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移動は基本的にタクシーだ。
公共機関の雑多で情報が多過ぎる感じが苦手だからだ。アクアマリンからタクシーに乗り、岡山市内にある大福カフェに到着した。
日本三大名園の一つ、岡山後楽園のほど近くにその店はあった。二階建ての和風モダンな建物は黒壁が美しく、店内は落ち着いた雰囲気だ。
一階では大福以外にも団子やおはぎなどの和菓子を販売していて、二階がカフェだという。二階は黒塗りの壁を基調とした和モダンの空間で、茶の香りが満ちている。
日本茶の香りは慣れないが、嫌いではない。
見回せばすぐ客の入りがわかるほどの小さな店内で、テーブル席に心くんが座っているのを見つけた。彼はすでに独特な形をした急須から茶を注ぎ、味わっている。
「誘っておいて、待たないのですか」
「あ、七瀬さん、ここどうぞ」
私のひんやりとした挨拶に、心くんが朗らかに返答しながら向かいの席を勧める。暖簾に腕押しだ。
「七瀬さんがいつ来るかわからなかったので、先に頂いていました。注文、何にします?」
「ここは大福カフェではなく、大福がある日本茶のカフェですね。騙されました」
一階の和菓子ショーケースを見てきたが、ここは大福専門店というわけではない。和のお菓子の店だ。大福に期待させて誘い出しておいて、これは酷い。
「それに日本茶はあまり飲みません」
アクアマリンにいるときと違い、ラフな格好の心くんが繕わずににやりと笑う。その笑みの質も宿にいるときのものとは一風変わって見えた。
「僕はおはぎと日本茶が好きなので、前からこの店に来てみたかったんですよ。ここは大福もあると聞いていたので、僕の趣味と、七瀬さんの好きなものの間を取ったんです」
「大福で釣っておいて」
「嘘は言っていませんよ。大福『がある』カフェと書き忘れただけで」
彼はなかなか企みのある人物だ。
謎解きを用意すると豪語するオーナーだ。それはそうかと納得する。
店員にこの店にある全種類、といっても三種類、の大福を二つずつ。
心くんの勧めで和紅茶というものも注文した。
和紅茶は初めてだが、紅茶がないならせめて和紅茶が妥当だろう。
注文を終えて息をつく。
「大福カフェというのでどれほど種類があるのかと思えば、たった三種類……」
がっかりである。しかし、心くんは悪びれない。
「ここの大福、美味しいって評判ですよ。それに七瀬さんはどんなに美味しい大福が出てきたって『瑞葉さんが作ったものではない』の一点で、全て次点でしょう? たくさん種類があっても満足できないと思いますよ?」
「あまりの正論に驚きました。今日は遠慮がありませんね」
肩の力が抜けた彼の容赦ない発言に、眉をひそめてしまう。
「七瀬さん、僕は今日、プライベートです。なぜ七瀬さんを誘ったのか、わかりますか?」
心くんが微笑むと、注文品が運ばれてきた。
「あ、七瀬さんの大福の写真を撮らせてください。僕、甘いものをたくさん食べられないので、いっぱい並んでいるのが珍しいんですよね」
彼はいろんな角度から楽しそうにスマホで写真を撮り始める。私の前に置かれた六角おひつの中に並んだ丸い大福たちを、彼は心ゆくまで撮影した。
席に戻った彼は、満足そうに撮った写真を眺めている。はっと顔を上げた彼は言った。
「あ、もういいですよ。食べてもらって」
「あなた割とマイペースですね。仕事中は猫を被っているのですか?」
心くんが怪訝そうに言う。
「僕は仕事がとても好きですよ。けれど、プロなので、切り替えはあります。仕事中に猫を被ってない人とかいるのでしょうか?」
「それはそうですね。私も打ち合わせ中は、極力黙るように気をつけています」
「話し出したら理屈が止まらなそうですもんね、七瀬さん」
瑞葉さんに教えられた、手を合わせて「いただきます」をしてから、私はおひつの中に並んだ大福を眺める。
和栗が入った大福には抹茶が振りかけられて鮮やかだ。シンプルな黒豆大福に、さつまいも大福。三種類を二つずつ。瑞葉さんの想いが乗っていない、ただ軽く甘い大福を口に運ぶ。久しぶりに食べた、純粋な甘いものは喉を通りやすかった。
和紅茶は渋みが少なく、ほのかに甘いはちみつのような香りがして、思ったよりも口に合う。向かいで煎茶を飲む心くんが微笑む。
「大福、おいしかったですか?」
「はい、瑞葉さんが作ったものには及びませんが」
「ははっ、そうだろうと思っていました」
楽しそうにおはぎを食べる心くんが先ほど出した謎に、回答する。
「なぜプライベートに私を誘ったのか、当てていいですか」
「はい、ぜひ」
彼は謎を解かれるのが好きなのだろう。嬉しそうにどうぞと言う。私は思考を整理する。
