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ココロの謎解き、ご用意します。  作者: ミラ
第二章 想いが重い宝石謎解き

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8

 

 夕暮れのアクアマリンの自室へ飛び込み、持ち帰ったお土産の大福をやけ食いし、衝動的にノートを文字で埋める。

 そうしているうちに食べ過ぎで胸が悪くなって、丸まって眠った。

 201号室のほうを向いて眠るのは、どうしてもやめられなかった。

 朝が訪れ、開いた窓から入る海風が、白いレースのカーテンをなびかせる。風に頬を撫でられた私は、むくりと起き上がる。

 手元で、ここ一週間書き殴ったノートが朝陽で照らされている。ぱらぱらとめくって読み返す。

「私の頭の中……そうとう湿度が高いですね」

 頭の中をトレースしたようなノートの文字を読んで客観視すると、ちょっと可笑しかった。しかも、こんなこと書いただろうかと思うような、独特の表現も散見する。

 立ち上がり、窓の外を眺めた。

 今日も変わらず穏やかな瀬戸内海が広がっていて、少し息ができる。

 イギリスではなかなか見られないこの光景は気に入っていた。だが、陰鬱な天気が多いイギリスが、私には似合うのだろう。

「……フライトを取りましょうか」

 昨夜は大福の重さで寝込んでしまってタイミングを逃したが、イギリス行きの飛行機を調べようとスマホを手に取る。

 すると、コンコンとドアがノックされた。

「七瀬さん、おはようございます。リビングまで来ていただけますか」

 心くんの声だ。私を気遣うような気配がある。

「用事はなんでしょう」

 昨日誘ってもらったお礼も、置き去りにした謝罪もしていない。顔が合わせづらい。よほどの用事でもない限り、このドアは開けられない。

 心くんはくっきり聞こえる声で言った。

「ココロの謎解き、ご用意しました」

 私は起き抜けのまま、思わずドアを開けた。心くんはいつものオーナーの顔だ。にこりと丁寧に微笑む。私はぴりっとした声で断る。

「頼んでいません」

「七瀬さんからは承っていません。ですが、瑞葉さんからご注文いただきました」

「瑞葉さんから……」

「瑞葉さんのココロの謎解きに、七瀬さんが不要なわけありませんよね」

 彼は不動産屋前での私の発言を反転する。

「それに、昨日の話を覚えていますか」

「昨日の話……?」

「都合が良ければ、開示するという話です。では、支度ができたら下りて来てください。お待ちしています」

 心くんはきちんと礼をしてから、ゆっくりと螺旋階段を下りていく。パタンと閉まったドアの前で、彼がわざわざ前置きした理由を考え込む。

 このまま逃げ帰ろうかと思っていた。

 瑞葉さんから直接引導を渡されるのは苦しい。逃げてしまいたい。

 けれど、心くんの謎解きに、ココロを解かれてみたい気もする。

 彼は一緒にチェスをして、カフェで話をして謎を見せ合った仲だから。


 最低限の身支度を整えてドアを出て、息を整えてから、螺旋階段を下り始めた。

 リビングは大窓からの明るい朝陽で満ちている。緊張した面持ちで瑞葉さんがリビングのテーブルについていた。

 彼女の日本人らしい黒髪は肩までのセミロングで、触れるとやわらかい。艶のある黒髪が朝陽で光っていた。私は癖で一瞬リビングをぐるりと見回す。

 瑞葉さんのそばに立つ心くん。

 誰もいないソファ。

 なぜだろうか、少し違和感のある受付。

 私は階段を下り、彼らの前に立った。

「お待たせしました」

 瑞葉さんがほっとしたように顔を上げる。

 彼女の目元に塗られたコンシーラーが濃い。まぶたが腫れぼったい。私が泣かせたのだろうか。私たちが言葉を失って見合っていると、心くんが沈黙を割る。

「では、謎解きを始めさせていただきます」

 椅子に座る瑞葉さんの前、テーブルの上に心くんが赤いビロードの布を広げる。そして白い手袋をしたまま、箱から一カラット以上ありそうな宝石を取り出して、五つ並べた。

 楕円形の爽やかな青緑色の宝石。

「アクアマリンですね」

「そうです」

 私の断定に心くんがやわらかく答える。横並びのアクアマリンが朝陽を反射して輝く。私はテーブルの横に立ったまま、五つのアクアマリンを見つめる。瑞葉さんは座ったままだ。「瑞葉さんから依頼されたココロの謎解きをするために。まずは、七瀬さんに出題します」

