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ココロの謎解き、ご用意します。  作者: ミラ
第四章 迷子のココロのカフェ巡り謎解き

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5

 

 車に戻っても、瑞葉さんから次に行くべき場所の位置情報は送られてこない。

 ここからは、僕が決めるからだ。

 僕は瀬戸内市の牛窓オリーブ園内にある、カフェへと足を運んだ。

 昭和感のある市役所のような建物の、二階にある店だ。

 外観は年季が入っているが、ドアを開けて店内へ入るとその印象は一変する。

 濃いコーヒーの香りが満ちた店内は、コンクリート打ちっ放しの硬質な床の上に、シンプルを突き詰めたようなテーブルセットが配置され、洗練されている。

 エスプレッソマシンやサイフォンスタンドが並ぶ、本格的なコーヒー屋のカウンターに目を取られたと思えば、次に全面ガラス張りの向こうから、青の瀬戸内海が一気に目に飛び込んでくる。

 この青さを魅せるために、店内は照明を落としているのかもしれない。

「綺麗だな……」

 アクアマリンで毎日のように瀬戸内海の青を眺めている。

 しかしそれでも、違う場所で見るこの青を、何度でも好きになる。

「いらっしゃいませ、今日はいい天気ですね。最高の眺めです」

 入店してしばらく呆然と窓の外を見つめ続けていた僕に、店員さんが笑いかけてくれる。この青を毎日見ているだろう店員さんも認める景色が見られてよかった。僕は注文カウンターに歩み寄る。

「ご注文は」

「エスプレッソと……輪切りレモンが乗ったドーナツがあると聞いたのですが」

「自家製天然酵母のレモンドーナツがございます」

 瀬戸さんの隠れたおすすめセットを注文する。

 店内は比較的空いているように感じた。店員さんに尋ねると「今日は少ない日のようなのでゆっくりしていってください」と言われて安堵する。

 ガラス張りの窓のすぐそばにある、小さな円テーブルの二人席を選んで座った。テーブルの上に、備前焼の黒いカップに満ちた苦いエスプレッソと、甘くて酸っぱい天然酵母ドーナツが並ぶ。

