グレイトティーチャー(2/3)
「長生きはしてみるものだね。まさか狼獣人と同僚になる瞬間が来るとは」
俺の隣を歩く初老の男がにこやかな笑顔を見せながら俺へと語りかけた。
辞令を受け取った翌週の月曜日。
私立黒宇津学園の校舎。その廊下を俺は初老の男ーー学年主任と一緒に歩いていた。特注で作らせたスーツを着ている俺だが、普段着慣れないだけに動きにくくてしょうがない。少しでも知的に見えるようにとさくらから黒縁メガネを渡され渋々装着しているのだが正直どれほど効果があるのかは疑問だ。
「今月だけっすよ。短い期間ですがよろしくお願いします。あと、敬語が変だったらすいません。使い慣れないんで」
「ははは、いいよいいよ。言葉が通じるだけで十分。さぁ、もう少しで君の初授業だ。期待しているよ」
「聞いた話だと、先生は生徒や保護者から『グレイトティーチャー』と呼ばれているらしいっすね?」
「何だもう知っているのかい? 誰が呼び始めたかは知らないけどね。いやはや私がそんな風に呼ばれるようになるとは。嬉しいね」
「俺は学校って場所に縁がない人生だったんすけど、授業ってどうすれば上手くいくんですか?」
「あまり気負わないことだよ。堂々とした態度で教科書の内容を生徒達に伝えればいい。自信の無さは声と態度に出る。そういうのは生徒達にすぐ見抜かれてしまうよ」
「なるほど。それにしても六時半だがこんな時間から授業ってやるんすか? さくら‥‥‥知り合いの話だと九時くらいから授業が始まるのが一般的だそうで? 授業時間が九十分っていうのも普通の高校と比べると倍くらいの時間なんすね」
「そうだね。私も公立高校からここへ転職した当初は驚いたよ。でもこの学園のシステムを考えれば妥当な授業時間だと思うよ」
俺と学年主任はとある教室前で立ち止まった。二年D組。俺が受け持つクラスだ。
一限の授業は七時からで今からは朝のホームルームという時間になる。学校からの案内やスケジュールを伝えるという担任にとって重要な役割を果たす時間だそうだ。俺は学年主任から書類とマニュアルを受け取ると意を決して教室の中へ入った。
生徒達から一斉に視線が俺へと向けられる‥‥‥ようなことはなかった。
教室内には生徒が三十二人。男女比は半々。その全員が椅子へと座りながら呆けた表情をしている。口を半開きにした男子。欠伸を隠そうともしない女生徒。すでに机に突っ伏し寝息を立てている奴もいる。
学校に通った経験のない俺だがそれでもこの状況が好ましいものでないことくらいは分かった。
ーおいおい、朝っぱらからだらしがない連中だな。有名進学校って言ってもこんなものなのか?
若干失望しつつも、俺は生徒達を起こそうと黒板へ拳を向けた。
が、慌てて俺へと近づいた学年主任によって俺の作戦は失敗することになった。
「ちょ、ちょっと狼くん何をしようとしているんだい⁉︎」
「いや、生徒を起こそうと黒板殴ってデカい音を立てるつもりだったんすよ」
「いやいやいやいや、そんなことしなくていいから!」
「そうっすか。まぁ、でも黒板壊すとまた弁償っすもんね。大声で怒鳴っておいたほうがいいか」
「そうじゃない。そうじゃないよ狼くん。生徒達を起こさなくて大丈夫だから」
「‥‥‥はぁ?」
学年主任の言葉に俺は耳を疑った。この状況の生徒達を注意しないどころかそのままにしろだって?
学年主任は俺にマニュアルを見せると、
「ここにも書いてあるよ。『寝ている生徒を起こしてはいけない』ってね。さぁ、生徒達に向けて連絡事項を説明しよう。終わったら一限目の授業の準備だ」
学年主任に言われるがまま、俺は職員会議で聞いた連絡事項を説明し始めた。とは言っても生徒のほぼ全員が眠っているような状況。説明というよりは独り言をしているようで虚しい時間だった。
ホームルームを終えた俺は担当する日本史の授業の準備を整えると、学年主任と共に別のクラスへと向かった。教室に入った俺だったが、室内の様子はD組と変わらない。ほぼ全員の生徒がうつらうつらしている。
俺はマニュアル書を開き、授業の流れを確認した。
1.出席確認
2.空調の温度設定を確認。
3.遮光カーテンをする。
4.教室内の照明を消す(教壇付近のみ点灯)
5.授業開始。口頭説明と板書をする。口頭説明の時は声の大きさが45デシベルを超えないように注意
(教壇に備え付けの測定器を活用すること)
なんだこれ?
1と2は理解できるが、3以降の意味が全くわからない。これってつまり真っ暗な室内でボソボソ小声で授業しろってことか?
