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翌日の朝十時ごろ。昨夜は結局会えなかった瑞葉さんが部屋に帰っていると、晴真くんが自分から教えてくれた。
私がリビングとキッチンをうろうろしていたから、見かねたのだろう。
「教えてもらってありがとうございます」
「いえいえ! ところで七瀬さん、モップがどこにあるか知りません? 見当たらなくて」
あははと明るく笑って悪びれない晴真くんに息をつく。
掃除道具を放置して、海斗くんが触ったらどうするつもりなのだろうか。瑞葉さんのことを教えてもらったので、お礼に情報を返す。
「昨日、晴真くんが掃除していました。心くんは放置しないので、あなたがどこかへ置いたものと思います」
「心さんは俺みたいなうっかりはしないですね!」
彼は笑い飛ばす。
「海斗くんたちがチェックインしたとき、あなたが慌ててキッチンの奥から出てきたのを私は見ました。掃除のあと、裏口でゴミをまとめようとしていた可能性があります。そこにモップを置き去りにしたのでは?」
「あ、ゴミをまとめてました。裏か! てか、七瀬さんって賢過ぎません?! どんだけ見てるんですか」
おお、と感心したように彼は目を見開いた。
「七瀬さんは一聞いたら、百考えてくれそうですね! 助かる~!」
彼はにへへと笑い、礼を言って裏へ足早に去っていった。少しくらいの不備は、あの明るさで跳ね返される。あんなに能天気にはなりたいとは思わないが、あれもある種の才能だろう。
彼の言う通り、私は一を聞かれて、百を答えてしまう。
学生のころに意見を求められ、学術論文まで引用して答えたら、相手は引いていて二度と話しかけられなかった。テトに、そういう過剰なことはやめろと言われてからは、配慮しているつもりだ。
それでもつい、話しすぎて人が遠ざかることは多い。
私が言うことは、相手にとって量も質も重いのだ。
それを、瑞葉さんにだけはしてしまわないよう、特に気をつけている。
リビングで一人になり、ソファに座って快晴の瀬戸内海を見つめる。
私は、瑞葉さんの一を見て、百を考えているのだろう。けれど、性分だ。やめられない。本ではもう気がまぎれない。私は海を見ながら瑞葉さんが部屋から下りてくるのを待った。
だが、昼になっても瑞葉さんが部屋から出てこないため、私はたまりかねて衝動的に彼女の部屋をノックした。
「瑞葉さん……」
呼びかけてみたが、次の言葉が出てこない。特に用事はない。真を言えば顔が見たい、声が聞きたいだ。だが、そんな重い言葉は出せない。喉で声を引き止めていると、やっとドアが開いた。彼女はまだパジャマ姿だ。顔色も悪い。
「七瀬さん……連絡が遅くなってすみません。今日ちょっと大福を作れそうになくて」
しゅんと眉を下げる彼女にため息が出る。
大福は必要不可欠だが、彼女の体調ほどではない。
「気にしないでください。風邪なら病院に」
「いえ、その……大丈夫ですから。熱もないですし、ちょっとだるいというか寝ていれば治ります」
彼女がドアを閉めようとするのを、引き止めていいか迷う。けれど、手だけは素早く正直で、ドアを掴んで閉めさせなかった。彼女がきょとんと私を見上げる。久しぶりに彼女ときちんと視線が合った。
「部屋に入っても、いいですか」
「いいですけど、私は寝るだけですから、大福は出ませんよ?」
「わかっています」
彼女のとぼけた返答に少し笑いそうになりながら、ドアを大きく開けて部屋に入る。
大福職人である彼女は、普段ならキッチンを整理しながら使うように、部屋も整えている。しかし今の彼女の部屋には、脱ぎ捨てたような服が散らかっている。片づける余裕もないくらい心身が乱れているのが伝わった。
ベッド脇の床にあぐらをかいて座った私は、ベッドにもぐりこんだ彼女を見つめた。
「あの、七瀬さんは何を」
「何も……ただその」
近くにいたいだけ、を喉に押し込める。きっとテトなら明るく重くならずに言うだろうと僻みが顔を出す。
しかし、口元まで布団を引き上げた瑞葉さんは、表情を緩ませた。
「ふふっ、おやすみなさい。七瀬さん」
「はい、早く体調が良くなるといいですね」
彼女は頷き、目を閉じた。私は本当にここにいるだけで、彼女が眠りに吸い込まれていくまでただ彼女を見つめる。彼女がそっとまぶたを上げる。
「ちょっと、見すぎですね……口が開いたり、いびきをかいたりしたら恥ずかしいので、向こうむいてください」
「口を開けて寝ているところなんて、何度も見ていますが」
「そういうこと言わないでくださいよ……!」
瑞葉さんの少し元気な声が聞けて、口元が緩む。彼女のベッドに背を預け、私は床に座り込んだまま彼女の眠りを待った。
アクアマリンの小さな部屋に規則正しい寝息が満ちたころ、私はようやく振り向く。すっかり眠りに落ちた彼女は、口を半開きにしている。
彼女の手のひらに、手をそっと重ねた。
優しく握ると、眠ったままの彼女に握り返してもらえた。私は床に両膝をついたまま、その手に縋るように額をつける。
開いた窓から海風が舞いこみ、白いレースのカーテンがなびく。私の情けない声がさざ波と混じる。
「瑞葉さん……どうして、話してもらえないのですか」
ひんやりした私の手に、彼女のあたたかさが伝わってくる。
昨夜、心くんが言ったように、私はわからないフリをしている。
本当はもう、彼女の秘密を知っているのだ。
私は過剰なほど彼女を見ている。
通常なら早寝の彼女が、目の下の隈を隠すコンシーラーの濃さで、昨日どのくらい夜更かししたかわかる。
私の名を呼ぶ声の高さで、今日の大福の出来に対する自信のほどがわかる。
彼女の手のひらが無意識にお腹を触る回数が増えたことにだって、私はすぐに気づく。
だから、察している。
けれど、「それ」を私に明かしてくれない理由だけはまだ、解けていない。
「私が父親として不適格であることを……優しいあなたは言い出せないのかもしれませんね」
最悪の想定を、採用する。
私の部屋から持ってきたノートに、我慢しきれないものを書きつける。ベッドを背に座り込み、眠る彼女の吐息を数えながら、紙に文字を投げつける。
ふと顔を上げると、窓の外に広がる澄み渡りすぎた空の色が目に入った。
その空色が、私の澱む心をなんとか慰めてくれた。




