第9話 挨拶
翌日。周はいつものように自分の席に座って時間を潰している。
「ふあーあ、眠い」
周は大きくあくびをしながら涙を拭いた。昨夜ほとんと寝られなかった。その原因は莉子だった。
『私が藤田くんのこと恥ずかしく思うことなんて絶対ないから。嫌いになることも。だって、私、優しい人が好きなんだもん!』
昨夜、莉子に言われた言葉がずっと頭の中から離れなかった。家に帰ってシャワーを浴びるときも、ベッドに横になったときも、寝ようと目を瞑る瞬間まで、あのときの雰囲気と空気、莉子の顔と声まではっきりと浮かんできて一睡もできなかった。
もちろん、七瀬さんがそういう意味で言ったわけではないって知ってるけど。勘違いしちゃうんだ。
「はあ・・・七瀬さんなんであんなこと言ったんだ」
周は頭を抱えて苦しんだ。そんな周に、一人の少年が足音を殺して近づいてきた。
「わい!」
「うあっ、な、なんだみなとか」
「はは、びっくりしたんだろ」
みなとがまるでイタズラに成功した小学生みたいに笑った。
「朝っぱらからなに落ち込んでんだ。またバイト一人ですんの」
「ちょっと寝れなくて」
「そっか」
みなとはあまり興味ないかのように、それ以上聞かなかった。周の前の席に座って後ろを向いた。
「で、一緒にバイトする人はどう? 店長の娘さんだったっけ」
「どうって聞かれても。っつか、それ気になるか」
「そりゃ当たり前だろ。友達が誰とバイトしてるか、気になるに決まってるだろ。で、かわいい?」
「それ、俺と関係なくない?」
周は呆れた目でみなとを見た。
「これは普通の男子高校生の好奇心。で、かわいいんか」
「お前まじで図々しいね。まあ、かわいい方だと思う」
「マジかよ!? 俺遊びに行っていいんか?」
「ダメに決まってるだろ」
周は即答した。みなとが遊びにくると面倒なことになるのも理由の一つだが、一緒にバイトする人が莉子だってバレてしまうのだ。
「チッ、それじゃ写真ある? どんな感じか気になる」
「写真持ってるわけないだろ」
「じゃ芸能人だと誰に似てるかだけでも教えてくれ」
「芸能人、か」
芸能人なんて、あんまり知らないんだが。
「ああ、七瀬さんと似てる」
「七瀬なら、うちのクラスの七瀬莉子!?」
「そう」
似ているというより、本人なんだけど、それは言えないから。
「ヤッベ! 俺ガチで遊びに行きたいんだが。今日行く」
「ダメだってば」
しつこく遊びにくると言い張るみなとをなんとか追い払った。そんな中、教室のドアが開き、莉子が教室へ入ってくる。
「おはよー」
莉子の声を聞いた瞬間、周は凍りついたように動きが止め、ぎこちなく顔を向けた。
「・・・七瀬さんだ」
「そうだね」
周の声に、みなともドアの方へ視線を向ける。
あ、また浮かんちゃった。
みなととの会話でちょっと忘れていたけど、莉子を見た瞬間、昨日のあの言葉が脳裏によみがえってしまう。周はドキドキとする胸をギュッと押さえた。
「あら、七瀬、こっちにくるみたいだが」
みなとが不思議そうに呟いた。学校にくるといつも自分の席に向かうのに、なぜか今日はこっちへ歩いてきているようだった。
まあ気のせいだろう。
そう思っていたが、気のせいではないと気づくまでにあまり時間はかからなかった。莉子との距離はみるみる縮まっていき、やがて彼女は周の目の前で足を止めた。
「藤田くんおはよー」
「えっ?」
すぐ近くで莉子の声が聞こえ、周はパッと顔を上げた。自分の前の前に立っている他人を見た瞬間、目が丸くなった。
「な、七瀬さん・・・?!」
周は自分の目を疑った。
なんで七瀬さんがここに・・・。
昨日、莉子が言っていたことと、今目の前で起きている出来事があまりにも噛み合わなくて頭の中が混乱した。
そんな周の戸惑いなど気づいていないのか、莉子なも一度ニコッと笑って手を振った。
「藤田くんおはよー」
「う、うん。おはよう」
まだ状況を飲み込めないまま、とりあえず手を振り返した。すると、用事は済んだと言わんばかりに、莉子はそのまま自分の席へ戻っていった。
周は呆然と彼女の背中を見つめた。
「おい、おいっ! なんだよ今の! なんで七瀬がお前に挨拶するんだ」
一部始終をすぐそばで見ていたみなとが、慌てた様子で詰め寄ってくる。
周の制服の襟を掴み、前後に揺さぶりながら問い詰めるが、この状況に混乱しているのは周も同じだった。
昨日、がこうでは内緒にしてほしいって言ってなかった?
疑問を抱いたまま、周は莉子をじっと見つめる。
「周、答えろっ!」
みなとが必死に呼びかけていることにも気づかないまま。




