♪ Nostalgia 7 ♪
吐き気がする。胸に黒い穴があいたように、寒々しい。
夜の夢の中の世界に落とされたかのようだ。
黒い昏迷の底の夢。
志保の声はするのに、気配は感じない。強烈な孤独感だけ。
田舎の果ての無人の駅舎。
廃線の線路。
しかし、未だに水銀灯が点々と照らし、線路を浮かび上がらせている……。
誰もいないし、時空間に置き去られたように、空気も光も揺らがない。
こんな場所を、私は知らない。
ここは、何なのか。今の私と同じ精神状態になった人が見る、共通の夢の国なのか。だとしたら、何て狭く、寒い……。
胸の穴のように感じられる所から、寂しさが溢れた。胸が捲り上がりそうだった。逃げたいのに、夢だからか、逃げられない。自分の無力さも、将来も、考えられなくなった。自分が、消えたかのようだ。
今まで自分だと思っていた物が消えていく、そんな事は、生きながら死が自分を塗り潰して行く様子を、自分で実況させられているようなものだ。
そんな苦しみがあってたまるものか。そして今がそうだった。夢のような世界で、自分が死んでいくのを実況させられ、見せられていた。志保のしわざか? 夢なら起こせェ! ふざけるな! 起きられない……ッ!!
志保のような、誰が見ても光ってる人間になりたいという気持ち。
自分でも目が届かない自分の奥に、隠していた。
私が否定されたら私は死んでしまう。その気持ち。
否定された。
それだけではない。
「別に志保みたいになれなくてもいいよ?」と言って、逃げ道は、たくさん作れる。
「別に一般人の幸福を感じて長生きできればいいよ?」 それは死の恐怖で塗り潰される。「万能じゃなくても、クッキーを焼いたり、ちょっとした絵を描くくらいならできるから……。」 それは無力感で塗り潰される。「穏やかに生きていくのがいちばんだよー。」 それは突発的な怒りで塗り潰される。「私はどっちかといえば優しいから……。優しさがあるから……。」 それは湧き上がる憎悪で塗り潰される。「もういいよ。引き籠って何もしないで生きて行くよ。」 それは強制的な人との関わりや、退屈を感じてコンビニに行く衝動で、塗り潰される。
どこへ逃げても、居る、居る。志保が居て、もう志保に見えない、真っ黒な闇の形をして、吐き気をさせる闇の臭いと閃光を発して、逃げ道を塞いでいる。そうだ……。モグラたたきなんだ。一個を消しても、別の穴からあらわれる。穴だらけの、昏い世界では、闇は自在だ。どこへ行っても、私を保っていられない……やめて、もう、やめてよ……!!
空疎に足元が揺るがされ、自分の中身が重力に吸われたように消え、外側しか残っていなかった。闇が、私を満たした。
もう私は、平凡だけども当たり障りのない顔をした人間のスーツさえ融かされ、不定形な、漠然とした、闇になってしまった。三界麻美の外見は、半透明な深海生物みたいに透けて、膜しか残っていなく、中には闇が餡のように詰まっていた。私の意識は闇の方に吸われた。
この闇は、私。自分でも見付けられないほど奥に隠していた、私なんだ。こんな状態は初めてだ。知りたくなかった。自分が闇だったなんて。こんな、人間の形もとっていない、寒くて重くて悲しい闇だなんて……。
こんな物は私じゃない。私がなりたかった私じゃないよ。
私は志保のように……。輝いている人間に……。
そうか。やっぱり、闇は贋物なんだ。こんな得体の知れない、おぞましい物が私のはずがないよね?
そっか、分かった。
闇は私を騙る贋物なんだ。私を乗っ取ろうとしているんだ。この吐き気は、贋物に浸蝕されているからなんだ。贋物が、贋物だって突きつけられて、戸惑いのあまり、発狂して、断末魔を上げているんだ。あーよかった、危ない危ない! 贋物に私を奪われるところだったよー。
そうだよ。今、味わっている、寒々しさは、贋物が贋物を味わっている吐き気なんだ。いい気味だよね。贋物だって突き付けられたら、贋物は、消えるしかない。それが、事実でしょ? 事実の光だよ!
贋物は光に焼かれて、のたうちまわっている。このまま、消えちゃえばいいよね! 死ね!! 死ねー!! あー、苦しい、私の中が、黒い重さで、掻き混ぜられてる。でももう一息だよ? 私を占領している、この闇が完全に消えるまでは、狂うくらい苦しいけれど、それまでの辛抱だからね。
光に吹き飛ばされた闇は、塵になって光の中へ消え、私は軽くなって行く。もう、ほとんど消えた……。良かった……。実際に消えたんだ。
いや、考えてみれば、消すまでもなかったなー。だって、贋物なんだもの。初めから無いんだもんね。良かった、良かったー。
危機を乗り越えたよー。これで私は、本当の私になったんだ。




