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サップを終えてアクアマリンに戻ると、螺旋階段から晴真くんとは違うお兄さんが下りてきた。
「おかえりなさい、航平さん、凪ちゃん」
やわらかい声とふわふわの黒い髪が、優しそうなお兄さんだ。晴真くんより、もっとお兄さんな感じの彼が、私たちの前に立った。
「アクアマリンのオーナー、鳥海心です」
「え! 心さんって、お兄さんのこと?!」
「はい、アクアマリンに心は一人ですが」
首をちょっとだけ傾げたお兄さんが、にこりと笑う。
心さんはおじいさんじゃなかった。予想していた姿と全く違う。
「心さんっていうか、心くんだ」
「ご自由に呼んでくださいね。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。あと二泊よろしくお願いします」
航ちゃんと心くんが丁寧に礼をし合う。心くんが私の前で屈んで、顔の高さを合わせた。
「晴真くんから、凪ちゃんが謎解きを注文したいと言っていたと聞いたのですが、間違いないですか?」
「あ、うん! 昨日、晴真くんと夜に遊んだときに言った!」
「え、夜に遊んだって? 謎解きって何? なっちゃん! 俺聞いてないよ?!」
「忘れてた~!」
航ちゃんの横をすり抜け、荷物を持って階段を駆け上がる。
部屋に荷物を放り投げてすぐにまた廊下に出た。リビングで心くんが航ちゃんに色々と説明してくれたみたいだ。
「謎解き遊びみたいなものですが、どうでしょうか?」
「ああ、そういうことでしたか。なっちゃんがやりたいなら、ぜひよろしくお願いします」
階段を駆け下りて、航ちゃんの腕に飛びついた。
「ありがとう、航ちゃん!」
「どんなのかわからないけど、楽しみだね」
「うん!」
彼は危険のないことなら、なんでもやらせてくれる。
航ちゃんの腕に抱きついていると、鞄の中からスマホの音がした。航ちゃんのお仕事の呼び出し音だ。
「げー、またそれ~? 誕生日旅行中なのに~!」
航ちゃんの仕事は、工事現場の監督さんだ。彼は道を作る仕事をしていて、そのリーダーなのだ。だからよく電話がかかってくる。
航ちゃんが私の頭を撫でる。
「ごめんね、なっちゃん。俺の仕事はチームで動いているから、俺がいないときに仲間に迷惑をかけるのは嫌なんだ」
「チームは大事、でしょ。はいはい、わかってまーす」
腕をぱっと離すと、航ちゃんがゆっくり階段を上がっていく。部屋で電話をする気だ。航ちゃんがさっと振り向いた。
「なっちゃん、勝手に外に出ないでね」
「わかってる!」
航ちゃんが部屋に戻る。するとリビングには、私と心くんが残った。心くんが私を見てにっこり笑う。
「時間があるなら、トランプでもしませんか? 昨夜、晴真くんとしたと聞いて」
心くんは優しい。けれどなぜだろう、晴真くんと違って、少し遠い感じがする笑顔だ。
どこかで、よく知ってる表情なのに、思い出せない。でも遊んでくれるなら遊びたい。
「トランプやるー!」
「僕がやりたいゲームがあるんですけど、いいですか」
「いいよ!」
昨日のトランプゲームは、心くんに教えてもらったと晴真くんが言っていた。彼ならきっと、また面白いことを教えてくれそうな気がする。
二人で並んでソファに座ると、彼はきょろきょろと周りを見回す。
「どうしたの?」
「瑞葉さんが、そろそろ通るかなと思いまして」
「瑞葉さんって誰?」
私も真似してきょろきょろしていると、キッチンの方からきゅるっと可愛い感じのお姉ちゃんが歩いてきた。心くんが呼び止める。
「瑞葉さん、待っていました。良かったら三人で、トランプしませんか? 二人だとちょっと味気ないゲームなので」
お姉さんはぱっと顔を輝かせる。
「え、いいんですか? ぜひ入れてください。七瀬さんのおやつの時間までまだ余裕があるので」
瑞葉ちゃんがふわっと笑うと、甘いお菓子みたいな香りがした。
お菓子のお姉ちゃんだ。
瑞葉ちゃんと自己紹介をして、今度は三人でソファに横並びに座る。
「では始めますね。基本はババ抜きです」
心くんがカードを配る。
「でも二番目に抜けた人が『人生で一番びっくりしたこと』を話すという、特典付きゲームにします」
「二番目に抜けた人が、勝ちってこと?」
私は尋ねた。
「勝ち負けより、一番注目が集まるって感じです」
心くんが笑うとやわらかい。
あ、わかった。
心くんって学校の先生だ。先生って優しいし、一緒に遊んでくれるけど、ちょっと遠い感じがする。あの感じだ。心くんが先生と一緒だとわかると、すっきりした。
学校の先生って友だちとは違うけど、色んなことを教えてくれて面白いから好きだ。
「負けた人に注目が集まらない配慮ってことですね。私、ゲーム弱いのでそういうの嬉しいです」
瑞葉ちゃんが「がんばろうね」と私に言ってくれて、二人で気合いを入れる。甘い香りの瑞葉ちゃんはふわふわ可愛くて、すぐ好きになれそうだ。