 まだ何も始まっていない彼女との関係で、僕は両方の味を味わった気がする。

 フードペアリングとして瀬戸さんのおすすめセットは抜群の味だった。だが、僕と彼女の関係はどうなるだろうか。

 古本カフェで手に入れたミステリー文庫本の「上」を読み始める。

 七瀬さんが、謎解きの先へ行けと言った。

 途中で途切れたあの日の続きを期待して、僕はここで待つ。彼女が来てくれる保証はどこにもないけれど、待っていたい。

「上」を半分ほど読み終え、顔を上げる。時計を確認してから店内を見回す。

「はぁ」

 ため息が出てしまう。彼女は来ない。がっかりした気持ちを噛みしめ、エスプレッソをおかわりしてミステリーの続きを読む。

 ついに読み終えてしまって本を閉じ、紙袋の中に「中」がないことを確認してまた大ため息だ。

「ダメか……」

 もう日が傾きかけてきた。店の閉店時間が迫っている。

 もしあの日、待ち合わせをしたとしたなら、彼女の勤務は昼までだったはずだ。彼女が仕事終わりにここを目指したと考えるなら、到着するはずの時間はとうに過ぎている。

 青一色だった海を夕日がきらめかせ、空は紅く色づいている。

 夕陽が海に落ちれば、閉店だ。

 やはり全部、思い違いかと諦めて立ち上がろうとした。

 そのとき、店の扉を開けて、栗色の髪も息も乱した瀬戸さんが慌てて走り込んできた。

 彼女と目が合った。

「……瀬戸さん」

「心さん、いた」

 胸に手を当てて息と髪を整えた彼女は、目を逸らさずに僕の席にやってくる。彼女のそばかすをオレンジ色の夕陽が照らす。

「あの、心さん……ここ座っても、いいですか」

 再び彼女が僕に向けた声を聞けて、きゅうと胸が縮むような嬉しさがこみ上げる。

 まだ少し息が上がっている彼女の問いに頷く。

「もちろん。あなたを待っていましたから」

 彼女は何か言いたいことを我慢するように、唇を噛みしめながら着席した。息が上がったままの彼女のために、注文カウンターでエスプレッソを購入して彼女の前に運んできた。

「この店ではエスプレッソを頼むって、言っていましたよね」

「あ、はい。よく覚えてますね、ありがとうございます」

 瀬戸さんは目を丸くしてから、僕のカップよりも寸胴で丸いクリーム色の備前焼カップを手に取った。

 互いにコーヒーをひとくち口にして、黙り込む。

 僕の選んだ答えの先に、彼女が現れた。彼女と僕が待ち合わせをしていたことは確定だ。

 この答えを正解にするために、僕は頭を下げる。

「あの日、行けなくて本当にすみませんでした」

 彼女はエスプレッソの苦みが耐えきれないように、眉間に縦皺を寄せる。

「実は事故にあって、一日分の記憶だけ飛んでいて」

「え、事故に?!」

 瀬戸さんが目を見開く。

 おそらく彼女をこの店に誘導したのは七瀬さんだ。僕が古本カフェで本を二冊購入して、カップに何か書いたことを、彼女が七瀬さんたちに話した。そう考えれば七瀬さんが僕の足跡を辿れた理由はわかる。

 だが、彼女は七瀬さんと繋がりがあるにもかかわらず、僕の事故を知らないままだったようだ。その事実を伏せたまま、どうやって彼女をここへ来させたのかはわからない。

 僕は彼女をまっすぐに見つめる。

「あの日に何があったか、実はまだ思い出せません。けれど、あの日のことを僕なりに考えました。だから、僕の謎解きを聞いてくれませんか」

 戸惑ったようにカップを握る指先に力を込めた彼女は、静かに頷いてくれた。

 夕日が照らす彼女のそばかすに少し気を惹かれる自分を収める。紙袋から上と下だけのミステリー本を取り出してテーブルの上に並べて、謎解きを始めた。

「あの日の僕は、この本のシリーズの『中』だけをわざと……買いませんでした」

 思わず飛び出したような声で瀬戸さんが言った。

「わざと? いや、古本で見つけたのに、『中』だけ無くて残念だったって、心さんが言ってましたよ?」

 やはり僕はそう言っていたのかと苦笑する。

「はい、瀬戸さんが好きな作家さんの本だと知っていたので。瀬戸さんが『中』を持っていると予想したんでしょう。そして僕は姑息にも考えました。『中』だけが売り切れてなかったといえば、瀬戸さんが『貸しましょうか』と言ってくれるんじゃないかって」