 私の隣に立った心くんが、瑞葉さんの前に並んだ宝石を手で示す。

「ここにアクアマリンがありますが、この中で瑞葉さんが触ったものはどれでしょうか。指紋を調べるという方法はなしにします」

 どうぞと、心くんが謎を手放した。

 五つのアクアマリンを、一つずつ見比べる。すると、違和感のあった受付の意味がすぐにわかった。

 ショーケースの中のアクセサリーが一つ、昨晩より減っているのだ。

 瑞葉さんを見る。

 彼女がごくりと息をのむと、細い首筋が緊張したように動いた。

 私は瑞葉さんを常に見ている。

 本当に、ずっと。

 だから、こんな謎解き、簡単すぎる。

 なんの意味があるのだろうかと、思ってしまう。

 けれど私の手が、彼女に触れたがる。

 手を伸ばして、彼女の綺麗な黒髪を指先で持ち上げ、小さな耳にかける。座ったまま顔を上げる瑞葉さんは私の指先を拒まず、私を泣きそうな目で見返す。

 黒髪の向こうから、愛らしい耳についたアクアマリンのイヤリングが現れた。

 これが、彼女の触れたアクアマリンだ。

「私が気づかないとでも?」

 瑞葉さんの丸い目から、大きな雫がぼろっと零れる。

「わ、わたし、七瀬さんのこと傷つけたから……も、もう私に興味なくなっちゃったかと思って」

 泣き崩れる彼女の耳に指先を触れたまま、私は顔をしかめる。私が瑞葉さんに興味を失うなど、ありえないことを言われるのは心外だ。

「私がどれくらい瑞葉さんを見ていると思っているんですか。なめないでください」

 重いことを言ってしまってから後悔したが、もう後には戻れない。

「私だって……!」

 瑞葉さんはますます涙の速度を上げながら私をしっかりと見つめる。

「七瀬さんのことを不要だなんて、思うわけがないじゃないですか。なめないでくださいよ」

 私は目を見開いた。

 ぐずぐず泣きながら必死で紡がれた声が真に迫る。ひっくひっくと泣く彼女の前にしゃがみ込み、彼女の手を取った。彼女の手に縋るように額をつける。

 これを聞くのだけが本当に怖かった。

 けれど、心くんに謎解きを注文して、泣きながら私に訴えてくれる彼女になら、重い口を開ける。

「ではどうして……妊娠していると教えてくれないのですか? 私が何をやっても父親として不適格だから、私はもういらないと考えたのでは?」

 顔を上げると、瑞葉さんの涙がぴたりと止んで、またぐしゃりと顔が歪む。

「やっぱりわかっていたんですね! なんで聞いてくれないんですか!」

「瑞葉さんこそ、どうして言ってくれないんですか」

「私の変化に気づかないのかとか、もし見て見ぬふりしてるなら聞きたくないのかもとか、私ってそんなものかとか」

 彼女の本音が次々に明かされる。

「もう全部不安だったんです。だって妊娠したって言ったら……七瀬さん子ども苦手って言うだろうなってわかってたし」

 彼女が私の手を離さないと言わんばかりに、懸命に握る。

「妊娠がわかったとき、日本で産みたいって思っちゃったんです。でもそんなこと言ったら七瀬さん……責任はとります、結婚はします、でも私はイギリスに帰りますので別居ですね! って絶対言うと思って!」