ババ抜きが始まると、意外とすぐに決着がついた。
「あ、これって私が二番目ってことですか?」
瑞葉ちゃんが私のカードを一枚取って勝ち抜けた。
「では、瑞葉さん、人生で一番びっくりしたことを教えてください」
負けてしまって一瞬ヒリッとした私だけれど、すぐに瑞葉ちゃんの話が気になって負けたことを忘れた。
「えっとですね……」
瑞葉ちゃんは口元に手を当ててしばらく考えたあと、話し出した。
「七瀬さんが……あ、私の彼氏さんですが」
「婚約者ですよね」
心くんがにやりと笑うと、瑞葉ちゃんの頬がピンク色になる。
「瑞葉ちゃんは七瀬さんって人と結婚するってことだ!」
私も大地といつか結婚するかなとか考えて、瑞葉ちゃんの話にわくわくしてきた。
「その七瀬さんが『呪いの大福事件』を解決するために、わざわざイギリスからやってきたんですよ」
ぶふっと口元を押さえて心くんが笑う。私はすぐに尋ねた。
「呪いの大福って何?」
「私が通販大福屋さんをしていたときにね。私の撮っていた大福作り動画に、キラキラって白い線が映ったの」
私は動画に映る白い線にぴんときた。
「オバケが動画に映っていたってこと!?」
瑞葉ちゃんが頷く。
「そう思った人がたくさんいたの。ちょうど大福を食べて、お腹が痛くなったって人もいて、大福が呪われてる! って炎上しちゃったの」
「その火消しに、七瀬さんがイギリスからやってきたと?」
笑いを我慢しきれていない心くんが訊くと、瑞葉ちゃんも笑う。
「そうなんですよ。七瀬さんは大福屋の常連さんだったんですが」
大福屋に常連なんているんだ? と聞きたかったが、瑞葉ちゃんの話が進む。
「七瀬さんに、大福を作った場所に連れて行けって言われて。白い線の正体が、天井エアコンから出たホコリで、腹痛はただの食べ過ぎって証拠を挙げて。あっという間に解決です」
「すご~い、漫画に出てくる探偵みたい!」
私が拍手すると、瑞葉ちゃんは窓から入る明るい光に照らされて、すごく嬉しそうだった。
「ほんともう……とんでもない人がイギリスから来て、人生で一番びっくりしましたよ」
これはもう、七瀬さんという人こそ、イギリス紳士に間違いない。
瑞葉ちゃんがいるということは、もしかしたら七瀬さんもいるのかも。
私は思わず立ち上がった。
「七瀬さん見たい!」
今すぐ探しに行きたくてうずうずしてしまったが、心くんが言う。
「トランプの続きをしていたら、そのうち来ますよ。もうすぐ時間ですから」
心くんに言われてしぶしぶ座り直す。
「じゃあもう一回やろ!」
二回目が始まって、また瑞葉さんと私が残ってしまった。
ドキドキしてきた。二連続で負けたくない。
私の手元には最後の二枚。
瑞葉ちゃんが私のカードを引く番だ。瑞葉ちゃんがババを引いてくれるように祈ってカードを見つめていると、知らない声が聞こえた。
「これ、横から口出ししてもいいでしょうか」
「あ、七瀬さん」
顔を上げるとやたら背が高くて細長い、だるっとした感じのお兄さんが、じっと瑞葉ちゃんのカードを見ている。
この人が七瀬さんか。肌が白くてどう見ても引きこもりだ。イギリス紳士はどこにいるのかと言いたかったが、七瀬さんが私の顔をじっと刺すみたいに見るので、ごくりと唾を飲んで我慢した。目が鋭すぎる。
イギリスから来た人がみんな、スーツを着こんだイギリス紳士ではないと学んだ。
「えっと、いいんでしょうかこれ」
「え、ずるいそんなの!」
瑞葉ちゃんが首を傾げて心くんに聞くが、私は断固反対だ。七瀬さんが横入りして負けたくない。七瀬さんが心くんに顔を向ける。
「心くん、ゲームのルールは?」
「二番目に抜けた人が、主役です」
「はい、わかりました。では瑞葉さん、向かって右のカードを取ってください」
瑞葉ちゃんがおどおどしながら私のカードに手を伸ばす。
ずるいと思ったのだが、右ならいいかと思って待っていた。
瑞葉ちゃんが持っていったカードはババだ。私は瑞葉ちゃんがババの位置を変えないうちにさっともう一枚のカードを抜き取った。
「やった! 私が二番目に抜けた~!」
浮かれてにこにこと笑いながら、七瀬さんに言った。
「絶対負けると思ったのに勝った! 七瀬のお兄さん、調子よく入ってきたくせに、瑞葉ちゃん負けてるじゃん!」
「読み違えましたね。恥ずかしいかぎりです」
七瀬のお兄さんの目は鋭いけれど、声はちくちくしていなかった。
「瑞葉さん、部屋に来てもらってもいいですか。探していたカフェを見つけたので相談が」
「え、もう見つかったんですか。すごいですね」
七瀬のお兄さんは瑞葉ちゃんを連れてあっさり抜けていく。
「七瀬さん、道筋を整えてもらってありがとうございました」
「まあ別に、今回わざと瑞葉さんが負けなくても、次は心くんが負ければいいだけでしたけどね」
心くんと七瀬のお兄さんは、小さい声でぼそぼそ話していたので内容はよく聞こえなかった。でも勝って気分がいいので気にならない。




