第8話 嫌いにならない
時間は過ぎて窓の外が薄暗くなってきた。客も一人二人帰って行き、カフェ内には周と莉子二人だけ残った。二人は店の掃除を済ませてから服を着替えた。先に莉子が更衣室に入って着替えて出ると、続いて周が入って服を着替えた。制服に着替えて外に出ると、スマホをいじって待っている莉子の姿が目に入ってきた。周は足音を立てずに莉子に近づいた。
「七瀬さん」
「ん? あ、着替えてきた?」
周が声をかけると、莉子はスマホから目を離してゆっくりと顔を上げた。制服に着替えた周を目にして、莉子は鞄を取りゆっくりと立ち上がった。
「じゃ上がろう」
周は頷き、二人は一緒に店を出た。
莉子が店のドアを閉めて鍵を鞄に入れた。
「今日お疲れ様〜」
「お疲れ」
「私はこっちだけど、藤田くんは?」
「俺もそっちだ」
七瀬さん、俺と同じ方向なんだ。
昨日も一緒にバイトしていたけれど、七瀬さんは寄るところがあると言っていたため、一人で帰っていた。
「・・・じゃあ、途中まで一緒に帰る?」
莉子がそっと目を逸らして尋ねた。だが、辺りが薄暗くて、周はその様子に気づかなかった。
方向も一緒だし、暗くなったから。
「いいよ。一緒に帰ろう」
周の答えに、莉子の顔に、明るい笑みが浮かんだ。
「じゃ行こう!」
莉子は腕を大きく前後に振りながら、先を歩いていった。周はその後をゆっくりとついていった。
二人は並んで歩いていった。だが、二人の間には一切会話はなかった。
なんか気まずい。
他に誰かいればマシだと思うが、二人きりだから余計に緊張し、気まずく感じる。そもそも七瀬さんとは同じクラスという共通点があるだけで、ほとんど知らない人と言ってもいいくらいだ。この気まずい静寂を破るためには、何か話しかけた方がいいのだろうが、相手のことを何も知らないため、何を話題にすればいいのか見当もつかなかった。
そんなこと考えながら歩いている中、相手から先に話しかけてきた。
「藤田くんってさ、いつからうちの店でバイト始まった?」
「あ、半年くらい前、かな。入学してまもない頃に始めた」
「じゃこの前ママが言ってた同じ学校の子って藤田くん、か」
莉子は呟くように独り言を言った。
「七瀬さん、今なんて言った?」
「ベぇっつにー。そんなことより、半年もうちの店に出たの? だから、仕事ができるんだよね」
「い、いや、別にそんなことない」
「ううん。母さんもバイトできる子だってめちゃ褒めてたよ。『藤田くんがいるから、コーヒー淹れられない私でも安心して任せられる』って」
「・・・それ、褒められてるのかな」
さっきは褒められる気がしてちょっと嬉しかった。だが、最後の店長の言葉はなんだか俺に全部押し付けるような気がする。・・・気のせいかな。
周は疑問に思ったが、だからといって直接聞くわけにはいけなかった。
「で、藤田くんがいてガチで助かったよ。私一人じゃ何もできなかった」
「それはそっ」
「なに今。なんか言おうとしたよね? なんて言おうとした」
「・・・なんでもないです」
口に出す前に気づいてよかった。危うく「それそうだね」と何気なく頷いてしまうところだった。
「そんなことより、七瀬さんはいつまで代わりにシフトに入るの?」
「さあな・・・。一週間? いや、二週間かな。私もよくわからない」
莉子は首を傾げながら言った。
「母さんの腰が良くなるまで代わりに出ると思うんだけど、それがいつになるかは私もわからない」
「店長、そんなにひどい?」
「うーん、本人は痛いと言ってるけど、いつもソファでゴロゴロしてて、実は仮病なんじゃないかって思っちゃうんだよね」
莉子は顎に手をついて少し眉間に皺を寄せた。
