第3話 注文が入らない
周が店のユニフォームに着替えて更衣室を出ると、莉子が待っていたかのように周の方へ小走りで近づいてきて一枚の小さな紙を手渡した。
「藤田くん、注文入ったよ」
「あ、うん」
莉子が手渡した小さな紙には「コーヒー二つ」と書かれていた。おそらく、服を着替えている間、客が来て注文したようだ。
「昨日みたいに、私が注文を取って、藤田くんがコーヒーと飲み物作る担当するのはどう?」
「構わないんだが」
「じゃそれで決まりね。注文入ったコーヒーお願いするよ。藤田くん」
周は頷いてコーヒーの器具の方へ足を向けた。
まずは水を沸かしてコーヒー豆を挽いた。ケトルが熱い蒸気を吹き出すと、電源を切って少し待った。適当に冷めたと思ってコーヒー粉にゆっくりとお湯を注いだ。いつもやっている作業だからすっかり手慣れているけど、今日は視線を感じて手が少し震える。コーヒーを淹れているのを、横で莉子がじっと見守っている。そのため、
「あの、七瀬さん? いつまでそこで待っているつもりなの」
周は一度お湯を注ぐのを止めて莉子の方へ顔を向けた。
「レジで待ってて。俺が持って行くから」
「ううん。ここで淹れ終わってすぐ持っていった方が早いから、ここで待ってるよ」
「いや、そこまでしなくてもいんだけど」
そこに立っていると、誰かに見守れている気がして余計に緊張しちゃうんだって。
実際にさっきも視線が重くて、お湯を注ぐ中、手の震えが止まらなかった。
「いっそレジで待つのはどう? お客さんが来たのに、レジに誰もいないと困るから」
「ふむ、それもそうだな」
莉子は顎に手をついてしばらく考えて、やがて納得したように頷いた。
「わかった。じゃ、レジで待ってるね。終わったら呼んでくれ」
と言って莉子はレジに戻っていった。やっと一人になった周は大きく息を吐いた。
「やっと息ができる」
莉子とは同じクラスだけど、親しいわけではない。ちゃんと話したことが一度もない気まず関係な上に、人見知りが強い。気まずくて息ができないくらいだった。それだけじゃなく、莉子みたいな可愛い人と二人きりでいるとなんとなく緊張してしまってさらに息ができない。
「落ち着いて、コーヒー淹れよう」
周は再びコーヒー粉にお湯を注ぎ始めた。やがて、コーヒー粉に溜まったお湯が全て落ち切ると、周はコップを二つ取り出してそれぞれに注いでレジへ向かった。
レジでは莉子が熱心に客の注文を取っている。客が列を作るほど混んでいて、とても忙しそうだった。
少し手伝おうか。
周は下からトレーを一つ取り出してそこにコップを乗せた。
「コーヒー二つご注文のお客様」
店内全体に聞こえるように大きな声で呼びかけると、テーブルに座っていた客がやってきてコーヒーが乗ったトレーを受け取り、席へ戻っていった。
「藤田くん、私がやればいいのに」
「
「あ、これ」
周の問いかけに、莉子はメモ紙を手渡した。
あ、手触れた。
メモ紙を受け取るとき、莉子の手と周の手がほんの少し触れてしまった。指先に柔らかな感触が伝わってそれが莉子の手だと認識すると、心臓が激しく鼓動を打ち始めた。
小学生かよ。落ち着け。ただ手が少し触れただけだろ。
そう自分に言い聞かせながら、高鳴る面を落ち着かせようとした。
「藤田くん? そこで何してるの? じっと立ってて」
「ん? あ、なんでもないよ。すぐ作ってくる」
「あっ、ちょっと待って」
急に莉子が呼び止めた。周はゆっくりと振り返った。
「これ、追加に入った注文だよ」
莉子がメモ紙をもう一枚手渡した。周は頷いてすぐにコーヒー器具の方へ逃げていった。
しばらくしてメモ紙に書いたコーヒーと飲み物を全部作って客に出した。すると、少し暇ができたので、周は一息つこうと隅に置かれている椅子に腰を下ろした。注文が入らないときはちゃんと休むのも仕事の一つだ。それが店長の教えだった。ただ、客から見える場所でだらけているのはあまり印象が良くないから、隅の方でこっそり休むようにと、客から見えない場所に椅子を置いてくださった。
「七瀬さんにもお客さんがいない時は休んでって言わないと」
さっきお客さんが多くてずっと立ちっぱなしだったはずだ。だから、少しでも座って休ませてあげようと思った。おもむろに立ち上がってレジの方へ顔を出して七瀬さんを呼ぼうとした。しかし、七瀬さんの前に長く伸びた列を目にした瞬間、周は思わず口を閉ざした。
お客さん多すぎっ!
正確に加須たわけではないが、一目見ただけでも十人は簡単に超えていそうな人々が列を作っている。
「こんなにお客さんが多いのに、なんで注文が入ってこないんだ」
不思議に思った周は、莉子の方へ視線を移した。少しチャラそうな男の接客をしているようだった。
「お客様、ご注文は決まり」
「そんなことより、いつ上がるの。それ教えたら注文する」
・・・まさか、今ナンパされてる?!
カフェで客がバイトをナンパしている。常識ではどうしても理解できない光景に、周は自分の目を疑った。だが、そうしたところで現実が変わるわけではない。
「お客様、先にご注文を」
「今日バイト終わったら一緒に遊ぼうぜ。いい店知ってるから」
チャラそうな男は莉子の言葉など聞く気もなく、自分の言いたいことばかりを一方的に話している。
どうすればいいんだ。
このカフェでバイトを始めて半年ほどになるが、こんな状況は始めてだった。こういうときにどう対応すればいいのか、周にはわからなかった。
追い出すべき? いや、騒ぎになったら他のお客様に迷惑がかかってしまう。だけど、七瀬さんこもあってるのに、見ぬふりすることはできない。・・・なら、いっそう俺が。
周はゴクっと唾を飲み込んだ。緊張で強張ったけど、覚悟を決めて莉子の方へ一歩ずるゆっくりと歩いていった。
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