♪ Nostalgia 8 ♪
……あれー?
おかしいなー。本当に、本当の私になったー?
爽快感がないなー。胸が重いし、寒いままだなー。
場所が変わってない。
夜の最果ての線路の光。硬い地面。頭蓋骨が絞まるように、アタマが痛い。
「バカだねェ」
声の方を向くと、廃踏切が点滅した。音もなく赤い光が交互に灯る。
そこに志保が居た。
志保は手をコートのポケットに突っ込み、地面から亡霊のように浮いている。
目が悪魔のように赤々と光っている。
志保のうしろに、闇の塊がある。ヒグマくらいの大きさの、闇の塊だ。岩山のように重そうだが、腕や足のようなものが生えている。
固形でもあるけども、重い流体でもあるような感じ。
あれが闇だ。倒したはずなのに、消えていなかった。
私の精神力が足りなかったのか? そんなはずはない。事実の力は、絶対だ。事実の光に焼かれない闇などない……っ。
闇の化物の気配に従って、吐き気が復活した。
足元が谷になったように心細い。
何よりも、私の頭が、灼け着くように痛かった。
どうしてなのかな? ……これじゃあ、まるで、事実の光に私が灼かれているみたいなぶざまさじゃないか。
そーか、そーか、わかった、理解しました。志保、あいつだ。あの強大な悪魔の配下が、闇なんだ。あの悪魔の志保を倒さないかぎり、私の安寧はねえんだな、わかりました。殺してやるわ。あの悪魔を。を! をを!! をッをッ!!! 私は痛む胸を掻きむしり、絶叫をして、志保に飛びかかった。うふおあじゃおおおおいおおおあおあおふぁあおおおおおおおおおおををおあーーーーーーーー!!!!!!!
志保は右手だけポケットから出した。
死神の鎌が現れた。
瞬時に、志保は長柄のソレを片手で操って、私を斬った。
……。
私は斬られた後で知った。志保は片手で、右斜め、左斜め、下、上と斬り、最後にまっすぐ貫き、私を地面へ縫い付けた。その全部を一動作でやってみせた。
死神の鎌は、私の胸を貫き、地面に自立していた。私は動けなかった。鎌は光をまとっていた。それは事実の光の色だった。
その時、私は絶望的な事実を知った。光に照らされて、私のカラダから伸びている影が、あの闇だった。闇は私から出て、志保のうしろに居る化物に繋がっていた。
言い訳はできない。闇は私そのものだった。
贋物の私なんかではなかった。
じゃあ、私が思っていた「事実」は、妄想。
私が見た「光」は、闇。
だから志保は言ったのだ。
「バカだねェ」って。
志保は、悪魔なんかじゃない。
悪魔、は……。
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――
喉から声が止まらなかった。鳥のような、それとも架空の、獏だとか鵺ののような声で、鳥肌が立った。私の中の闇から、直接溢れ出た声。悲しみを、私は、全身で感じた。悲しみしか、無かった。本能的に私が味わうのを避けてきた物だけが、今あった。辛かった。辛すぎる。普通の人間のふりをしていたけど、私は悪魔そのもので、もう、戻らないといけない。本当の自分に。悪魔の闇のカラダに……! あああぁぁ、おぞましい……!!
闇の化物は、にじり寄って来た。
逃げられない。
縫い付けられている。
脱出できても、アレは、私の影を通して繋がっている。
そして、此処は、闇の夜の世界。影は、何処からでも出て来る。
逃げられない。
化物は頭上に来て、私を覗き込んでいた。
志保は遠くで、冷たい目で、飾り気のないタバコを吸っていた。鎌で斬られ、縫われ、冷たい目で見られるのは、志保のファンなら応募してでも望むだろう。私は、嫌だ。助けて。志保。志保助けて。
闇の化物は私にかぶさって、包み込んだ。いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! これは、私の叫びだった。やめてくれない。冷たい個体の削る力、そして液体の隙間の無さを、持っていた。なめくじの肌の粘液を持っていた。瞬間接着剤の固着力を持っていた。私の皮膚は、全部ふさがれた。黒い液体状の個体が、顔に向かって、上がってきた。
このまま、顔をふさがれたら、息ができなくなってしまうよぉぉ!
化物の身体から、医薬品の消毒くささ、糞尿の臭い、吐き気のする温い光が放射されていた。
悲しさや恐怖そのものの感覚が、私の身体に流れ込んで来た。
しかし、闇は私でもあって、だから、悲しさと恐怖は、私の身体の中央から発生している。
逃げようとしても、私自身が発生源だった、ああああああああああああ!!!!
身体とか、心とかではなく、
「私」という一人称じたいが引き千切られるような苦痛が奔る。
「私」が塵々になって、消えてしまったら、「私」は一体どうなる? 予想がつかない。「私は怖い」!! 消え去った時の苦痛に、「私」は耐えきれるのか!? NO。即答、NOだ。無理だ。なぜか感覚的に予想がつく。
私は、私がこうなるのを、一番恐れていたんだと解った。
私の足を掴んで転ばせていた物の正体。これが、物心ついて以来の、無力感と倦怠感の、正体だったんだぁ……っ……いやだぁ……っ。
「夢の中のマミになりたければ」
志保が、咥えタバコで言った。
「ソイツにボロボロにされてみな」
あがががが! 何を言ってるのこの女は! 闇が、ほら闇が、口元に這い寄って来て! 声も出せなく! なりそうなんだぞお! 死ね! シネ!
私は、恐怖の絶頂で、恐怖から逃れる事しか考えていなくて、気絶もできない。気絶したら私は二度と目を開けないだろうっていう恐怖。生きて逃れるしか、ないんだ。でも、絶望だ。身動きが、できない。ああぁぁぁ恐怖恐怖恐怖ぅぅぅ――。
「オイ!! 三界麻美!! てめえ、あんまり私を失望させるんじゃねえ!!」
え。
一瞬だけ、アタマが真っ白になった。
志保が、あり得ない剣幕で、私を怒鳴ったんだ。
「あり得ない」けども、「よくある」。
志保は女優の活動もしている。今のように、「極道の女」のような役どころも、演じたことがあるんだ。千変万化、どんな人格の役も、志保は天才的に演じた。
はっとして、志保に気を取られていた一瞬に、化物が私の目まで覆ってしまった。ああー! ヤバイヤバイって!! だが、そこで志保は、
「そのまましてろってんだろうが! クソボケ小便タレが!!」
ハァ!? 私はまた気を取られる。
そのまま――?
だって、息が、苦、くるしっ、化物にやられろって言うn――
「考えるな!! 黙って味わっていろ!!」
今度は、私の内心に被せるように怒鳴る。怖っ。演技? いや、迫真だよね? 志保のことが、ちょっと、マジ怖い。そう思うと、私は志保に注意が向いてしまい、化物を防御してられなくなった。
ジワジワジワジワジワ……化物が、全身を覆ったのを感じた。ああ。終わったよね? 私終わったんだ……。はぁ……。私はひどく落胆した、けど、志保に怒鳴られるのが嫌だから、志保に言われたように黙って、身体で化物の感触を味わっているしかなかった。ああ……。私死ぬんだなあ……。終わったな……。




