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ゆるやかな螺旋階段を下りてリビングを見回してみたが、心くんはいないようだ。代わりと言ってはなんだが、L字型の大きな革張りソファの上で寝転んでいる若い男性がいる。
ゲストハウスはハウスという名だけあって、家のように寛いでも怒られないのだろう。しかし、共用の場所でそのように寝転ぶのはいただけない。寝転びながら英字の本を読んでいる彼に問いかける。
「ちょっと聞きたいんやけど、心くんどこにおるか知らんか?」
本から少しだけ目を上げた男性は、目の下の隈が濃かった。誰かが来たからと言って起き上がる気もないようだ。彼の背は高そうだが体が細く不健康そうである。
まるで生白い蛇だ。
首回りの伸びたロンTを着る彼は、清潔感ばっちりの心くんを見た後だと、どうもだらしなく見える。
「……答えたくありません」
素っ気ない返事だけして、彼はまた本に目を戻す。少し面食らった。
「知らない」や、「わからない」ではなく、知っているが「答えたくない」ときたか。
なかなかのひねくれものだ。
まあ、金髪ばあさんが怪しくて警戒したのだろう。話したくない気持ちもわかる。
私は踵を返して、心くんが戻るまでアクアマリンを散策することにした。
つるんとした真白の共用風呂を見学してから、海の上に突き出たウッドデッキに出る。ウッドデッキには、ラタンで編まれた、卵型のブランコのような椅子があったので座ってみた。浮遊感で海に飛んで行きそうでちょっと怖かった。
「ここがキッチンか」
最後にキッチンにたどり着くと、若い女性が何か作っている。甘いあんこの香りがしていた。栗色の髪をシュシュで一つに束ねた彼女は、モスグリーンのエプロンをつけたまま振り返る。彼女も宿泊客だろうか。
「あ、こんにちはー、キッチン使います? 私はもう終わるので」
「あーええよ、ええよ。どんなところか見に来ただけや。キッチンも共用なんやな」
「ゲストは誰でも使っていいんですよ。北欧っぽいデザインの可愛いキッチンで気分上がりますよね」
彼女が顔をほころばせてうふふと笑うだけで、ぱっと香りが色づくようなイメージが湧く。頬を薄く染めて笑う彼女は、瑞々しい桃みたいな子だ。丸い目と小さくふっくらした唇が愛らしく、愛想が良い。
先ほどソファにいた蛇男くんと大違いだ。
「何を作ってるか見てもええか? ええ匂いしてるわ」
「どうぞ、どうぞ」
「大福か?」
「正解です。岡山県の特産果物を使ったフルーツ大福を作りました!」
瑞葉と名乗った彼女は、皿に並んだ大量の大福をひとつずつ指さして解説してくれる。
「九月に入って、秋の果物が出そろってきているので、いっぱい買ってしまったんです」
「旬物は安いし美味しいから、つい買い過ぎるのわかるわ」
瑞葉ちゃんがうんうんと何度も頷いて笑う。
「ですよね! こっちから葡萄、マスカット、梨です。どれがお好きですか? 良かったら食べてください」
「ええんか?」
「はい、私、毎日大福を山ほど作るのが仕事なので」
「へ~職人さんか」
「うーん、職人というか、七瀬さんの大福係です」
くすくす笑う瑞葉ちゃんの仕事が何かはよくわからなかったが、私は好物の梨が入った大福を選んだ。
「良かったら一緒にお茶しませんか」
「ちょうど暇やったから助かるわ」
お茶もゆっくり飲みそびれていたので、誘いに乗り、二人でお茶を淹れてリビングへ戻る。
檜の一枚板の天板が豪華な、八人掛けのリビングテーブルには、先ほどの蛇男くんが座って本を読んでいた。瑞葉ちゃんが彼に明るく声をかける。
「七瀬さん、できました~!」
「ありがとうございます、いただきます」
本をさっと閉じた蛇男くん、あらため七瀬くんは瑞葉ちゃんに軽く頭を下げる。
蛇男くんは彼女の連れだったのか。
あまりにタイプが違う。だが、彼が瑞葉ちゃんには礼儀正しくしているところを見ると惚れた弱みのようなものが見える。可愛らしいところもあるなと、つい頬が緩んだ。
一緒にテーブルにつくと、七瀬くんの前に七個も大福が置かれる。私と瑞葉ちゃんの前には各一つずつだ。
「あんた、七瀬くん? そんなに食べるんか」
七瀬くんから返事はなく、彼はもぐもぐ食べ始めている。代わりになぜか、瑞葉ちゃんが答えた。
「七瀬さん、すごく偏食なんですよ。もはや主食が大福です」
「大丈夫かいな……」
大量に消費される大福を瑞葉ちゃんが作るから、大福係なのだろうか。二人の関係が気になってきてしまう。七瀬くんがちらりと私を見る。
「本物の偏食者を見るのが初めてなんですね、佳代さん」
自己紹介をしたわけではないのに、私の名前を知っている彼に驚いた。瑞葉ちゃんが私を呼ぶのを聞いていたのだろうか。
「そこまで酷い偏食を見るのは初めてやわ」
