♪ Nostalgia 6 ♪
身体が重い。私は何処に居る? 下方にはギラギラ輝く星の夜空が、私の背中は冷ややかな地面に、はり付けられていた。
……また私は、閉じ込められてしまった。
現実の中へ、身体の中へ、厚い頭蓋骨の中へ。
観ていた景色も、感覚も、点のように収斂して、頭の中に磔になる。
夢を観ていた。
普通の、だれにでもある気持ちいい夢を。
もう思い出せない。今も、リアルタイムで、思い出せなくなっていく。悲しい。とても私は、たのしくて開放的な夢を、みていた気がするのに。
夜空の景色は、似ている気がするのに。
よどんでる。
「あるわけない……。よね……。『イハルカ』が……、私に、話し掛けるなんて……」
私ではない。つまり、夢を観ていた私ではない。現実の私。身体の私。高校の制服の私。その脳が、勝手に思考して、喋った。ゴミのような、喋りだ。なぜだか、そう思う。おかしいよね……。ゴミじゃなくて、普通。どこまでも普通のはずなのにさー。
「シホはねー、今、おしごと中なんだよー。わかったでしょ? 夢も、時間も、世界の違いも、どうでもいいんだよ。マミがいま観たものが、理由だよ。今のシホの『アイドル』の力をくれたのは、三界麻美なんだから」
おかしい。
現実なのに。普通なのに。志保が居る。
夢で観た、あの世界と変わらない存在感の、志保が居る。
重い身体の私を、隣で、観守っている。
志保は語り掛ける。どこかで聴いた私の口調のように。
「あの時、シホは『おしごと』を受け取ったよ。そして、この世界に来た。あの世界も、この世界も、違う世界で、同じ世界。そういうコトも、みんな、マミがシホに教えてくれたコト。この世界では、マミがフツーの高校生になっているのも、ほんとはマミは知っているの。だってマミはマミだもん。全ての事をシホに教えてくれた、マミなんだもん」
どういう事なんだろう。たしかに私は夢をみた。夢じゃなかったのか。いま、丘の上で寝ている私が、夢なのか。どちらの世界も、夢なのか。それともどちらも、本当なのか。もしかして、夢というモノじたい、私が思っていたモノとはちがうのか。わからないよ。今の私の頭には、何も確かな物が無い。
志保はソフト帽を脱ぎ、サングラスを外して、連れのメイドドレスの女に渡した。
特有の白金のロングヘアが舞い出た。『アイドル』の空気。
さっきまで観ていた志保だ。天才と、鋭さと、さりげなさの無限を、もつ瞳。……私と、並ぶ瞳。なぜだかふいに、その一言が出て、それは私の頭から出た一言ではなかった。私の内側からギラついた言葉だった。それが、本当なんだ、私は事実を知っているって、そう思う……。でも、考え始めると、微かな確信も、消えてしまう。
「今からマミは、『アイドル』になる」
「え」
私が……『アイドル』に?
夢の中でみた、あの存在に?
「あの時、次の『おしごと』のコトが判ったんだ。シホはマミからたくさん貰った。今度はマミに返す番。それが『アイドル』だなって。あの時、『アイドルだからだよ』って、シホに言ったよね。解った気がした。このおしごとをするコトだって。シホも『アイドル』だから、解ったんだよ」
「私は夢を見ただけだよ。私は普通の高校生。私には関係ないよ。あれは夢」
「なりたくないの? 『アイドル』に」
「私は……」
なれるわけないと、今までの私なら言ったろう。
だけどなぜか言えなかった。自信なんかない。無力なのも、平凡なのも、知ってる。でも、なれないと言えないんだ。私の胸の中に閊えている何かが、ブレーキをかけてるのが分かる。私は……。
「だって、現実だよ。史蹟公園に伊覇・ルカ・志保が立ち寄ったとしても、ライブの空き時間って考えたら、不思議ではないよね? 志保に会ってから、この広場に人が登って来ないのも、公園の場所を考えたら不思議ではないよね? これは現実だよ。重いよ現実は。夢を見せられたら、余計に、空しいよ。私はカラダもココロも重いだけの生ゴミだよ。ゲスなんだよ」