俺は助けを求め学年主任の顔を見てみたが、晴れやかな笑顔で主任は右手の親指を立ててみせた。
マジかよ‥‥‥本当に真っ暗な中で授業しろってか。
俺は学校で授業なんて受けた経験がないが、ドラマや映画を観て授業風景というものは理解しているつもりだった。まさかこんな暗闇の中で授業をするとは正直驚きだぜ。さくらは教師の仕事は大変だと言っていたが、手元が見えない状況で勉強しなければならない生徒達もかなり厳しい環境にいるじゃないか。俺が知らなかっただけで世の学生ってのはこんなに難易度の高い生活を送っているのか‥‥‥。
俺は初めて知った衝撃の真実に驚きつつも、マニュアル通りに部屋の明かりを消し授業を始めた。
「いやいや、それ普通じゃないですからね」
昼休み。
俺はさくらと一緒に学内の食堂へとやってきていた。窓際のテーブル席に座った俺たちは昼食をとりながら互いの授業を報告し合っていたのだ。俺の授業報告と感想を受けてさくらは半笑いでそう口にした。
「へ? そうなのか? 俺はてっきり自分の常識の方がおかしいと思ったぜ」
「ドラマや映画で観たあの光景が普通です。この学園の授業は完全に一般のそれとは違いますよ」
「何だよ。生徒達に同情して損したじゃないか。じゃあ何であんな環境で授業させるんだ? 生徒なんて俺の話聞かずに全員寝ていやがったぞ。結局俺は九十分間ずっと鎌倉時代のことを一人で喋ってた。誰も質問してこないから授業もスムーズでよ。九十分の授業で鎌倉幕府が滅亡しちまったよ」
「私も同じようなもんですよ。気合い入れて毒薬とか生分解性ポリマーとか、プラスチック爆弾とか用意したのに『危険を伴う実験は行わないこと』ってマニュアルを見せられましてね。仕方なく九十分の間、普通に教科書を読むだけでした。実体験こそ学びの源なのになぁ」
「お前の担当は現代文だろ。変なこと教えようとするなよ」
そんな会話を挟みながら俺は食堂の様子を眺めてみた。利用するのは職員だけ。生徒の姿は一切ない。
ちなみに昼休憩は一時間ある。これも一般的な学校に比べて長い時間だそうだ。
「おや? 狼くんに木下さん」
ふと俺たちを呼ぶ声が聞こえ俺は振り返った。そこにはグレイトティーチャーこと学年主任がいた。
主任は俺たちの横のテーブルへ座ると、初授業の感想を俺たちに訪ねてきた。
「難しいとか以前にあれって授業になっているんすか? 生徒達は話なんて聞いていないしノートだって書いていない。仕事内容は楽だが、何というか張り合いがない感じっすね」
俺の感想にグレイトティーチャーは不思議そうに首を傾げてみせる。ん? 俺変なこと言ったか?
さくらも似たような感想をグレイトティーチャーへと告げたが、
「うーん。ひょっとして君らは我が校のシステムについて説明を受けていないのかい?」
そんなことを逆に質問されてしまった。
システム? そう言えば学園理事が提唱したシステムをティーブレイクが実現させたとか言っていたな。
俺たちが互いに首を傾げていると、グレイトティーチャーは微笑みながら、
「そうかそうか。道理で不思議そうな顔をしているわけだ。いや、失礼失礼。MS機関の職員さんだから全部ティーブレイク博士から聞いていると思ってね。うーん。だったらお二人とも。午後の最後の授業を終えたら生徒達の行動を追ってみるといい。四時半頃に駅前近くを見張って入ればすぐわかるよ。説明するよりも見たほうが理解が早いと思うからね。一言添えるのならば、本校の生徒達は勉強をするために学校に来ているわけではないのだよ」
そう説明してみせた。
「そうそう。狼くん、君の授業はなかなか良かったよ。君は案外本校の教員に向いているんじゃないかな?」
グレイトティーチャーの言う通り、午後の授業を終えた俺とさくらは駅前付近で待機し、放課後の生徒達の様子を観察してみることにした。
時刻は午後四時半。生徒たちが下校してから一時間半ほどが経過している。
しばらく張り込みをしていると黒宇津学園の生徒らしき連中が次々と駅のゲートを抜け姿を現しを始めた。ゲート付近に俺たちがいると言うのにあいさつもない。狼獣人がいることに驚く生徒が数人いるくらいで、ほとんどの生徒は一直線にどこかへと足早に去っていく。
「何つーか、愛想の無い連中だな。担任の教師がいるんだからあいさつくらいしろよ」
「でも大牙さん。何となくですけど、生徒の表情に活気があるというか真剣さが増しているような気がしませんか?」
さくらに言われ、俺は改めて生徒たちの様子を確認して見せた。
なるほど。確かに授業中に呆けていたのとは違って、目に何かを成し遂げようと言う意思を感じさせられた。
「みんなどこへ行くんでしょうね? 同じ方向に向かっているようですが」
「追いかけようぜ」
生徒たちを追跡することは容易だった。何せ連中の目的地は駅から徒歩でわずか五分程度の場所にあったからな。
五階建ての大きなビルだ。大通りに面した壁はガラス張りになっていてビル中の様子がはっきりと見える。そんなビルの中へと私服の生徒たちが次々と入って行った。
ビルの正面には『黒宇津ハイスクール塾』と書かれた洒落たデザインの看板が建てられている。
「塾? そう言えば日本の学生って放課後に塾通いする連中もいるって聞いたことがあるな」
「塾通いだけなら普通の高校生と大差ないですね。大牙さん、思い切って中に入ってみましょうか?」
「そうだな。潜入してみるか」
大多数の生徒たちがビルに入るのを見届け、俺とさくらはビルの正面玄関をくぐった。
生徒たちはどうやらそれぞれビル内の教室のような場所へ入って行くようだった。その顔はやる気に満ちているように見える。男子生徒の中には頬を自らはたき気合いを入れいている奴もいた。学園の授業で見せた呆けた様子はない。
生徒たちの変わりぶりに若干面食らっていた俺たちだったが、
「あれ? 狼くんがどうしてここにいるのです?」
背後からそう声をかけられ振り返った。
二十代中頃と思われる中肉中背の男がタブレット端末を抱えながら俺たちへと歩み寄って来ている。
スーツを来こなすその男の顔に俺は見覚えがあった。
「何で二年D組の元担任がここにいるんだ?」
俺の問いかけに元担任の男はにんまりと笑顔を見せるのだった。
次話投稿は12月21日(木)を予定しています




