第2話 バイト行かないと
まさか七瀬さんが店長の娘だったなんて。改めて考えても、まだ信じられない。
翌日の朝。騒がしい教室。周は自分の席に座って昨日のことを考えている。
昨日、ぎっくり腰になった店長の代わりに娘さんが出た。その娘さんが同じクラスの子。しかも、一番の美少女の七瀬さんだったなんて。あまりにも現実離れした出来事に、昨日のことがまるで夢みたいだ。もしかしたら実は昨日は夢で、今日が昨日なんじゃないか。そんなことまで疑ってしまうほどだった。
「みなと」
「なんだ」
「今日って何日なんだ」
「今日? ちょっと待って。九月十三日だね」
みなとはスマホの日付を見せてきた。
昨日が九月十二日だったから、夢じゃないんだ。俺ガチで七瀬さんとバイトしたんだ。それも二人きりで。
胸が高鳴り始めた。ドクンドクンと響く鼓動があまりにも大きくて、周りの人にまで聞こえてしまうのではないかと心配になるほどだった。
「お前大丈夫か」
「ん!? な、何が」
「ちょっと顔が赤いよ。風邪か」
「いや、ちょっと暑くて」
「今日、風強いけど」
「そ、そうかな。えぇと、窓際だカラカ、日差しが暑いな」
「俺も窓側だが」
みなとの言葉に、周は窓の外に視線を逸らした。みなとの視線を感じられたが、必死に無視して窓の外を眺めた。登校している生徒たちを見ている中、教室のドアが開く音と共に澄んだ声が一つ聞こえてきた。
「おはよー」
莉子の声だった。 周は思わず反射的にドアの方へ顔を向けた。今登校したばかりに莉子が友達に手を振っているのが見えた。その姿にすっかり見惚れ、ぼんやりと眺めていると、周は莉子と目が合ってしまった。
ど、どうすればいいんだ。挨拶をしべきかな。挨拶するほど親しくはないんだが。
見ていたことに気づかれたのも恥ずかしいし、どうすればいいのかわからなくて混乱してしまった。慌てていると、リコはニコッと笑い、こっちへ向かって無言で手を振ってくれるのが視界に入った。その小さな挨拶に、周は驚くほど落ち着きを取り戻した。そして、小さく手を振り返した。
しかし、何も知らないみなとからすれば、友達が突然誰もいない虚空に向かって手を振っているようにしか見えなかった。
「なんだお前。幽霊でも見えるんか」
「違う」
「誰に手振ってるんだ」
「知らなくていいんだ」
冷たく答えたものの、周の口元はわずかに緩んでいる。
時間が過ぎて放課後になった。周は机に突っ伏したままぽつりと呟いた。
「バイト行かないと」
早く立ち上がっていかないといけないのに、体が重い。最後の授業中に少し居眠りしてしまったため、まだ完全に眠気が抜けていない。そのため、頭も少し痛いし、体もたるい。すぐにでも眠れそうだった。
「いや、眠っちゃダメだ。バイト行かないと」
周は自分の両頬を強く叩いた。これ以上座っていたら本当に寝てしまいそうだったので、すぐに鞄を取って席を立った。教室のドアへ向かって歩いている途中、席で友達と楽しそうに話している莉子の姿が目に入った。
今日も七瀬さんが代わりに出るのか。
莉子が今日も店長の代わりに出るのか、周は何も聞いていなかった。あくまでリコは腰を痛めた店長の代わりで、正式に働くわけではない。そのため、今日も出るのかわからなかった。
もし今日も七瀬さんが代わりに出るのならそろそろ出発しなきゃ。今行かないとって伝えるべきかな。いや、余計なお世話だ。七瀬さんじゃなく、店長が出るかもしれないだろ。と思って周は教室を出た。
莉子は周が教室を出たことにすら気づかず、友達とのおしゃべりを楽しんでいる。
「で、昨日超ウケだよ」
「マジやばいね。莉子もそう思わない?」
「そうだね」
莉子は友達の話に相槌を打ちながらチラッとスマホを見た。もうするバイトに行く時間だった。莉子が自分の鞄を取って席を立つと、友達がきょとんとした顔で彼女を見上げた。
「ごめん、私もう行くね」
「どこ行くの」
「その・・・バイトしに」
「「莉子バイトしてる?!」」
二人が同時に声を上げた。
「ちょっとだけ」
「どっこでしてるの?」
「カフェで」
「えっマジで? うちら遊びに行ってもいい?」
「ダメに決まってるでしょ」
莉子ははっきりと答えた。
「なんでぇ。行きたいぃ行きたいぃ」
「莉子のバイトする姿。見たいな」
「恥ずかしいから絶対ダメ。とにかく、私そろそろ行かなきゃ。またね」
莉子は二人に手を振り急いで教室を出た。
遅刻しちゃいけないのに・・・。
莉子は急いで駆けていった。店に向かいながらも、何度もスマホを取り出して時間を確認した。
******
周はカフェーのドアを開けてトボトボと中へ入っていった。俯いたまま入っていると、澄んだ声が周を迎えてくれた。
「藤田くんいらっしゃい〜」
聞くだけで癒されるような声に、周はゆっくりと顔を上げた。レジに立った莉子がこっちへ向かって大きく手を振っていた。周は目を見開きながらつかつかと莉子へ歩み寄った。
「な、七瀬さん。今日も店長の代わりに出た?」
「あれ、私言ってなかったっけ。母さんまだ腰が痛くて、しばらく私がわかりに出るよ。藤田くん改めてよろしくね〜」
莉子の言葉に、周は眠気が一気に吹き飛ぶのを感じた。頭がスッキリと冴え、だるかった体にも血が勢いよく巡り始める。眠気で半分閉じかけていた目にも、生気が戻ってきた。
「そうなんだ。俺は今日はてっきり一人だと思って。よかった。七瀬さんがいて」
「それはこっちのセリフだよ。藤田くんがいてほんーとよかった」
あ、これはやばい。
莉子の言葉に、また胸が高鳴り始め、顔が熱くなってきた。
これじゃ、絶対今顔赤くなった。七瀬さんに見られちゃ変に思われるに違いない。
周は隠すように顔を背けた。
「お、俺着替えてくる」
「行っておいで〜」
周は逃げるように慌てて更衣室へ駆けていった。更衣室に入り、服を着替えている間も、胸の鼓動は一向に収まらない。ドクンドクン、と心臓が速い音を立て続けている。
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