 彼女の目がますます丸くなる。

「ウソを、ついたってことですか……?」

「すみません。おそらくですが、僕がやりそうなことではあります」

「い、意外に、茶目っ気があるんですね……」

「茶目っ気って、可愛い言い方です。ズルいって言ってくれていいですよ」

 彼女の声は非難するというより、心底からの驚きに満ちていた。こんなに驚いた顔を見るのは初めてで、不謹慎だが少し嬉しい気もする。

「そうして心優しい瀬戸さんが、小狡い僕の思い通り本を貸してくれると言い、カップに連絡先を書いてくれたのではないですか。例えば、電話番号とか」

 僕の手から吹っ飛んでしまったカップを想像する。

 書かれた連絡先と繋がる瞬間を、あの時の自分がどれほど楽しみにしていたか、思い浮かべるだけで胃が浮く。

「まだまだ僕に都合のいい謎解きを続けます。瀬戸さんの仕事終わりにこの店で待ち合わせをした。そしてその前に僕は、森崎稲荷神社へ向かって歩いていたのではないかと」

「森崎稲荷神社ってあの川沿いの小さなところですよね。この前、七瀬さんという方にその神社を教えました」

「七瀬さんに?」

「心さんがこの近くのローカルスポットについて話したことはないかって」

「ああ、そうやって、たどり着いたわけですねあの人は」

 七瀬さんのぐいぐいした聞き込みが、瀬戸さんに迷惑をかけたのではないかと心配になる。だが、今は謎解きを続ける。

「あの神社、縁結びで有名だと知っていますか?」

「そうなんですか?」

 彼女がこくりとエスプレッソを喉に通して、小首を傾げる。そうやって僕の前に座ってコーヒーを飲んで、ころころと元気にそばかすを動かしてほしいと、願いたかったのだと思う。