「えーとね……。逆だよ、マミ。どっちかっていうと、夢見のほうが、実在。『現実』と思ってる、これが夢なんだよ」
志保は顎に人差し指を当て、思い出した感じで言った。志保にとっては、当たり前で、言葉にしたこともなかった感じ。
言われるほど、志保との距離が開く気がした。現実の、粘つく黒が降りて来て、夢の光の粉を覆った。現実が夢なもんか。この重さが。五感から入る、この臭いが。
私は沸々と苛立った。
「講釈はいいよ……。解んないよ。志保は解るんでしょ。私が解ってない事。私は志保とは違うんだよ。『アイドル』になる想像なんてつかないんだよ。子供の頃は能天気だったかもしれないよ。志保に夢の中で何かしたとしても、それは子供の私の名残が勝手にやったことで、私は関係ないから。今の私は終わったんだよ。夢みたいな解放感はもう無いから。いつも憂鬱で、ひらめきは浮かんで来ないし、夢の中のように飛べたりもしないよ。体の重さと心の重さがあるだけだよ。現実には、闇がいつも私の足を掴んでいるんだよ。私を転ばせる闇があるんだよ。これが私だよ。何も考えられない。いつもぼんやりとしていて、寝ているとも起きているともつかない。なんとなくただ生きているだけで、何でもない存在だよ」
「あはっ☆」
志保は笑った。気遣いや意図がある演技ではなかった。子供の時の志保の笑顔、そのままに見えた。『悪魔』『モリガン』とも呼ばれる成熟した微笑の下には、今も子供の笑顔を持つんだ。だから、私の怒りは融かされ、行き場がなくなった。
でも、志保は、私の怒りをもう一度点火した。
「確かにね、現実にはマミは普通で、凡庸で、無力で、無能で、退屈で、重くて暗くて地味で、生ゴミで、ゲスだよね!」
えっ、何だよこのクソ女は。実際に言われてみると、突沸で腹が立った。志保は豹変した。いやこれが素顔なのか!?
「自分で先回りしておけば、触れられなくて済む。マミは、言われたくないんでしょ? 現実の自分を認めたくない。自分を見るのが、嫌で堪らない。泣き所だから先回りする。そこだけには触れられないように。だからシホは触る。いいえ、抉る」
豹変した志保は、大人の社会人の空気で、冷たく言い放った。
嫌だ。大人の社会人。私が一番嫌な人種だ。仕事の厳しさの空気を呼吸して生きる人種だ。
「マミが、『アイドル』? 芸能活動しかしない、普通のアイドルだって、ワンチャンも無いんじゃない? 自分の顔、見た事ある? まわりの空気が煤けてる。誰がスカウトするの? 天変地異レベルのイベントでも起きない限り、『アイドル』なんて無理だよね?」
え、何なのコイツ。やめて。やめろよ。
苦しい。息が苦しい。
「将来のマミはねー、精神疾患に罹るんだよ。自我を肥大させて、誰にも認められないプライドを拗らせて、人と会うのも恐怖するようになるんだよ。無力感や絶望を脳内で弄ぶようになって、今よりもずっと、ずっと、闇に足を掴まれたままになるんだ。死の恐怖だっていつも味わう。社会や他人や、自分のココロやカラダへの憎悪も味わう。突然湧き上がる怒り・寂しさ・孤独感・退屈・憂鬱・恐怖・凍える感覚・グロテスクな想像・そのほか、万華鏡のように色を変えるネガティブな想念に、一生、責め抜かれる。もう終わってるんだよ、マミは」
「なんだと」
なんだとてめぇ! と、素直にコトバが出る事はなかった。
闇がすでに私に絡み付き、心身を制限にかかっているんだろう。絶望的だ。シホの言った通りになっているのを見せ付けられた。大人になったら、闇にカラダじゅう覆われて、「な」くらいしか言えなくなる……。
私は、目玉が瞼の中で、クリンクリン、と回り、顔の片側が引きあがり、反対は引きさがり、歯茎と唇をムキ出した。勝手にそうなったんだ。感情が表情を操った。
志保に言われた事は一箇所の慈悲もなく全部正しかった。
私は気付いた。本当だ、ああ本当だ、触られたくないから、私はもう無意識のレベルで、常に先回りして、予防線を何重にも張るのが、普通になっていたんだと。志保は冷たいミサイルのように突破してきた。




