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指先に意識を集中させると、体内を巡る魔力が糸を引くように掌へ集まってくる。その流れを逃がさないよう慎重に掴み、少しずつ圧縮していった。
レティシアは両手を持ち上げた。
淡く発光していた魔力は、押し固められるにつれて輪郭を帯びていく。
目に見えない雪玉を作るような感覚だ。
(圧縮)
さらに圧縮。
内部の密度が限界近くまで高まると、魔力はようやく拳大の球体として安定した。球体の核へ炎の属性魔力を流し込む。
赤い輝きが内部でゆらりと揺れた。
炎は暴れやすい属性だ。少しでも制御を誤れば、内部で均衡を崩し、球体そのものが弾け飛ぶ可能性がある。
燃え盛る炎ではなく、薪の奥で燻る熾火を思い浮かべながら魔力を流し続ける。
球体の中心に小さな太陽のような赤い光が灯った。最後に重力魔法を発動し、表面へ均等に力を加えると、残っていた歪みが消えていった。
角が削られ、凹凸が均される。
そうして完成した球体は、不気味なほど完璧な円となった。
「……ふぅ」
思わず吐息が漏れる。
外の世界ならこんな作業に苦労したことはない。集中は必要だが、ここまで神経を削られることはなかった。
魔法を使うたびに、見えない重しを背負わされているような感覚があった。
(なんでだろう、魔力の流れが鈍い)
命令を与えても反応が遅い。
まるで泥沼の中で手足を動かしているようだった。
消費した魔力量は大したことがないはずなのに、疲労だけが異様なほど蓄積していく。額の汗を拭いながら、レティシアは苦々しく眉をひそめた。この空間に閉じ込められてから、ずっと続いている違和感だ。
(体の内側が、摩耗されているみたい。神経が焼き切れそう)
完成した魔力球を脇へ置き、レティシアは息を切らしながら床に敷いた布の上へ身を投げ出した。
硬い床の感触が背中越しに伝わる。
目を閉じる。
この空間には昼も夜、朝も夕方もない。空も存在せず、世界そのものが停止しているかのようだ。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
(魔法を使うだけで、こんなに疲れるなんて)
レティシアの腹の上へ、小さな重みが乗る。
ビトルだった。
黒い獣は当然のように前足で位置を整えると、そのままごろんと横になる。温かな体温が服越しに伝わってきた。
レティシアは自然と口元を緩めると、艶のある黒毛を撫でた。
「この亜空間って、なんか変わってますね」
ビトルの耳がぴくりと動いた。
「魔法は妙に使いづらいし、時間の流れも変。まるで……誰かが無理やり切り取って作った箱の中にいるみたい」
ビトルはすぐには答えなかった。
「左様であろうな。この領域においては、外界の一年が一日に圧縮される」
「……はい? え? ここでの一日が、外では五百日くらいってことですか?」
聞き返した声が震える。ビトルはあっさりとうなずいた。
あまりにも自然な返答だった。
「ここで五日過ぎてるから……」
「向こうでは五年ほど経っておるな」
勢いよく起き上がり、真っ白な空間の先を見る。目を凝らしても遥か先までは見えない。光とも闇ともつかない曖昧な空間が広がり、昼も夜も存在しない。風もなく、温度の変化もなく、季節の移ろいを知らせるものもなかった。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
数字が頭の中で何度も反響する。
(外の世界では、わたし五年も行方知れずになってるってこと……?)
初めて、この閉ざされた空間が恐ろしく感じられた。
ビトルはそんな彼女の沈黙を察したのか、小さく付け加えた。
「案ずることはあるまい。もともと魔法使いは人より長命であろう。まして大成した魔導士ともなれば、常人とは比べものにならぬほどの歳月を生きる。たかだか五年、さほど大事にはなるまい」
彼の声音には、達観ともつかないものが混じっている。長い時間をこの場所で過ごした者だけが身につける、奇妙な落ち着きだった。
「結婚したばかりなのに!」
ビトルはそんな彼女の動揺を察したのか、淡々とした口調のまま言葉を続けた。
「魔術に関わる者を伴侶に選んだのであろう? ならば、その者もこの程度のことは覚悟の上であろうよ」
(もしかして、慰めてるつもり?)
だが、その言葉は今のレティシアには少しも救いにならなかった。ヴィクトールと過ごした日々はまだ始まったばかりだ。
「……まずい」
レティシアは勢いよく立ち上がった。
「非常によろしくない! わぁっ、のんびりしてる場合じゃない! ヴィルが乱心する!」
「ヴィル?」
ビトルはますます不思議そうな顔をした。
「わたしの夫!」
そこまで言って、レティシアは慌てて補足する。
「夫というか、手のつけられない猛獣というか。とにかく危険な人なんです! 普段は理知的で、穏やかな人なんですけど! なんか、線が。線が切れると、大変なことに!」
ヴィクトールは普段こそ冷静沈着だが、一度理性の箍が外れれば誰にも止められない。自分が理由もわからないまま消えたのだ。
最悪の想像が脳裏をよぎる。
「ああ、どうしよう。わたしが五年も戻らないでいたら、余計なことを吹き込む人たちを片っ端から粛清してるかもしれない!」
想像の中で、冷たい微笑みを浮かべながら政敵を追い詰めていくヴィクトールの姿が見えた。
(十分あり得る)
むしろその程度で済んでいればいいほうかもしれないと、レティシアは青ざめた。
「大変だ、早く帰らないと!」
しかし、勢い込んだところで現実が立ちはだかる。
この場所の存在を知る者はほとんどいない。たとえ知っていたとしても、ここまで辿り着ける人間がいるだろうか。
助けを求めようにも方法がわからない。
胸ばかりが焦り、肝心の打開策は浮かばなかった。