「とにかく、短くでも一週間くらいは代わりに入ることになると思う。だから、その間よろしくね。藤田くん」
「う、うん」
「あっ、それと! 私がここでバイトしてるってこと、学校では絶対内緒だから」
「なんで?」
「だって、恥ずかしいんだもん」
莉子は両頬に手を添えて答えた。しかし、その答えで周の表情が暗くなった。
恥ずかしいって俺と一緒にバイトするのが恥ずかしいのか。
その可能性がないとは断言できない。七瀬さんは学校一の人気者だと言っても過言ではない。自分の知らない人まで自分のことを知っているし、彼女に興味を持ってない人なんて多分一人もいないはずだ。なのに、学校で静かで陰キャな俺と親しくしているなんて知られたら、彼女のイメージに大きな傷がついてしまう。だから、俺と二人きりでバイトしていることを内緒にしたがるのも当然だ。落ち込む理由なんてないはずなのにぃ・・・。
「カフェでバイトしてるの友達にバレたら、めちゃ遊びにくるのよ。友達にバイトする姿見られちゃうの、恥ずかしすぎる。どういうことかわかるでしょ。だから、学校では内緒にしてほしい」
「・・・・・・」
「藤田くん? もしもし、聞こえてるの?」
「・・・・・・」
莉子は呆然として自分を見つめる周の目の前に上下に手を振ってみたが、なんの反応がなかった。
「藤田くん? 無視してるの?」
「・・・ふあ、よかった」
「藤田くん?! 大丈夫??」
周は大きく息を吐き、そのまま力なく座り込んだ。莉子はびっくりして彼の横にしゃがみ込んだ。
「いきなりどうしたの。体調悪い?」
「いいや、平気だよ。ちょっと安心して」
「安心したってどういうことなの?」
莉子はきょとんとした顔を浮かべた。
これ、正直にいうべきかな・・・?
自分と一緒にバイトするってことが恥ずかくて他の人に話したくないと思った、っていうのはちょっと恥ずかしかった。だけど、心配げな表情で自分を見つめている莉子の顔を見ていると、正直に言わないといけない気がした。
「七瀬さん、てっきり俺のこと恥ずかしいって思ってるのかと思って。だから、学校では一緒にバイトしてるの内緒にしてほしいって言ったんだと思ってた。・・・はは」
「ええぇ?! そんなわけないじゃん。藤田くん恥ずかしいだなんて思ったこともないよ」
「そうだよな」
ただ、俺が勝手に勘違いしていただけだ。七瀬さんみたいにいい人が、他人をそんなふうに思うはずないのに。
周は地面をついてゆっくりと立ち上がった。莉子は相変わらず心配げな表情で彼を見つめた。周は「大丈夫」って言い少し微笑んで見せた。
それから、二人の間には再び静寂が流れた。
「あ、私ここからはこっちの方向だよ」
莉子は右の道を指さした。周の家とは反対方向だった。互いに口を開くことなく歩いていると、不意に莉子が足を止めた。
「俺はこっち」
「じゃ、ここでバイバイしよーか。またね、藤田くん」
「うん。またね」
周は手を振る莉子から背を向けた。家に帰ろうと足を運んだ瞬間、莉子が周は呼びかけた。
「藤田くん」
莉子の澄んだ声に、周は振り向いた。さっき手を振り合った場所で、莉子はじっと立って大声で言った。
「私が藤田くんのこと恥ずかしく思うことなんて絶対ないから。嫌いになることも。だって、私、優しい人が好きなんだもん!」
「・・・・・・」
「言いたいことはそれだけ。今日お疲れ。今度こそほんーとにまたね〜」
そう言って莉子は自分の家の方へ走っていった。周はその場に凍りついたまま、遠ざかっていく彼女の背中をぼーっと見つめた。
「そんなこと言われたら・・・・・・・勘違いしちゃうんだ」
鼓動がみるみる速くなり、顔が熱くなってくる。周はそっと自分の胸を抑え、このドキメキが収まるまで、しばらくその場から動けなかった。




