第6話 何やってんだ俺!
莉子は何も言わずに周が差し出した白いタオルに手を伸ばした。
「冷たいっ」
タオルを手に取った瞬間、冷たい冷気が指先に食い込んだ。莉子はビクッとして眉を震わせ、反射的に手を引っ込めた。
「中に氷を淹れておいたんだ。これ当ててれば少し楽になるんだ」
さっき周が莉子から背を向けたときだった。
七瀬さん、大丈夫だと言ったけど、痛そうだった。
周もここでバイト始めたばかりの頃、似たような経験があったから、誰よりもよくわかっていル。
塗り薬まだあるかな。気持ちとしては今すぐ探しに行きたいけど、注文がめちゃ溜まってて行けない。
莉子がコーヒーを淹れられないということを知らずに注文を受けてしまったため、注文がすごく溜まっていた。それに、火傷の塗り薬の場所がわからない。
どうすればいいんだ。・・・まずは応急処置で。
周は引き出しからビニール袋をひとつ取り出すと、製氷機の蓋を開けた。スコップで氷をたっぷりすくい、袋に入れて袋口をきつく縛った。そして、昨日干しておいた白いタオルを一枚手に取り、その袋を包み込んだ。
『応急処置としては十分だろう』
注文を全て作り終えるまでなら、これでなんとかしのげるだろう。と周は思って氷を包んだ白いタオルを莉子に差し出したのだ。
周はしゃがみ込んで莉子と目線を合わせた。彼女の手を掴んで、赤く腫れた手の甲の上にそっとタオルを当てた。
「まずはこれで冷やしてて。注文が片付いたら薬持ってくるよ」
そう言って周は膝に手をついてゆっくりと立ち上がった。溜まった注文を片付けよと背を向けた瞬間、莉子が周を呼び止めた。
「・・・怒ってないの?」
莉子の言葉に、周はゆっくりと振り返った。
「私のせいでここはめちゃくちゃになって、めちゃ注文が溜まって、バカみたいに怪我までして足手纏いばかりなのに怒らないの? 怒ったら素直に言っても」
「怒るべきかな」
周は首を傾げて聞き返した。
「まあ、確かに七瀬さんのせいで注文がめちゃ溜まったのは事実だけど、それはちゃんと聞かなかった俺の責任もある。俺が怒れる立場じゃないと思う。だから、俺は怒ってない。あと、今は怒るよりこのアレをなんとかするのが先だから」
周は山のように積まれたメモ紙を指さした。
「さっさと終わらせて薬取ってくるから、七瀬さんはここであれ当てて待ってて」
周の言葉に、莉子はぼーっと彼を見つめて小さく頷いた。周はニコッと微笑んですぐんお湯を沸かし始めた。
コーヒーを淹れて、ドリンクを作って、またコーヒーを淹れて、お客さんに出す。これを九回くらい繰り返しただろうか。山のように積み上がっていた注文が一つ、また一つずつ減っていき、やがて全てのドンリクとコーヒーを作り終えて客に出した。
「うあ、やっと終わった。やっぱ一人では疲れるんだ」
周はテーブルに身を乗り出したまま大きくため息を吐いた。これほど注文が立て込むと、二人でドリンクを作ったりするけど、それを一人でこなしていたため、腕が震えるほどだった。
「ゆっくりしてる場合じゃない。早く七瀬さんに薬を持っていかないと」
テーブルから手を離して、更衣室へ向かおうとした。その瞬間、ひんやりとした何かか頬に触れた。周はビクッとして、咄嗟に頬に手を当てて振り返った。
「お疲れさま〜」
背後には莉子が立っていた。左手には白いタオルを当てていて、右手には氷水の入った透明なコップを差し出している。
「喉乾いたでしょ。これ飲んで」
「ありがとう」
周はコップを手に取ってごくごく飲んだ。冷たい氷水が喉を通って全身にひんやりとした心地よさが広がる。お湯を注ぎ続けて、ドリンクを作り続けて疲れ切っていた周は、一気に飲み干した。
「ありがとう。おかげで助かった。今、薬取ってくる」
「いいよ。藤田くん苦労したじゃん。ここで休んでて。薬は私が持ってくるから。どこにあるの?」
「えぇと、それが」
実は俺もどこにあるのかわからない。多分、更衣室にあるとは思うんだけど・・・どこにしまってあるのかまではわからない。薬とかはいつも店長が管理していたから。
「俺もよくわからないから、探してみないと。俺が取ってくるよ」
「でも・・・・・・」
「すぐ取ってくるから、ここに座って待ってて」
周は隅に置かれた椅子に莉子を座らせた。莉子は自分で取りに行くって言いながら座るのを拒んだが、周があまりにも頑として譲らないため、仕方なく椅子へ腰を下ろした。莉子を座らせた周は、すぐに更衣室へ向かった。
「ここにあると思うんだが」
着替えるとき、たまに白い救急箱があるのを見た記憶がある。
周は更衣室の中をあちこち探し始めた。ロッカーの上とか、ドアの横とか、机の下まで。更衣室の隅々まで探してみた。やがて、周は引き出しの中から白い救急箱を見つけ出した。
「ここにあったんだ。この中に薬があるはずなのに」
救急箱を開けて中を探ると、半分ほど使われた火傷用の軟膏が見つかった。周は軟膏を取って莉子のところに戻った。
「七瀬さん取ってきた」
周は椅子に座っている莉子の前に膝をついてしゃがんだ。
「手出してみて。塗ってやるよ」
「ん? わ、わかった」
莉子は少し顔を赤ながら左手を差し出した。周は軟膏の蓋を開け、少しだけ指先に取り、赤く腫れた手の甲へそっと塗り始める。
なんかこうしていると、バイト始めたばかりの頃が思い出す。その頃、俺も未熟で手に火傷したことがあったんだな。
この店で働き始めて間もないころ、初めてコーヒーの淹れ方を教わり、担当を任されたときのことだった。注文が入ってコーヒーを淹れるのに、初めてだったため緊張してしまった。そのため、手が震えてしまって、お湯を手の甲にかけてしまった。
あのとき、店長に薬塗ってもらったんだな。俺の手を握ってこうやって薬を・・・! ちょ、ちょっと、俺、今七瀬さんの手を握って薬をっ・・・。
周は今自分が何をしているのが意識してしまった。
な、何やってんだ俺! 七瀬さんの手を握って・・・。
さっきはなんともなかったのに、意識した途端、急に恥ずかしくなってきた。みるみるうちに、周の顔はりんごのように真っ赤に染まっていった。




