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翌日の早朝、オフの僕は七瀬さんたちとアクアマリンで待ち合わせをした。
玄関を開けて中へ入ると、清潔なせっけんのような香りが漂い、受付で晴真くんが晴々と笑う。
「心さん、ようこそ! アクアマリンへ~!」
晴真くんの居酒屋っぽい挨拶がアクアマリンに響く。
僕はあまり大きな声を出さないので、この宿に足りない活気は彼の元気で補われている。
彼がいると、吹き抜けのリビングは三割増しで明るい。
アルバイト募集の面接にはたくさんの人が来てくれたが、僕は一目で彼にピンときた。
「心さん、今日は楽しんでくださいね!」
晴真くんがにっと歯を見せて軽やかに笑う。僕の直感は間違っていなかったと思っている。彼はそそっかしいところがある。
だが、それを補ってあまりあるほど、明るく優しい。
僕の接客が杓子定規だと高齢のお客様からクレームがあったとき、晴真くんの温和で自然な対応が助けてくれたこともある。
彼がいてくれるから、僕は安心して休日を楽しめるのだ。
「ありがとう、楽しんでくるよ。晴真くん、アクアマリンをよろしく」
「はい!」
清潔な館内に明るいスタッフ、そして大窓から見える瀬戸内海の青さを身に受けると、特別な時間が始まった気がする。
アクアマリンにやってくるお客さんはこんな気持ちか。
自画自賛だが、僕のアクアマリンは良い場所だと思う。
晴真くんの声に気づいたのか、七瀬さんと瑞葉さんがキッチンから現れてリビングへやってきた。
「おはよう、心くん! 早い時間に待ち合わせしちゃってごめんね!」
瑞葉さんのやわらかい挨拶の後ろで、ひょろっと立つ七瀬さんも会釈する。
「では時間が押していますので、さっそく始めましょうか」
「どこへ行くんですか」
今日は一日預けるつもりで来てほしいと言われており、どこへ行くのかは何も聞かされていない。にやにやする瑞葉さんが、後ろ手に隠していたものを僕に差し出す。
「じゃーん、これ、心くんにプレゼントでーす!」
受け取ったカードをじっくり眺める。カードにはタイトルが書かれている。
「カフェ巡りスタンプカード、ですか?」
「心くんがローカルスポット巡りとか、カフェ巡りとか好きだって、七瀬さんから聞いたので、この形にしたの」
手作り感満載の、ハートマークでデコレーションされた可愛らしいスタンプラリーカードだ。瑞葉さんがにっこり笑う。
「ということで、今日は私と七瀬さんの二人で、心くんの謎解きをご用意しました~!」
「うおー! 二人ともすごすぎる~!」
晴真くんが加わって、拍手してくれる。彼は盛り上げ上手でいつも助かる。七瀬さんが淡々と説明する。
「瑞葉さんがお伝えする各ポイントを回り、ミッションをクリアしてもらいます。そこで情報を集めつつ、最後の謎を解いて帰ってきてください」
「最後に大きい謎があるってことですね」
「はい、それはその時に、私からお伝えします」
自信満々に見える七瀬さんの真顔に、好奇心がむくむく湧いてくる。
「面白そうですね。でもまさか、七瀬さんが謎解きを作ったんですか?難易度が異次元に高いのでは?」
訝しむと瑞葉さんが笑い飛ばす。
「大丈夫ですよ、心くん。きっちり一般的な形に収めてもらえるように、私がびしばし言いましたから!」
「瑞葉さんの教えを受けて、手心を加えてあります。それに私はミステリー作家です。作った謎解きを、一般の方に披露するプロですので」
二人で謎解きを作っていると言っていたのは、僕のためだったのか。
その事実だけで、もう僕のココロはすっかり満たされてしまう。だが、これから一日中、二人に楽しませてもらえるのかと思うと、早く最初のポイントに行きたくなった。
謎解きは、大好きだ。
瑞葉さんは最初のポイントの場所とミッションを伝えてから、高らかに手を上げる。
「楽しんできてね! 心くんの帰りを、私たちみんなで待ってるから!」
「ありがとうございます、では、行ってきます」
「心さん、いってらっしゃい!」
三人に見送られ、僕は一人で岡山県のカフェ巡り謎解きへと向かうために、車に乗り込んだ。
瑞葉さんからスマホに送られた位置情報に従い、出発した。
ドライブをして新見市の国道沿い、やや丘の上にある蔵カフェにたどり着く。
歴史ある蔵の中で、カフェが営まれているのだ。店の前で写真を撮ってから、蔵の中へ入る。
蔵の中は意外と天井が高く、一面の壁がガラス張りになっていて明るい陽が差していた。店員さんが迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」