「普通のご飯を食べてもらうのが大変なんですよ……」
はぁと瑞葉ちゃんが肩を落とすので、彼女が彼の食事を担当していることも伝わってきた。話の流れを切るように七瀬くんが会話に入ってくる。
「瑞葉さん、今日も大福、とても美味しいです」
「良かった!」
瑞葉ちゃんが屈託なく笑う。
「佳代さんもどうぞ!」
彼女にすすめられて梨大福を頬張った。やわらかい求肥餅に包まれた白あんと、瑞葉ちゃんのように瑞々しい梨の果汁が口の中で溶けていく。
「ほんま、美味しいわ」
「ありがとうございます、自信ついちゃいます」
お茶と梨大福の相性は言うまでもない。やっと熱いお茶に一息つけて、ほっとした。本当に七個食べ切った七瀬くんは、すぐにソファに戻っていく。
だが、瑞葉ちゃんが私の話し相手になってくれた。二杯目のお茶を飲みながら、私は気になることをどんどん聞く。
「二人は恋人なんか?」
「え、あー……はい、そうです」
照れたように瑞葉ちゃんが頭をかく。妙に静かな間があり、七瀬くんが耳をそばだてているような気がする。若い二人の反応につい、にやついてしまう。
「初々しいなぁ」
「そ、そんなに初々しいってほど、短い付き合いでもないのですが」
聞けば交際期間は二年にわたるらしい。それでもなお、そんなに二人して意識し合っているのなら、微笑ましいことだ。
「そうか、ええなぁ。二人はここで何泊するんや?」
「私たちは長期休みで、一ヶ月滞在予定です」
「へぇ、そんな長いことおる人もおるんか。私はたった二泊三日や」
相槌もちょうどよく、嫌な顔ひとつしない瑞葉ちゃん相手に私の口は軽くなってしまう。一緒に来る相手がドタキャンしたことをやんわり伝えると、彼女の眉が綺麗な八の字になった。
「それは寂しいですね。短い滞在ですけど、佳代さんだけでもしっかり楽しんでもらいたいです……」
深く共感を示してくれただけで私は満足していたが、彼女がぱっと顔を輝かせた。
「あ、じゃあアクアマリンのとっておきを、教えちゃいます。こっち来てください」
にんまり楽しそうに笑う瑞葉ちゃんに誘われて席を立った私は、心くんが受付をしてくれたテーブル前へと足を進める。
「ほら、これです」
瑞葉ちゃんが示したのは、受付の端にちょこんと置かれた透明なフォトフレームだ。写真の代わりに字を書いた紙が入っている。
『謎解き、ご用意します』
「謎解き?」
楽しいおもちゃを紹介するように、彼女が滑らかに説明する。
「心くんに謎解きしたいって伝えると、夜に一緒にティータイムしてくれるんです」
「へぇ、心くんとお茶できるんやったら、それだけで価値あるな」
「心くん、本当に感じ良い人ですよね」
二人でわかる、と頷き合ってから、彼女は言う。
「でもそれだけじゃなくて、翌朝には、お話しした貴方にぴったりの謎を彼が用意してくれるんです。これがとっても素敵なんですよ」
「謎解きなんてやったことないけど、私でもできるんかな」
「心くんは難しい問題を絶対に出さないので大丈夫です」
瑞葉ちゃんはどんと胸を張った。
「私はまだ注文してないですけど、他のお客さんが謎解きをしているのをいくつも見ました。みなさんすごく喜んでいて楽しそうでしたよ」
フォトフレームの中に並ぶ、丁寧な手書きの文字を見つめる。
はーちゃんのドタキャンで、彼女を喜ばせようと思って考えていた岡山観光ルートも全部ご破算だ。
謎解きが好きなわけでもないが、やることもないので心くんの謎解きとやらをやってみるか。
「これはどうやって注文したらええんや?」
背中側からすぐに、男性の声で返事があった。
「僕に謎解きくださいと言ってもらえれば、それだけでいいですよ」
ふり返ると、微笑む瑞葉ちゃんの隣に買い物袋を持った心くんが立っている。いつの間にか、戻ってきていたようだ。
彼に向き直って、私は改めて注文する。
「ほな心くん、謎解きもらえるか?」
「はい、では……ココロの謎解き、ご用意します」
丁寧に礼をしてからキッチンへ向かう心くんの背中は、どこかうきうきしているように見えた。私はこそっと瑞葉ちゃんに尋ねる。
「なあ、瑞葉ちゃん、心くんなんか浮かれてないか?」
瑞葉ちゃんは私に体を傾けてふふっと笑う。
「心くん、ゲストから謎解きをお願いされるのを、いつも心待ちにしてるんですよ」
「なんやそれ……可愛い奴やな」
「ですよね、私もそう思ってました」
二人で同じタイミングで吹き出して笑うと、胃に溜まっていた重さが少し和らいだ。心くんが慌てたようにキッチンから戻ってきた。
「佐山さん」
「佳代でええよ」
「あ、では佳代さん。今日の夜、お時間を頂いていいですかと聞くのを忘れていました」
「浮かれすぎましたね、心くん」
「瑞葉さんの言う通りです、恥ずかしい」
今度は三人で声をそろえて笑ってしまった。




