最終話 告白
「ちょっと何してるんですか!」
友樹が助手席へ移動して倖の体に圧し掛かろうとしていた。友樹から逃れるために、もがくと手首が捕まってしまう。
「倖、好きだ」
全力でそれを阻止するにも関わらず、友樹の唇は磁石で引き寄せられるかのように倖の唇へと押し当てる。
愛しているだの、好きだのと何度も言葉にしながら。
――嘘だ。
これは女を口説く手段だ。目の前にたまたま手頃な女がいて、それがいなくなる前に一度食べちゃおうとか思っているに違いない。
「いやっ」
「倖、俺を見ろ」
うっすらと瞼を開けると、友樹は視線を睨むような視線で倖を見ていた。
必死に抵抗したお蔭か、友樹の腕の力は緩む。ようやく諦めてくれたのだと倖はほっと息をついた。
不満げな様子で友樹は続ける。
「最後にこれだけは教えろ。倖の好きな男はどんな奴なんだ」
「い、言えません」
それを聞いた友樹は深い溜め息を吐いた。
「その男は、お前を幸せにしてくれるのか?」
「……多分」
「で、誰だ。そいつは俺が知っている奴か?」
初めて会った時と同じくらいの気迫で友樹は倖に答えを要求してきた。
なぜそれを言わなくてはいけないのか。倖は悩んだ。
だけど、これは何も始まっているわけでもないし、告白する前からフラれるのはわかりきったことだった。
ならばしっかりとフラれたほうがすっきりする。
倖は決心した。
深呼吸をして目を瞑り、そっと人差し指を友樹の胸に押し当てる。そして片目を開けて友樹の顔を見た。
「と、ともき……」
「何だ」
「だからっ、友樹なんだってば!」
「ぐ、おっ!?」
倖は恥ずかしさのあまり、友樹を両手で突き飛ばした。友樹は車に体をぶつけ、反動で車がぐらぐらと揺れた。
「もうやだ、恥ずかしい! このドアを開けて!」
倖がドアノブを何度も引いていると、ドアノブから体ごと引き離された。と思っているとそのまま友樹に背中から抱きしめられる。
「お前、俺の事が好きだったのか?」
「っ、友樹の恋の邪魔をするつもりはありませんからっ。この手を離して!」
「倖、その言葉を信じていいのか?」
腕の力を緩めることなく、熱い吐息を耳元に吐き出される。
「なんで、そういう事をするんですか! 勘違いしちゃうからもうやめてえ」
「倖。さっきから言っているが、俺はお前の事が好きだ」
「今、なんて……」
「好きだと言ったんだ。俺と結婚前提で付き合ってくれ」
頭が混乱していた倖の体の向きを変えて、友樹は再び唇を軽く合わせる。
「抵抗しないのは、イエスと取っていいのか?」
「好きだなんて……、そんなの嘘です。だって他に好きな人がいますよね? 私見たんです。友樹が綺麗な女性と逢っていたのを」
友樹は倖と会ってからは、誰とも食事にすら行っていなかった。胸に手を当てるが、心当たりがなかった。
「会った覚えはないが?」
「とぼけないで下さい! 先日駅で綺麗な女性を車に乗せていたじゃないですか!」
記憶をたどると一度だけ思い当たることがあった。でもそれは……。
「あれのどこが綺麗なんだ。ただの傲慢で我が儘な姉貴だぞ?」
「姉貴? え?」
友樹は倖の左手を取り、指輪に触れた。
「これ、本当は倖にプレゼントしたくて、姉の店で作ってもらったんだ。姉が完成したっていうからすぐに持ってきてもらった」
首を傾けて友樹は微笑む。
「誤解は解けたか?」
顔を真っ赤にした倖は腕を伸ばし、友樹の首に巻きついた。友樹はそれに応えるように背中に腕を回した。
「友樹」
「なんだ?」
「ゲームの次に好きです」
「なんだそれ、俺は二番目かよ」
倖の赤面した顔を見れば、ゲームよりも友樹に夢中なのはすぐに見て取れた。
嬉しさが込み上げ、力強くその体を抱きしめた。
「まあ、ゲームなんかよりもすぐに俺に夢中になるさ。毎晩ゲームなんて出来ないほど愛してやる」