スタンプラリーカードの裏面には、各ポイントでの細かな注意点が記載されている。このカフェでは予約が済んでいることが明記されていた。
「鳥海です」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
店員さんの案内を受け、招き猫が祀られた祭壇前を通り抜ける。
「猫の祭壇ですか」
「そうです、うちは猫がいっぱいで。猫ちゃんがうろうろしていますが、大丈夫ですか?」
「猫好きです」
「良かった!」
窓側の席に座ると、足元をするりと何かが通り過ぎる。テーブルの下を覗いてみると、白と茶色の斑柄の猫が悠々と歩いていった。
猫がうろうろしているカフェなんて珍しくて面白い。
まだオーダーをしていないのに、店員さんがさっそく飲み物を運んできた。
「お待たせいたしました。ご予約で承ったご注文は以上でございます。会計も済んでおります」
店員さんは颯爽と去って行く。
予約が済んでいるとは聞いていたが、注文まで通っていたようだ。
僕は目の前に置かれた飲み物を見つめる。
「あー、なるほど。これってあの写真の」
注文品は、猫のクッキーが乗った向日葵色のクリームソーダ。
これは僕が事故で失った「空白の一日」に撮った写真に、写っていたものだ。
こんな特徴的なカフェに来たならば、決して忘れはしないはずだ。
なのに、僕の中に記憶はない。
スマホを取り出して、ぱちぱちと元気に泡が跳ねる向日葵色のソーダを撮影した。
あの日の写真と見比べる。
「完全に一緒」
たった一度、それもほんの少しの間、僕がこの写真を見せただけなのに、七瀬さんはこの店を見つけた。記憶の断片から調べて、この店を割り出すなんて信じられない。
「見たもの全部、覚えてるのかな……すごすぎ」
さっぱり夏味のクリームソーダを赤いストローで吸いながら、今撮った写真をスマホで瑞葉さんに送る。
このポイントでは、飲み物の写真を送るのがミッションだ。
瑞葉さんからすぐ返信がある。
『最初のポイントクリアでーす! 渡したシールをスタンプラリーカードに貼ってから、おいしく飲んでね!』
「これか」
出発するときに瑞葉さんにもらったシールは、大福キャラクターが印刷されている。
ふにふにっとしまりない顔で笑う、無邪気な大福ちゃんキャラクターをぺたりとカードに貼って、ミッションクリアだ。
スマホに写った向日葵色ソーダを眺めながら、手に持ったグラスのソーダを吸い続ける。ぱちぱちっと炭酸が弾けるように、だんだんと頭が冴えてくる。
「これは、そういう趣旨ってことか」
最初は、ただの謎解き遊びかと思っていた。
だが、七瀬さんは僕が謎として置き続けている「空白の一日」の謎解きをやる気らしい。
ココロの謎解きは例外だが、謎解きを提供する側が答えを知らないなんてことは、基本的にありえない。
「七瀬さんは解いたってことか」
このままカフェ巡り謎解きを続け、スタンプラリーを辿って行けば、僕は空白の一日を再現することになるのかもしれない。
猫クッキーをサクサクと噛む。甘いクッキーで糖分補給をしながら、「今なら引き返せる」と、「謎を解いてみたい」の二つの願望の間で揺れる。
「どうしようかな」
窓の近くの日向で、猫が丸くなっているのをぼんやり見つめる。猫は大きく口を開けてあくびをし始める。
あの日の僕が、どんなとんでもないことをやらかして、彼女との関係が壊れてしまったのかを知るのは怖い。
けれど僕は、日向でココロの謎もなく呑気に丸まっている猫がうらやまし──くはないのだ。
猫みたいに蕩けそうなほどのんびりするより、僕は頭を使っていたい。
アクアマリンでオーナーをやっていたいし、チェスで七瀬さんに勝ちたいし、謎解きも続けたい。
本当はあの日を、知りたい。
知ったら彼女に、謝れるかもしれないから。
猫があくびをしてから、眩しい青空を見上げて目を細める。
苦笑いする僕も、同じように青空を見上げた。
「謎を前にしたら……解かないと」
散々逃げたあとだが、僕はアクアマリンで謎解きオーナーをしているのだ。僕だけ謎から逃げ続けるのは、格好悪すぎるだろう。
「行くか」
向日葵色のクリームソーダを飲み干した僕は立ち上がり、猫をひと撫でさせてもらってから店を後にした。
空白の一日の謎は怖いが、謎の答えに希望はある。
七瀬さんが僕にこの謎を開示しようとしているということは、僕にとって多少は都合がいいはずなのだ。
彼なら、あの日の小さな会話を忘れたりしない。
『謎の答えが心くんにとって都合が良いようなら、開示するのはどうですか?』
次のポイントには何が待っているのか。
店を出たと瑞葉さんに伝えると、次のカフェの位置情報が送られてくる。
不安と希望を抱えながら、猫にはならないと決めた僕は再び車を走らせた。