「あなたに会う前に、そういう祈願をしたかったんです」

 備前焼カップを持ったまま、彼女の視線が彷徨う。

「えっと、え、それって……え?」

 顔をほんのり火照らせたり、目をきょろきょろしたりして、彼女が素直に動揺を教えてくれる。

「あの日、その途中で事故にあって中途半端なことをしてしまったのですが……瀬戸さんに会いたいがために、今日はもう一度ここで待っていました」

 彼女は口元を両手で覆って、深呼吸を繰り返した。

「あの、ちょっとその……落ち着きますね」

「僕も」

 二人で同じタイミングでひとくちコーヒーを飲み、同じようにひとつ息をついて重なったので、顔を見合わせる。

 彼女が鞄からミステリー小説の「中」を取り出してテーブルの上に置いた。

「心さんの謎解き通りです。まんまと心さんの思い通りに誘導された私はあの日、ここに来ました」

 あの日の真実を知り、僕の空白が埋まると同時に、彼女を待ちぼうけさせたことが確定して苦かった。

「あの日、私は心さんに連絡先を伝えたんですけど。次のお客さんが来て、心さんの連絡先を聞くことはできなかったんです」

 瀬戸さんはきゅっとカップを握り、肩をすくめる。

「心さんと待ち合わせをして別れたあと、残業になって帰るのが遅くなってしまいました。待ち合わせ時間にかなり遅れてしまったんです」

 僕が予想できるはずもなかった真実が明かされていく。

「今みたいに走り込んできたんですけど、あなたはいなかった」

 瀬戸さんが「中」の表紙を指先で優しく撫でる。

「怒って帰ってしまったのかと思って、店員の方に聞いたんですけど……心さんっぽい人が店に来た様子はなくて」

 彼女は僕をまっすぐ見て、切なげに眉尻を下げる。

「私その時に、からかわれたんだって気づいたんです。一人で舞い上がって、本を貸すなんて言って、なんて恥ずかしいんだろうって」

 瀬戸さんの態度の異常に気づき、何かしてしまったかと尋ねた僕に、「私が余計なことをした」と彼女が言ったのは、そういうことだったのか。

「心さんは事故に遭って大変だったのに……私は自分のことばっかり考えて、避けたりして、本当にごめんなさい」

 瀬戸さんがテーブルに額をぶつけてしまいそうなほど、深々と頭を下げて謝る。

「瀬戸さんは悪くありません。当然そう思います」

 僕もテーブルに額をぶつけるぎりぎりまで頭を下げる。

「僕がもっと、きちんと事情を説明すればよかったのに。瀬戸さんに無視されるのが怖くて行けなくなってしまって……ごめんなさい」

 顔を上げると彼女とまっすぐ視線が絡む。

「心さん、怖かったんですか? なんでも飄々としてそうなイメージでした」

「ただのビビリですよ」

「私も聞けばよかったのに聞けなかったので、ただのビビリです」

 僕が力なく笑うと、瀬戸さんもにへへとしまりのない顔で愛らしく微笑み返してくれる。彼女が「中」を僕に向かってぐいと差し出す。

「仲直りということで、『中』を借りてくれますか。私は自分から心さんの企みに乗ります」

 僕は「中」を受け取る。やっと上中下が揃って、僕は今こそ先に進んで行けそうだ。

「瀬戸さん、僕の企みに乗っていただけるなら……今から一つ謎解きを出したいんですが、いいですか」

 瀬戸さんがリラックスした様子でコーヒーを一口飲み、おもしろそうだと目を光らせる。彼女はミステリー好きなのだ。謎解きも好きだろう。

「心さんはお仕事で、謎解きを作ってるんですよね。もちろん、やってみたいです」

 彼女がにっこり笑うとそばかすが動く。そうやって僕の話を楽しそうに聞いてくれると、この謎を渡さずにはいられない。

「では、ココロの謎解き、ご用意します」

 期待した表情で待つ瀬戸さんを見つめて、謎解きを始める。

「次の休みに僕と、デートしてくれませんか」

 彼女の目と口が大きく見開く。

「え、え?! 謎解きは……?」

「瀬戸さんが僕とデートの約束をしてくれるかどうか。あなたのココロは、僕には謎ですよ」

「私の、ココロの謎ってことですか?」

 彼女は両手で口元を覆って、考え始める。僕の言葉に期待したり驚いたり考えたりする彼女をもっと見ていたくなってしまう。その素直さにくすりと笑った僕は頷く。

「ココロの謎解きの答えは、自分で決めて、選んだ答えを正解にしていくようにがんばるのが良いなと思っています。だから瀬戸さんが選んだ答えを教えてください」

 彼女は空気が抜けたようにふにゃりと笑ってから、背筋をすっと伸ばす。初めて彼女をかっこいいと思ったときと同じ声で、彼女は言った。

「心さんと、デートに行きたいです」

 自分の意思だと伝えるように、芯のある声でそう言ったあと、彼女のそばかすが動く。

「行きたいって思った自分を正解にできるように、いっぱいおしゃれしていきますね!」

 なんて僕のツボをつくのがうまい言い方をするのだろうか。つい緩んでしまう口元を片手で隠す。

「ありがとうございます。すごく、楽しみです」

 互いに照れ笑いを浮かべた僕たちは、紅い夕陽ときらきらときらめく海をしばらく見つめた。


 最後の客になった僕たちは、閉店時間を迎える店を出ようと立ち上がる。

 僕は店のドアを押し開けて、彼女が通るのを待つ。彼女は扉を出たところで立ち止まり、ふと思い出したように言った。

「あ、ひとつだけ、心さんの謎解きに間違いがあります」

「聞きたいです」

 彼女はさっとスマホを取り出して、いたずらっぽく笑う。

「あの日、カップに書いたのは電話番号ではなく、インスタのIDです」

 ハッとする。現役大学生の晴真くんが、今はラインすら教えない風潮だと言っていたのを思い出す。瀬戸さんは僕より年下のようなので、ギャップがあるかもしれない。

「そうですよね、電話番号伝える人、今どきいませんね……」

 彼女のくすくす笑う声が階段の吹き抜けに響く。

 店を出るとそこはすぐ古い学校のような階段で、踊り場には大きなガラス窓から夕日が差している。

 僕が階段を三段下りても、彼女が下りて来ないので振り返る。ストライプのシャツワンピースを着た瀬戸さんが、スマホを差し出す。今まで張りつめていて気づくのが遅れたが、彼女の私服姿は初めて見た。ウエストマークのリボンが似合っている。

 淡い橙色の光の中で、彼女が緊張したように小さな声で言った。

「心さん、良かったらIDと……電話番号も、教えてください」

 なんて、可愛いのだろうと頭がいっぱいになってしまう。

「もちろん、喜んで」

 寸分の迷いもなく答える。

 彼女が、向日葵色のクリームソーダのように、幸福感に満ち溢れた顔で笑う。

 失ったあの日も、その笑顔でカップに連絡先を書いてくれたのだろうか。

 記憶は戻らないけれど、そうだったら嬉しい。

 二人ではにかみ合いながら、電話番号も交換した。


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