にんまりとほほ笑んでやると、倖は友樹から離れてわなわなと身を震わせていた。
「今日はうちに泊まれ。いいな」
倖をお持ち帰りする気満々だった。返事を聞くつもりもなかった。
否定される言葉を発する前に口を塞いでやろうと友樹は顔を近づけた。
「……っ、あ。待っ……。ちょっと待って!」
顔面を手のひらで押され、友樹は目を丸くさせた。
「な、んだ?」
倖は深刻な顔をしていた。
「一つだけ、いいですか? 報酬はちゃんと下さいね?」
「その事か……」
友樹は胸を撫で下ろし、体を起こして運転席に戻った。倖もシートを起こして着衣を整える。
倖の中ではゲームがまだ一番だったのか、と読み違えた自分に悲しさを覚え、友樹は深い溜め息を吐いた。
「報酬なんかよりももっと大きいものを手に入れてるだろ」
財布の管理はお前に任せた、そう呟いて倖の額にキスをした。
☆ ☆ ☆
普段安全運転を心がける友樹は、少しばかり焦っていた。信号一つにひっかかってしまう時間すら惜しい。早く自宅に帰りたくて少しだけスピードを上げた。
「と、友樹」
「どうした」
「安全運転でお願いします……」
倖が青ざめた様子で覗き込み、運転している友樹の腕にそっと触れる。友樹は先の信号が黄色になるのを確認し、信号の手前で停止した。
ギアをニュートラルに入れてフットブレーキをかけ、倖の手の甲にキスをした。
このシートベルトさえなければ、今すぐキスをするのに。
「すまない、安全運転で帰る」
「はい」
腕を伸ばして倖の頭に触れる。信号が変わり、友樹はいつもの様に安全運転で自宅に向かった。
やや強引に自宅まで連れ込み、玄関先で倖の体を抱き寄せた。途中何度もそうしてきたがいよいよ理性が保てなくなってきていた。
「友樹っ」
「なんだよ」
ここまで来て、やっぱり嫌だと言われるのではないかと内心焦る。気持ちを抑えることが出来なくなっていた友樹は声を荒げて返事をした。
倖はもぞもぞと胸の中から顔を出す。
「あの、お手柔らかにお願いします……」
そして顔を胸にうずめ直した。耳が真っ赤になった倖を見て、友樹は下半身が熱くなった。
すっ、と友樹はしゃがみこみ、倖の膝を掬って抱き上げた。
横抱きにされ、倖が慌てて友樹の首に絡みついた。
倖が重たいから下してだのと腕の中で少々暴れていたが気にも留めず、大股で寝室まで向かう。倖をベッドに下すと、友樹は倖から離れて元来た方向へと歩き出す。
倖は上体を起こして友樹の背中を見つめていた。
「お前は邪魔だ、あっちいってろ」
友樹は両手でそれを拾い上げ、部屋の外にそれを放って素早く扉を閉めた。ドアをかりかりと引っかく音がした。友樹は上着を脱ぎながらベッドに戻る。
倖の足にまたがると、二人分の重みを受けてベッドは深く軋む。
「……倖」
「まっ、待って!」
「もう待てない」
「シャワー浴びたい!」
「後でゆっくり浴びさせてやるから。……愛してる」
倖の口を塞ぐとようやく大人しくなる。それを確認してから倖の体を横たわらせた。
友樹も重なるようにしてベッドに体を沈めた。
今日で終わるはずだった関係が今日から始まる。
友樹は眠る時間を惜しみ、何度も愛を確かめ合った。
☆ ☆ ☆
後日、一番迷惑をこうむったであろう課長に倖は報告をした。課長は開いた口が塞がらなかった。
「社長夫人。……本物に?」
社長の額に汗がにじみ出た。複雑な思いを胸に課長はハンカチで汗を拭っていた。
「あー、えと、その。今までの態度やら、申し訳ないデス」
机に額をごりごりと押し当てて、陳謝していた。
倖は課長の机の前でぽかんとした表情で立ち尽くしていた。
――すごいじゃないか、玉の輿か? ゲームが買い放題だな!
倖は、そういった返事が来ると思っていた。
課長の内線電話が鳴り続けていた。