 私は真顔で彼女の主張を受け取る。

「全部、私の言いそうな返答で驚きました」

 彼女は私をよく知っていた。鼻をすする彼女は続ける。

「七瀬さんとイギリス映画を見た時に、七瀬さんがあの風土でこそ私はミステリーが書けるって言っていたの、覚えてますか」

 瑞葉さんがティータイムを避けるようになった前の晩の出来事だ。何か失敗したはずだと百回は思い返した。

 だが、その言葉のどこが彼女の琴線に触れたというのだろうか。ただの事実だ。

「日本で産みたいから、日本で一緒に暮らそうなんて言ったら、七瀬さんの仕事ができなくなっちゃう……七瀬さんが仕事好きなの知ってるから。仕事を奪っちゃうのも嫌で……私もう、なんにも言えなくなっちゃって」

 八方ふさがりになった彼女がパニックに陥る仕組みは、容易に想像できた。彼女はあまり頭の容量が多くないので、たくさん詰め込むとショートするのだ。

 だが今、それが起こっていたとは想像が及ばなかった。

「昨日の不動産屋だって、七瀬さんと赤ちゃんと住むならどんな家があるかなって、ただちょっと見てみただけで……でも一人で勝手なことしたのは、ごめんなさい」

 彼女は私が思うよりずっと、私のことばかり、考えてくれていたようだ。

 私は意図せず、ふふっと声を出して笑ってしまった。

「な、なんで笑うんですかぁ……」

 彼女が情けない声を出す。膝を床についたままの私は、彼女の手を握り直す。昨日ここで話した海斗くんのことがよぎり、彼の軽やかな表現を借りたくなった。

「瑞葉さんが可愛いなと思ったので」

 以前と全く同じように、彼女が目を丸くする。けれど、今回の彼女は跪いている私の首元に、がばっと抱きついた。

「そういうの、聞きたかったんです」

 私も彼女の背に腕を回して、彼女の耳にきらめくアクアマリンに囁く。

「気が利かなくてすみません。ずっと、可愛いと思っています」

「……ありがとうございます、知りませんでした」

「こういうこと言うと、重いかと思って」

「私は聞きたい方です」

 海斗くんの「大好きと言いましょう理論」は、瑞葉さんにとっては正しかったようだ。

「そうですか、知りませんでした。善処します」

 瑞葉さんが腕の力を弱め、私を解放する。私は彼女のぐちゃぐちゃの顔を見て微笑む。

「一緒に日本で暮らしましょう、瑞葉さん」

「え?」

 懐かしい「本気でそれ言いましたか?」の顔だ。

「陽菜さんがいる岡山がいいですよね」

 私の本気を受け取ったのか、瑞葉さんが目を輝かせて頷く。

 私がするりとこう言えたのは、瑞葉さんが沈黙して私の考える時間を稼ぎ、その間にこの宿で経験したことのおかげだ。

「子どもを可愛いと思う気持ちが意外にも、私にもあると知りました」

 海斗くんのぽってりしたほっぺたが思い浮かぶ。

「それに日本の和紅茶も気に入りました。和紅茶を飲んで、瀬戸内の海を見ながら、私にどんな物語が書けるのか試してみたい気持ちもあります。仕事は手放しません」

 私の気持ちを書き殴った、あの真っ黒のノート。

 あれには、この瀬戸内で生まれた言葉が詰まっている。

 この場所だからこそ生まれるものも、必ずあるだろう。瑞葉さんの不安に、一つずつ返答する。

「ついでに、岡山には新しく友だちもできましたので」

 リビングを見回したが、心くんはいない。気を利かせたのだろう。

「七瀬さんにお友だちが……! それは素敵ですね」

 すっかり涙が乾いた瑞葉さんは、わくわくしたように笑った。

「瑞葉さんの不安は取り除きます。なので……私と結婚してもらえますか」

 やわらかく微笑んで嬉しそうにお腹に手を当てた彼女の幸せを、ひとつひとつ積み上げていきたいと、強く思った。


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