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うっかり五年半失踪したら、夫の愛がさらに重くなっていました  作者: 市丸 七喜
■静かなる脅威 結界の内側■

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18/20

*

 アルテラの執務室を出たレティシアは、長い廊下を歩いていた。

 窓から差し込む光が、磨き上げられた床に細長く伸びている。いつもなら何でもないその光景が、今日はひどく遠く感じられた。

 頭の中は、先ほどのアルテラの言葉でいっぱいだった。


「そろそろ決断しなさい」


 いつかそう言われる日が来ることは、ずっとわかっていた。

 それでも、考えないようにしてきた。

 大魔導師になりたい。

 その気持ちは、昔から少しも変わっていない。

 ヴィクトールから求婚されたときも、大魔導師になりたいから結婚できないと言った。あの頃は大魔導師になることが、人生の目標だった。

 大魔導師になりたい気持ちに、嘘はない。

 ただ、こんなにも早く、彼の傍を離れる覚悟まで迫られるとは思っていなかった。

 中級魔術師になってからも、学び続けている。術式を学び、理論を追い、少しずつ先へ進んできた。

 けれど、昇級の話になると、いつもあと一歩を踏み出せなかった。

 先へ進みたくないわけではない。

 進めば、ヴィクトールから離れなければならない。

 魔術師として先へ進めば進むほど、ヴィクトールの傍から離れていく。

 いつまでも今のままではいられない。

 それでも、ヴィクトールが自分の夫ではなくなると想像するだけで、恐怖に手足が震えた。


(ヴィルの隣が、わたしの居場所じゃなくなる)


 いつか彼は家のために、別の女性を迎える。

 その人に笑いかけ、その手で触れ、当たり前のように名を呼び、大切にする。

 今まで自分に向けられていたものが、少しずつ他の誰かへ向けられていく。


(どうしたらいいの)


 無音の廊下で、自分の足音がふっと途絶えた。

 考えなくてはいけないのに、何も思いつかない。

 魔法は好きだ。もっと多くを学びたい。

 一つの術式を理解できたときの喜びを、今でも覚えている。何日考えても答えの出なかった理論が、ふいにつながる瞬間が好きだった。初めて魔法を成功させたときの胸の高鳴りも、忘れたことはない。

 まだ見たことのない術式も、解き明かされていない理論も、この世界には山ほどある。

 それらを知りたい。学びたい。

 その夢を諦めたことなど、一度もない。


(ただ、そのために今すぐヴィクトールの手を離せと言われたら)


 いつかは離れなければならない。

 ずっとそのつもりだったが、その「いつか」が今だとは、どうしても思えない。

 魔術もヴィクトールの妻でいることも、どちらも諦められない。


(でも、選ばなくちゃいけない)


 レティシアは壁に肩を預け、そのまま深く項垂れた。きつく目を閉じる。


「……どうしたら、いいんだろう」


 ぽつりと零れた声が、廊下に吸い込まれていく。


「どうしたら……」


 しばらくの間、レティシアはそこから動くことができなかった。

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