第128話 「ここは黄泉平坂(よもつひらさか)じゃ」
「桃源郷かあ。仙人が住んでるところだったっけ?」
「キッポン殿は桃源郷をご存知なのか!?」
「うん、まあ常識ではあるし。さすがに行ったことはないけどね」
「じょ、常識……」
桃源郷。
キッポンがイメージしているものは主に中国の古典小説を原作とした某漫画であるが、それ以外にも昔話などがソースとなっている。
だが、
(桃源郷の伝説は我が帝室の秘事……。それをこともなげに常識などと……。よもやあやかしに誑かされているのではとも疑っていたが、神というのは嘘ではないらしい……)
帝はひとり、震えている。
それは希望か。あるいは恐れか。
「それで、桃源郷はどこにあんの?」
「う、うむ。桃源郷への道は宮中の敷地に隠されておる。しかし、いまや屍鬼どもで――」
「じゃ、案内よろしく!」
「でぇぇぇぇええええええええっ!?」
キッポンは触手で帝を絡め取ると、天守の窓から皇居に向けて矢のように飛び出した。
もちろんトモエ、リーフ、キュティ、そして結局出る幕のなかったデップも道連れである。彼らの方はもはや慣れたというか諦めの境地で、いまさら悲鳴を上げることもなかった。
「抜け道ってどのへんにあるの?」
「み、右のっ、中庭の井戸のっ、な、中にっ!」
「井戸ね。りょーかい!」
「うぁぁぁぁああああああああああ!?」
その姿は大蛇のごとく。
緑の巨体がずるずると古井戸に飲み込まれていく。
井戸はどこまでも深く、長さで言えば1キロあまりあるのだが、その程度の距離はキッポンにとってはないも同然である。全身をクッションにして、着地の衝撃を完全に殺す。
「で、ここからどこに行けばいいんだろ?」
井戸の底は広大な地下空間につながっていた。
否。
地下かどうかすらわからない。
天には蒼い満月がかかり、広漠とした荒野には刺々しいシルエットの木々がまばらに生えている。どこで鳴いているのか、じーわじーわと蝉の音のようなものが虚空に響き渡っていた。
「ここがトーゲンキョウ? なんか寂しいところだけど」
「ここもまた、異界なのでしょうか?」
帝はリーフの言葉に頭を横に振り、そしてキュティの言葉に頷いた。
「ここは黄泉平坂じゃ。余も実際に来るのは初めてだが……」
「おー、黄泉平坂! 聞いたことある!」
(黄泉平坂も知っておるのか……。いや、もはや驚くことでもないか……)
あるいは、本当は道案内すら不要なのかもしれない。
だが、本物の神がその役目を自分へ課したのだ。
まっとうする以外にあるまい。
帝は蒼い月を指さす。
「言い伝えでは月影が道を示すと聞いておるが――」
謎掛けのたぐいであろう、と帝が言いかけたのだが、
「月かあ。身体を伸ばしてもちょっと届きそうにないなあ」
キッポンは離れた位置に眼球を形成。
二点測距により月までの距離を確認する。
「3キロちょっとか。それならこれで届くかな」
キッポンは長い触手を伸ばすと、ぶんぶんと振り回した。
その先端は球形で、およそ100キログラムほど。
瞬く間に音速を超えたそれは、
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
円錐形の衝撃波をまとって、月に向かって射出された。
「は?」
口をあんぐり開けた帝の表情は、年相応の少年らしく見えた。




