セカンドライフ(2/4)
ルシファーが目を覚ますと、そこは霧のかかった森の中だった。
薄寒く、まだ暗い。徐々に明るくなっていることから夜明けが近いことはルシファーにも分かったが、それ以上に彼は自分の服装を見て驚いた。
Tシャツによれよれズボンという普段の格好ではなく、美しい装飾の施された群青色のコート姿。背中にわずかな重量を感じたので触れて見ると二本の剣が装備されている。
さらに彼は自らの体型も変化していることに気がついた。ビール腹などと揶揄されたこともある腹はすっきりとしている。軽くジャンプをしてみたルシファーは自らの軽さに表情を輝かせた。
「すごい! すごいすごいすごい! ほ、本当に転生できたんだ。夢じゃなかった!」
ルシファーが背中の双剣を抜刀し、その刀身を眺めている時だった。
森の中を悲鳴が響く。声音からして若い女だ。それと共に狼のような遠吠えが森の空気を震わせた。
ルシファーは音のする方へと視線を向けると、彼の視界に突然文字が浮かび始めた。
『チュートリアル1 悲鳴の主を探せ!』
文字が浮かぶと同時に、赤い矢印のようなアイコンがルシファーの視界に出現した。
ルシファーはニヤリと嬉しそうに口許を弛ませると、アイコンの示す方向へと軽快に走り始めた。
三十秒ほどして、現場へと到着したルシファーが見たのは一人の少女と、信じがたい魔物の姿だった。
背の低いふわりとした茶髪の少女は赤いケープを羽織り、一見すると童話の赤ずきんのようだった。しかし、可愛らしいその服装は一部が破かれており、少女の陶器のような素肌が露わになっていた。
ルシファーは少女のそんな姿に一瞬鼻の下を伸ばしてみせたものの、少女の服を破ったであろう存在の姿を見て双剣を握る手に力を込めた。
狼獣人だ。二メートル以上ある巨大な体格。発達した筋肉と体格が戦闘能力の高さを感じさせる。灰色の毛並みと鋭い爪に、恐ろしげな牙。そんな狼獣人は恐怖に震える少女へと近づき、そのケープを力づくて引き裂いた。
「ま、まさかあれと戦えっていうのか」
ルシファーは全身へと恐怖が広がっていくのを感じていた。すると再びルシファーの瞳へと文字が浮かび上がった。
『チュートリアル2 狼獣人を倒し、少女を救出せよ』
スキル発動可能。
スキル名
『スローモーション(5秒間)』
『遠隔斬撃』
表示されたスキルの項目には、それぞれのスキルの使い方も書かれている。内容を吟味し、とりあえずルシファーはスキル『遠隔斬撃』を発動し、双剣を適当に振ってみた。
するとルシファーが剣を振るうと同時に、少女の体へと再度手を伸ばそうとした狼獣人の左腕から鮮血が飛び散った。驚きの声を上げ、左腕を抑える狼獣人。少女から数歩離れた狼獣人は周囲を見回し、双剣を構えたルシファーを見つけると、恐ろしい咆哮を上げルシファーへと突撃してきた。
一瞬恐怖で固まるルシファーであったが、目を大きく見開きスキル『スローモーション』を発動させる。
ルシファーの視界が歪んだ。まるで突然近眼になったかのように景色がボヤける。それでも狼獣人の動きははっきりと分かる。スキル説明にある通りに狼獣人の動きがスローになった。
ルシファーは狼獣人の攻撃軌道から外れると、狼の背中へと双剣を振るう。狼獣人が悲鳴をあげ地面へと倒れた。
「す、すごい! スキルに狼獣人。ほ、本物の異世界なんだ!」
双剣を構えながらルシファーは感動に震えていた。狼獣人が再び迫ってきたが、再びスキルによってルシファーは攻撃を回避し、狼獣人へと双剣を振るう。そうした戦闘が二分ほど続いた。
息が上がり始めたルシファーだったが、目の前の狼獣人も肩や足から出血をしている。戦闘は互いに致命傷を与えられないまま続いていた。しかし、森の中を日の出の光が差し込んだことで狼獣人が突然うろたえ始めた。光を嫌がるように大木の影へと退避した狼獣人は、
「おい! てめぇの面は覚えたぜ人間! 次に会うときは必ずその首を噛み砕いてやる!」
捨て台詞を言い残すと、恐るべきスピードで森の奥へと姿を消した。
ルシファーは双剣を背中の鞘へと収めると、大木の裏へと隠れていた少女の元へ駆けつける。
「だ、大丈夫、かい。き、君!」
日頃あまり女性と話したことのないルシファーは言葉を噛みながらも少女へとできるだけ優しく声をかけた。
少女は感謝の言葉をルシファーへ述べると、満面の笑みを見せた。少女は上半身の半分以上を露出させ、両手で隠そうとしているが乳房も見えてしまっている扇情的な格好。ルシファーは顔を真っ赤にさせ鼻の下が伸びてしまったが、自分のコートを少女へと渡し着るように促した。
コートを着た少女はお礼をさせてほしいと、自分が住む村へとルシファーを案内することを提案した。ルシファーはすぐに同意し、歩き始めた少女の後を追いかけた。
