ヘルスヘル(1/3)
健康合宿所と呼ばれる施設があった。
それは日本国のとあるホテルにて運営されているらしい
三月の某日。
俺は事前に渡されていた書類を頼りにその健康合宿所へとやってきていた。湖畔に建てられた茶色のホテルの前でタクシーから降りた俺は仁王立ちをしてその外観を眺める。なんの変哲も面白みもない普通のホテルだ。
「ようこそお越しくださいました!」
不意に俺へと話しかける声が聞こえた。声のする方へと視線を向けるとそこにはスーツを来こなした紳士的なホテルマンがやって来ていた。営業スマイルと恭しいポーズで俺を迎えた紳士は俺から荷物を受け取るとフロントへと案内し始める。
「健康合宿所に予約していた大牙だ。よろしく頼むぜ」
俺の言葉に紳士は、
「承知いたしました。フロントにて受付を行います。あっ、そうそう。これは失礼かもしれませんが大事なことですので確認をさせていただきます」
「ん? 何だよ?」
「合宿でお出しするお食事に間することなのですが、大牙様は、え〜、その、アボガドや銀杏などは食されても大丈夫でしょうか? その、中毒症状などが出る食材などがあれば前もって教えていただけると‥‥‥」
恐縮する紳士の様子に俺は自然と頬が緩んでしまった。
「ああ。食材なら普通の人間と同じ物で大丈夫だ。チョコだって食えるし、何なら毒袋を処理していないフグだって食えるぜ」
「そうでございましたか。大変失礼しました。何ぶん狼獣人さまをおもてなしするのは私共も初のことでして」
狼獣人。
今の俺の姿を表すにはこの一言で十分だろう。狼の頭部に両手足には鋭い爪。人間を超えた体格。全身を覆う灰色の毛皮。
この紳士が勤続何年のベテランかは知らないがこんな異形をもてなすなんて夢にも思っちゃいなかったろうよ。さすがに緊張も困惑もしてるだろう。
「まっ、少しの間だが世話になるぜ。そうそう部屋って冷暖房完備なのか?」
「もちろんでございます」
「それだけ確認できれば文句ねぇよ」
受付を済ませた俺が案内されたのは湖に面した一室だった。
洋風の作りでダブルベットが一つ設置されている。ダブルベットなのは別に連れが後から来るからではなく、単純にシングルベッドでは俺には狭すぎるからだった。
荷物を置きベッドへと座った俺は『健康合宿 日程表』と書かれた用紙をぼんやりと眺めながら大欠伸をしてそのまま昼寝を始めた。
事の始まりは一週間前のこと。
肉体のメンテナンスとして血液などの各種検査をしていた俺はお目付役であるチビ女ーー木下さくらから、
「大牙さん。太ってます。血糖値やばいです。痛風と糖尿病になります。死にますよ」
などと物騒な指摘を受けてしまったのだ。
近頃の俺は色々な任務や面倒ごとによってストレスも多く、ついつい食事を多く摂りがちな生活をしていたのだ。もともと人間以上の体格なために大食漢ではあったが、どうやら度を過ぎてしまったらしい。
「痛風で糖尿病の狼獣人とか聞いたことないですよ。うわぁ、かっこ悪ーい」
検査結果の書かれた用紙をチラつかせながらさくらの野郎はニタニタと俺に笑みを見せている。
「マジかよ。フグの毒やら銃弾も効かない体なのに糖尿病ってダサすぎるだろ」
「ホントですねー。私も恥ずかしいです。今度から同僚に『あんたの狼獣人って痛風なんだって。ぷぷっ』とか言われちゃいますよ。どうしてくれるんですか」
「だったら仕事減らしてくれよ。環境が良くないんだよな、環境が。週休四日くらいでいいじゃん。忘れられているけど俺は狼獣人だぜ? 貴重だぜ? 激レアなんだぜ? もっと労ってくれよなー管理者が無能なんじゃねぇの?」
俺の言葉にさくらの表情が曇った。
「そーですねー。管理者である私の責任でもありますねー。というわけでそのテーブルに広げられたポテチやらハンバーガーやらは没収しまーす!」
「え? ちょ、待った! 食い物を粗末にするのは」
