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その週末、私は航ちゃんと予定通りに岡山旅行に出かけた。気持ちいい快晴の下、ドライブしながら向かったのは、岡山県玉野市にある王子が岳だ。
航ちゃんと一緒に遊歩道の坂を上りながら、私は確認する。
「航ちゃん、この誕生日旅行は私のしたいことを全部していいんだよね!」
「もちろん、全部付き合うよ!」
たぶん初めて見た人は、航ちゃんの顔をコワイと言うと思う。
テレビドラマに出てくる四十歳くらいのおじさんヤクザの、見本みたいな顔だから。
でも笑うと目が細くなって優しくなるし、声も脅かすみたいに低くない。
私はこう、包む感じだと思っている。
ちょっとしたハイキングの先で、見たこともないほど巨大な石を発見した。
私の目も口も、開いたまま塞がらなかった。
「ちょっと航ちゃん、見てこれ! でかすぎなんだけどこの石! 石? 壁じゃない?」
「本当にでっかいなぁ」
航ちゃんは筋肉質な両腕を胸の前で組んで、巨石を見上げている。
巨石は航ちゃんを、縦に三人並べたくらいでかい。
岩には横筋に沿って切れ目が深く入っていて、目や口のように見える。笑っているように見えるから、「にこにこ岩」って呼ばれているそうだ。
「にこにこ岩って、航ちゃんに似てない?」
「え、そう?」
「うん、にへーって笑ってんの!」
「俺って、そんなにしまりない顔してる?」
「してる!」
スマホで航ちゃんとにこにこ岩のツーショットを撮って、大地に送った。大地からすぐ『バカウケる』と返信があって、航ちゃんとまた笑う。
「遊歩道の頂上まで行って海も見ようか、なっちゃん」
「海、大好きー!」
航ちゃんのぶ厚い手を握って隣を歩き、「ゴーゴー!」と言いながらはしゃいだ。
航ちゃんは、本当のお父さんじゃない。
私のお母さんのお兄ちゃん、つまり叔父さんだ。
頂上は瀬戸内海に向かって突き出た岩場だった。目の前には瀬戸内海の青の絶景が広がる。
「うわー! 海、青い! 広い! えー! 橋すごいんだけどー!」
「ちょっと、なっちゃん! 手を離さないで! 落ちたら困る、俺、なっちゃんが落ちたらすぐ死ぬからね」
「落ちるわけないから」
岩場の端っこに立つ私の手を、航ちゃんが痛いくらい握る。航ちゃんは心配性なだけで、私を傷つけたりすることはない。
本物のお父さんは、いっぱい泣く赤ちゃんの私をうるさいから叩いたって、お母さんから聞いた。「一回だけだよ」ってお母さんは何度も言ったし、私は赤ちゃんだったから覚えていない。
でもお母さんは、その一回を絶対に許さなかった。
だから、お母さんは離婚したそうだ。
本物のお父さんを知らないけど、そんなお父さんはほしくないと思っている。
航ちゃんが海を背にした私に、スマホのカメラを向ける。
「はい、なっちゃん。青い海より素敵な笑顔くださーい!」
「これでどうだー!」
全開の笑顔と、全身で青い空を抱きしめるポーズを取ると航ちゃんが笑う。
今は、航ちゃんが本当のお父さんみたいだなってよく思っている。航ちゃんに向かって走り出した私は、彼の腕に抱きついた。
「航ちゃん、お腹空いた! 焼肉行こう、焼肉! 岡山のなんとか牛!」
「千屋牛ね。行っちゃおっか」
二人でわくわくしながら王子が岳を下りて、再び車に乗り、焼肉屋を目指した。
岡山市内の小さな焼き肉屋で、お昼からジュウジュウとおいしそうな音を立てて焼かれるなんとか牛を焼いて食べた。
「うんまいー!」
「うまいもの食べるときって、生きてて最高~って感じするよねぇ」
航ちゃんと向かい合って、肉を焼く鉄板から出るおいしい煙にもくもくされながら、肉と白いご飯を口いっぱいに入れる。
肉汁とご飯の、しあわせな味がする。
白ご飯が空っぽになったので、私は言った。
「航ちゃん、次は塩ラーメンを頼んで」
「なっちゃんまだ食べるの? お腹壊さない?」
「大丈夫、塩ラーメン食べなきゃ始まんないでしょ!」
「なっちゃんのご飯って、まだ始まってなかったの?」
航ちゃんは呆れたように言い、またにこにこ岩みたいな顔になってから締めの塩ラーメンを注文してくれる。
欲張って注文した塩ラーメンは食べきれず、半分以上は航ちゃんに差し出した。
「もうお腹いっぱい」
「ほらやっぱり~」
航ちゃんがしぶしぶラーメンを食べ始める。それでも今日は、塩ラーメンを一口でも食べたかった。
塩ラーメンは、約束の味だからだ。
「あの日も航ちゃんと塩ラーメンを食べたよね」
「いつの話?」
「お母さんが死んでから、私が初めて泣いた日」
航ちゃんのぼさぼさ眉毛の端っこが下がり、情けない顔になる。あの日の航ちゃんは、今よりもっと情けなくてぐちゃぐちゃの表情で、涙を落としていた。
三年前に、お母さんが交通事故で亡くなった。
高齢者施設で介護士をしていたお母さんは、夜勤明けの帰り道に、居眠り運転をしたらしい。電柱に自ら突っ込んだそうだ。
お母さんは頑張り屋でいつも忙しそうだった。だから、家でもよく昼寝をしていた。私は学校から帰ると、昼寝中のお母さんの隣にもぐりこむ。すると、あったかいお母さんが寝ぼけながら抱っこしてくれる。
そのままお母さんの隣でゴロゴロするのが、好きだった。
私の家族はおじいちゃんとお母さんと航ちゃん。
おじいちゃんは四国に住んでいて少し遠いから、たまに会うだけだ。だからお母さんが夜勤の日は、近所に住む航ちゃんが、私の家に泊まりに来てくれていた。
航ちゃんが来る日は、ゲームして遊んだり、映画を見てちょっと夜更かししたりできるので、楽しい日なのだ。
でもあの朝、お母さんは帰ってこなくて。
それから私は、航ちゃんと二人きりで暮らしている。
私たちが親子みたいに暮らすようになって、三年が経った。
航ちゃんは情けない顔のまま、塩ラーメンをすする。
「あの約束、俺は一生かけて叶えるから。安心してね、なっちゃん」
「うん、ありがとう。航ちゃん」
もうはち切れそうなお腹にオレンジジュースを流し込んで、私は笑う。
突然お母さんがいなくなって呆然とし続けた私は、葬式の間も泣けなかった。葬式が終わってから、航ちゃんは私を塩ラーメン屋さんに連れて行った。お母さんと三人でよく行った店だ。
そのラーメン屋さんで、航ちゃんがたくさんたくさん泣いた顔で
「俺が、なっちゃんを一人にしない。絶対に守るから……!」
と約束した。
その包むような低い声のおかげで私は、やっと泣けた。ラーメンがいつもより塩辛かったのを覚えている。
その日はお母さんとよく昼寝をした場所で、航ちゃんと手を繋いで眠った。
「このラーメン、美味しいな」
「お腹が空いてたら、もっと美味しかったよね」
「もう今日は何も食べられない」
二人でぱんぱんになったお腹を撫でて、それはそうと笑い合った。満腹になった私たちは、楽しみにしていた今日の宿、ゲストハウス「アクアマリン」へ向かった。