歩きながら少女はルシファーの手を握り、微笑みかけてくる。指から伝わる少女の体温と鼻腔をくすぐる可憐な香り。ルシファーは鼻の下が伸びていることに気づかないまま、森を抜けるのだった。
「どうやら完全に異世界転生したと信じたようだな」
森の中に停車されたトラックの中でモニター画面を見ながら、ティーブレイクは満足気にそう口にした。
そんなティーブレイクの後ろで俺はタオルを使い全身に付着した血を拭き取っていた。もっとも本物の血ではない。毛の中に仕込んでいた血糊だ。
「君の演技もなかなか上出来だったぞ、大牙。事前に練習もしていないのにスローモーションのタイミングを完璧に合わせるとはな」
ティーブレイクが珍しく素直に褒めてくるが、俺としてはとんだ茶番に付き合わされたという思いからどうにも嬉しくない。俺は先ほどまでのルシファーとの戦闘ごっこを思い出しため息が出た。
ルシファーの奴は自分のスキルで俺を撃退したと思っているんだろうが、異世界転生が茶番劇である以上は先ほどのスキルももちろん偽物だ。
遠隔斬撃に関しては、奴が剣を振るタイミングで毛の中に隠していた血糊を機械で噴出させただけだ。出血程度のダメージしかないことや、狙った場所にダメージを与えられないと言った疑問点はスキルのレベル不足という説明をすることでクリアした。ついでに言えば何発か実際の剣撃を受けたが、防弾チョッキ以上の耐久性をもつ俺の毛皮はノーダメージだ。ここも血糊でダメージを演出したに過ぎない。
奴の視界に表示された案内文は、ルシファーが眠っている間に仕掛けた特殊なコンタクトレンズによる演出だ。MS機関が開発したもので、装着者の網膜内に遠隔操作された映像を流すことができるという代物らしい。
スローモーションもコンタクトレンズによって視界を歪める演出をさせ、後は俺が実際にスローモーションで動くだけのこと。スローモーションのスキルをルシファーが使おうとすると、その脳波を観測機がキャッチし、俺の耳に仕掛けれた小型イヤホンへタイミングを知らせてくれる。
いずれも結構単純な仕掛けだが、ルシファーの奴は疑問に感じなかったようだ。ティーブレイクの目論見通り、俺の存在が異世界転生のリアイリティを補強したということだろう。別に嬉しくもないけどな。
モニターを見てみると、ルシファーはさくらに連れられて村へと到着したらしい。村人たちが家から現れて二人を取り囲んでいる。台本通りならルシファーは大歓迎されギルド長を名乗る役者から冒険者にならないかと、提案されているはずだ。もちろん村人は全て役者だ。
「これだけの役者をよく揃えたもんだな。村そのものも地面に穴を掘って住居にしたり結構大掛かりなセットがあるぜ。映画並みじゃないか。予算大丈夫なのか、これ?」
「君が作ってくる賠償金額に比べれば問題ない。村のセットは以前実際に映画で使われていた物を利用しているだけだ。役者に関しては少し前に私が援助した芸能団体から格安でキャスティングした」
「お前にそんな人脈があるとは知らなかったぜ、ティーブレイク。で? 今のところどうなんだ? 実験の目標はあのルシファーの人格矯正なんだろ? 成果は出ているのか?」
「もちろんだ、大牙。ほら、さくらにコートを着せてあげたり、村まで手を引いて歩くのを介助したりと紳士的に振舞っているだろ? 今だってほら」
ティーブレイクに言われて俺はモニターを見た。ちょうどギルド長に冒険者としてスカウトされているシーンだ。ギルドへの登録を済ませたルシファーがギルド長からギルドカードを発行され受け取っている。その表情は晴れ晴れとしていて、背筋を伸ばし誇らしげに敬礼していた。
「まぁ、確かに表情は晴れやかだな。でもそれだけで人格矯正したっていうのはどうなんだ?」
「あの男は過去数件女性への声かけと連れ去り未遂で警察から何度か警告を受けているのだよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「奴の自室を調べたことがあるが、数人の女性たちを尾行した動画や盗撮画像、それから連れ去りの計画書も見つけた。ついでにエロ本やエロ動画の類も基本的にはその手の趣向の物しかなかったな」
「‥‥‥‥‥‥見たのかよ」
「ばっちりな。でだ。そんな男が君に衣服を剥ぎ取られ扇情的な姿になったさくらを襲うことなく、紳士的に振舞っている。これはもう人格矯正が成功していると言えないかね? さぁ、これから変質者ルシファーが真人間になれるようにストーリーを進めるぞ。大牙、君も気合いを入れるように」
空返事をしながら、俺はモニターに映るルシファーを見た。両隣をさくらとギルド長役の男に挟まれながら、豪勢な朝食をルシファーは楽しんでいる。
ーー三つ子の魂百までと言うぜ。
さくらを舐め回すように見ているルシファーの視線に若干の不安を覚えながら俺は台本へと手を伸ばした。




