褄合わせのために過去も都合の良いように改変されます。例えば、耀壱さんが『能力』そのものを行使したことで、それが波及し今回のような『能力』を持った暴漢まで登場することになりました。あの男は、恐らく金属や特定の物質の形状を変換させる能力に目覚めています。貴方に自覚がないのは承知の上ですが、耀壱さんの結果の改変によって既に能力者なる者たちが、各地で現れ始めています。結果の改変とはそういうことです」
壮大な話で、理解が追い付かない。
つまり、久保が能力を行使した。その改変に影響して、「能力が世界には存在する」という結果をもとに、別の能力者が世界に現れ始めたということだろうか。
やっていることの影響力が大きすぎて、知らないまましっぺ返しを食らっている状態なのではと久保は想像する。
そう考えたとき、久保は矛盾を拾う。
「今の話はおかしくないでしょうか? 今日、襲ってきた男は、僕が深幸さんを呼び出す前に能力とやらを使えていました。僕が結果の改変ができるとして、今までその力を使ってなかったとしたら現れる筈もないのではないでしょうか」
パラドクスのようなものを感じ、質問する。
自身が能力を行使してきた結果ならば納得できるが、逆に言えば、今までその事象に直面したことのないのに違和感がある。つまり、能力を行使していないことになる。
けれど、能力者として現れたのは、久保が美南を呼び出した前の話だ。論理が破綻している。
すると、美南は諭すように回答をしてくれる。それも直前に内心で否定した内容だ。
「それならば、恐らく耀壱さんが以前に能力を行使したことがあるかではないでしょうか。人は常に何かを願う生き物です。その過程がある限り、世界は正の理論をもとに組み上げられます」
「確かに、願望なんて色々ありましたけれど、それが改変の足掛かりになった記憶はありませんよ。大学受験とかは諸にその影響を受ける気がしますけど、残念ながら第1志望には落ちています」
何なら、第2志望も不合格で、入学を許された第3志望も自己採点では芳しくなかったほどだ。結果の改変ができるのならば、真っ先にこの状況を変える筈だ。より都合よくできるならば、超難関大学に非常に優秀な成績で入れるように頭脳の方も改変するのではなかろうか。
「直近はいかがでしょうか? それこそ、何か外部からの珍妙な出来事に巻き込まれたことはないですか? 些細なことでも構いません」
美南が条件を少し変えて訊ねてくる。それも、どこか限定的で、久保は微かな誘導を感じる。
(……まさか)
――思い至る。あるではないか。
それも今日の話だ。昼過ぎに目の前で起きた出来事を久保は思い浮かべる。少しでも行動が違えば起きなかったであろう、事故未遂が久保の脳を揺らす。
久保は一部始終、干渉していなかった。願ってはない。
けれど、悪態は吐いた。「転倒してしまえ」と。
何気なく思った程度のシチュエーションが、影響を及ぼしていたとしたら。それをトリガーに能力が覚醒し、周囲へ伝播していったとしたら。
内心の自省で済ませていた出来事が、実は自身が起こした「結果」なのだとしたら。
嫌な予感が的中するものだ。恐ろしくなり、久保は手で顔を覆った。
~小話~
久保の自省が1話目にループしているように感じますが、心情に前進(後退?)があると良いですね。




