第30話 8時間8分の秘密――ユニは「呼ばれた」?
翌朝。
宿屋の食堂。
ユニは何事もなかったように、パンを食べていた。
「おいしい……!」
「ユニ」
ロッタがじっと見る。
「昨日の夜、本当に何もなかった?」
「……うん」
「本当に?」
「……うん!」
ユニは笑顔を作る。
――言えない。
お風呂で尾びれが生えたこと。
そして湯面に浮かんだ、
『8時間8分――それは、帰るための時間』
という文字。
何より、海の魔法使いの最後の言葉。
「その数字を誰にも言うな」
ユニはパンを一口かじった。
「……」
その様子を、レオンがじっと見ていた。
「ユニ」
「なに?」
「昨日の夜から、魔力が少し変だよ」
「えっ!?」
ユニの手が止まる。
「……そう?」
「うん」
レオンは目を細める。
「海の魔力が強くなってる」
「……」
そのとき――。
「なるほど」
賢者が突然、ユニのポシェットを指差した。
「ちょっと見せてみい」
「え?」
「そのポシェットじゃ」
「これは秘密の――」
「分かっておる」
賢者が珍しく真剣な顔をしている。
ユニは恐る恐るポシェットを渡した。
賢者が中を覗く。
貝殻。
海の石。
小さな瓶。
そして――。
「……これは?」
賢者が一枚の貝殻を取り出した。
すると、
青い光がふわっ……
と浮かび上がる。
「先生?」
マリが覗き込む。
「なんですか?」
「待て……」
賢者の顔から笑みが消えた。
貝殻に刻まれていたのは――
見たことのない古い紋章。
円の中に、
海を表す波。
その上に一本の線。
そして、その中央に――
「8」
さらにその横に、
もう一つの「8」。
「……8と8」
レオンが呟く。
「まさか……」
賢者は震える手で紋章を撫でた。
「そんなはずは……」
「先生?」
マリが心配そうに声をかける。
賢者はしばらく黙っていた。
そして――
「ワシは昔、一度だけこの紋章を見た」
「どこで?」
「王城の地下にある、立入禁止の古文書庫じゃ」
ユニが驚く。
「王城に?」
「ああ」
賢者は貝殻を見つめる。
「じゃが、そこに書かれていたのは――」
一度言葉を切る。
「人魚の記録ではなかった」
「じゃあ、何?」
賢者はゆっくり顔を上げた。
「世界の境界の記録じゃ」
全員が黙る。
海と陸の境界
賢者は地面に杖で円を描いた。
「昔、この世界には海と陸を隔てる境界があった」
「境界?」
「うむ」
「そして、その境界が弱くなると……」
賢者は二つの円を重ねる。
「海と陸が一時的につながる」
レオンが目を見開く。
「それが……8時間8分?」
「まだ分からん」
賢者は首を振った。
「じゃが、数字が一致しておる」
ユニは胸がざわついた。
「じゃあ、私が陸にいられる8時間8分って……」
「単なる変身時間ではない可能性が高い」
賢者が答える。
「海と陸が重なる時間なのじゃ」
ユニは自分の足を見る。
昨日、尾びれになった。
それは――
自分の魔法が切れたのではなく、
海に引っ張られたから?
そのとき。
ロッタのペンダントが、
キィィン……
と鳴った。
「!」
ユニのブレスレットも光る。
青い光。
銀色の光。
二つが重なる。
そして――
空中に、古い文字が浮かび上がった。
レオンが読む。
「……『境界守り』?」
賢者が息を呑む。
「ロッタ……」
「僕?」
賢者はロッタのペンダントを見る。
「その銀の一族は――」
一瞬、言葉を失う。
「……昔、海と陸の境界を守っていた一族じゃ」
「!」
ロッタが固まる。
「僕の家族が?」
「まだ断定はできん」
だが、そのとき。
ユニのポシェットから――
貝殻が鳴った。
『……ユニ』
全員が振り返る。
「魔法使いさん!?」
昨日途切れたはずの通信だった。
『……聞こえるか?』
「うん!」
『なら、よく聞くんじゃ』
声が震えている。
『お前は……』
しばらく沈黙。
『偶然、陸へ飛ばされたんじゃない』
ユニの目が見開かれる。
「……え?」
『誰かが……』
その瞬間――
ザザザッ!
通信が乱れる。
『ユニを……あちらへ……』
「誰が!?」
『それは――』
ブツッ。
通信が切れた。
「魔法使いさん!」
ユニが貝殻を握りしめる。
返事はない。
静まり返った食堂。
賢者がゆっくり口を開く。
「……ユニちゃん」
「はい」
「お主がこの世界に来た理由を――」
賢者は貝殻を見る。
「ワシらは探さねばならん」
ロッタもペンダントを握る。
「僕の家族のことも」
レオンは静かに頷く。
「そして、王城が僕たちを追っている理由も」
マリが眼鏡を直した。
「つまり……」
「うむ」
賢者が立ち上がる。
「この旅は、ただの人魚の異世界旅行ではなくなった」
ユニは窓の外を見る。
青空。
見たことのない町。
まだ見ぬ世界。
「……でも」
ユニは笑った。
「せっかく来たんだから――」
「もっと世界を見てみたい!」
ロッタが笑う。
「そうだね」
レオンも小さく笑った。
「僕も知りたい」
マリが拳を握る。
「人魚様の謎を!」
賢者も杖を掲げる。
「世界の秘密を!」
「……」
ロッタが呆れる。
「マリと師匠はユニのことしか考えてないだろ」
「当然です!」
「そうじゃ!」
「そこは否定してよ……」
ユニは笑った。
しかし――
誰も気づいていなかった。
町の外。
遠くの丘の上から、誰かがこの宿を見つめている。
その人物は、ユニのブレスレットを見て呟いた。
「……やはり、青の鍵が目覚めたか」
そして――
ロッタの銀色のペンダントを見る。
「銀の守り手まで……」
最後にレオンを見る。
「そして、あの少年もいる」
その人物は静かに笑った。
「三つ揃ったか」
旅は、もう後戻りできないところまで動き始めていた。