「アクアマリンはまだ始まって半年の若い宿です。そこで一ヶ月の長期滞在をする客は、私たちが初めてなのではないでしょうか。オーナーの心くんにとって、私たちは特別な位置にいる」
心くんの黒目が好奇に満ちている。
「あなたは情のある人なので、そんな私の話を聞き、放っておけない気持ちがあった。けれど、それだけではなく」
「ではなく?」
「私にチェスで負けたのが思ったより悔しかった。だからちょっと大福で釣って、からかってやろうと思った。といったところでしょうか」
心くんがふふっと頬を緩ませる。
「九割正解です」
「九割ですか」
彼は湯呑みから茶を飲み、もったいぶってから、残りの解答をする。
「チェスで負けたのが悔しかったので、七瀬さんともっと親しくなりたいと思ったんですよ」
「……負けたからこそ、ですか?」
「そうです。すごい人だって思ったら、仲良くなりたくなりません?」
「身に覚えがありすぎますね」
ほんのり甘くて品の良い和紅茶を飲みながら、かつて私とテトがそうやって仲良くなったことを思い出す。あの時、負けた側の私は、テトに誘われるままだったが。
「心くんは行動派です」
「まあ、男性になら、フラれても別に痛くないので。岡山のローカルスポット巡りとか、カフェ巡りが好きなんで、わりと人を誘うほうです」
心くんでも女性に袖にされるのは怖いのかと思うと、親近感が湧く。
彼はスマホで、近頃行ったカフェの写真を次々と見せてくれる。
瀬戸内の海が見える、青いカフェが多かった。
その中の一つ、猫の形のクッキーが乗った向日葵色のクリームソーダの写真で、心くんが止まる。
「このカフェ、行ったはずなのに、覚えてないんです」
「覚えていない、とは?」
心くんはスマホをしまって、残りのおはぎを一口でぱくりと飲み込むように食べた。彼はおはぎを飲み込んでから首を捻る。
「アクアマリンを開業する一ヶ月前のことなのですが、事故に遭いました。自転車事故です。そのときに少し頭を打ったみたいで、一日分くらいぽかんと記憶がなくて」
「それはお気の毒です」
「ありがとうございます。それでその日、何があったか……ずっと、謎なんですよね」
彼は向日葵色のクリームソーダを眺め、切なそうに目を細める。宿では見たことがない憂いた表情に、彼が抱える謎の重さを見た。
もしかしたら彼は、私のココロの謎を聞いた代わりに、自分の謎も開示してくれたのだろうか。それが、彼にとっての親しくなる、の距離か。
「その謎を、解いてみてもいいですか?」
煎茶を飲んで、間をたっぷりとった心くんはきっぱりと答える。
「記憶がない間に、自分がどんなにとんでもないことをしたかと考えると、怖いのでやめておきます」
「……潔いですね」
謎を謎のまま置いておけるなんて正気かと思った。
だが、よく考えてみれば謎を放置しているのは私も同じだ。
謎を解いて、その先にあるものを思うと、二の足を踏む気持ちはわかる。
「謎解きではなく、ココロの安寧が訪れるように、ローカルな神社で神頼みでもします」
「神頼みをする方なのですか?」
「母が神社好きで幼い頃からよく行っています。なので、商売繁盛はもちろん、機会があれば、縁結び祈願もしたいと思いますよ?」
神頼みなどしたことがないが、今なら神頼みも手かと思ってしまう。私が和紅茶を飲み切ったのを見計らって、心くんが立ち上がった。
「そろそろ行きましょうか」
彼が一階へと階段を下りていく後ろをついて行きながら、私はまた思考を整理する。先ほどの彼の回答で、わかったことがある。
「先ほどの心くんの謎のことですが。特に日々に支障がなければ、一日分の記憶をなくしたところで問題はありません。しかし、心くんはその日の記憶を『謎』と言い、欠落したことに執着している。ということは、その事故があった日を境に、『なぜか変わってしまった』ものがあるのではないですか? 予想するに、あなたにとって嫌な方向へと、それは変わってしまったのでは?」
私が長々と話すのをきちんと聞いていた彼が、階段の途中で立ち止まる。彼はぐるりと首だけ私に向ける。
見たことのない、しかめっ面だった。
そんな顔ができるのか。
「七瀬さんの頭が良すぎて、引いています」
喋りすぎて引かれるのは、人が私から離れる合図だ。
口を手で塞いでみようかと思うが、もう遅い。だが、心くんは次の瞬間、ふっと笑った。
「いや本当に、すごい人ですね。感心しました。その通りです。どうやったらそういう思考になるのか。ミステリー作家って、みんなそうなんですか?」
心くんは会話をやめるどころか、興味深そうにまた問いを投げてくれる。やりすぎたかと思ったが、彼は意外と図太いようだ。