「何か文句でも?」
「‥‥‥いや、ねぇよ」
「はい没収ーっ。それと、そのだらけた生活態度を正すために大牙さんにはこの『健康合宿』に参加してもらいますからね。はい、日程表とパンフレットを渡しますから読んでおくように!」
「はぁ? 何で俺がそんなもんに参加しなきゃならんの」
「行けよ? な?」
「‥‥‥はい」
我ながら何とも情けない回想だ。
言い訳をさせてもらうとこの会話の際にさくらの両手にはハンドガンが握られていた。言葉を発するたびにあの女、俺の首、目玉に向けて銃口を突きつけて来たんだぜ? とんでもねぇ女だ。民間人のすることじゃねぇよ。
ともかくそんな経緯を経て俺はこの『健康合宿』に参加することになった。
手荷物として着替え、そして黒い首輪を渡され哀れな狼はこのホテルへと送られたってわけだ。やれやれ。
ドアをノックする音で目を覚ました俺はやってきたホテルボーイから間も無く合宿が始まること、二階の広間に集まることを伝えられた。
部屋に用意されていた検査着(特注だ)に着替えた俺はさくらから渡されていた黒い首輪を手にすると、
「‥‥‥‥‥‥」
やや躊躇ってから自らの首に装着した。
広間にはすでに三十人くらいの人間が集まっていた。年齢層としては全体的に中年以上といったところか。全員が白い検査着を来ており、やや不安げな表情を見せている。
狼獣人である俺が入室したことでちょっとしたざわめきはあったものの大きな混乱は起きなかった。どうやら俺の参加はある程度知らされていたらしい。
初めに行われたのは手荷物検査だった。
参加者たちは腕時計や通信機をすべて回収されていく。
「何で通信機とかを回収するんだ?」
荷物を調べに来たホテルボーイに俺が尋ねると、
「合宿の主催者様からの指令です。合宿中はネットを中心に外部との交信を断つ必要があるそうですよ」
そう答えながらホテルボーイは俺のスマートフォンを回収していった。
手荷物検査が終わると広間に一人の男が入室して来た。
細身ではあるがシャキッと背筋を伸ばした中年の男だ。そいつはホテルボーイからマイクを受け取ると挨拶を始めた。
「皆さんこんにちは。私がこの合宿の主催者であります。スタッフからは師範と呼ばれております。皆さまもそのようにお呼びください。
さてさてまずは皆様の手荷物を検査するなどという無礼をお許しください。大変失礼しました。しかし、この合宿に置いて外部との通信、特にネットの遮断は必要な物なのです。本日より三日間の合宿で皆さまは間違いなく『健康』へとグッと近付くことができると断言いたします。どうか私を信じ、この合宿を有意義に過ごしていただきたい」
師範を自称する男はその後軽く自分の経歴を紹介すると、スタッフに命じて参加者たちの身体測定を始めさせた。狼獣人である俺に対しては何と師範自らが身体測定をするそうだった。
「いやいやまさか狼獣人を測定する日が来ようとは。やはり健康で長生きすると面白いことに出会えますな」
そんなことを口にしながら師範は俺の身長や胴回りを測定していく。
「俺は半信半疑なんだけどな。聞いた話だとこの合宿に参加した人間は全員もれなく健康になるそうだな師範さんよ。ここ最近は参加者もかなり多くて儲かっているって聞いているぜ」
「あははは。そうですね。幸い好評いただいていましてね。お陰様で儲けておりますよ」
「そうかいそうかい。しかし俺は狼獣人だぜ。人間とは免疫とか色々違うと思うが参加して効果が出るのかよ?」
「うーん、どうでしょうね。私が指導する内容は特別薬にも器具にも頼らないものですからね。狼獣人でも問題は無いと思いますよ。
「薬も道具も使わない? あれか? マッサージやら体操とかで治すってことか?」
「それらも使いますがね。私が提唱する方法は『言葉』による改善です」
実際にやってみればわかりますよ、と師範は続けた。




