鼻水は花粉に勝る
僕はけたたましく鳴り響くアラームの音で目を覚ま した。
寝惚け眼を擦りながら辺りを見回すと簡素な部屋が目に入って来る。
一瞬、丸太組の内装でない事に違和感 を感じたが、まぁそれも仕方ない事なのだろう。ここは【AMT】本部にある個人部屋の一つ。丸太至上主義の蔓延る地上とは隔絶された地下の空間なのだか ら。
「……アラームで起きるのが随分と久しぶりな気がする」
丸太至上主義に毒されていないこの場所には当然のようにプラスチック製品があり、金属製品もある。極々、一般的な光景。 けれど、僕も丸太まみれの生活に若干慣れてしまったらしく久々のプラスチックの感触が何処か遠く感じられた。
「さてと、今日は偵察作戦の日だったっけ。気合いを入れないとね」
そう、本日は僕、枯葉、讃岐さんを加えた新体制では初となる作戦行動の日となっている。
丸太を打ち倒す一歩を本格的に踏み出すのかと思うと武者震いがする。
僕は制服に袖を通しながら【アスガルド】謹製のエネルギーバーを咥えると直ぐさまミーティングルームへと向かった。
……のだけれども。ミーティングルームからは言い争う声が漏れており緊迫した空気がここまで漂って来ている。
外からこっそりと中を覗き見るとそこでは意外な人が言い争っている事が分かった。
いや、正確に言うならば片方が一方的に突っかかっている、と言うのが正しいだろうか。
「何でこの二人が……?」
言い争っていたのは――讃岐さんと朽木だった。
「おい、眼鏡。さっきの言葉、本気で言ってんのか」
「勿論、僕は本気だよ。…… 君はこれ以上前に出るべきじゃ無い。前は兎も角、実力はわからないけど今は木本クンも枯葉クンもいる。君は休むべきだ。いや、可能なら君一人丸木村から脱出して今直ぐにでも大きな病院に行った方が良い」
大きな病院、と言う言葉が出た瞬間心臓が跳ねたような気がした。
僕は今、何かとんでもない事を盗み聞きしているので はないかと思うと自然と汗が吹き出て来る。一体、何が 起こったって言うんだ――!!
「君には……無いんだろう【丸木症候群】に対する耐性が」
朽木には【丸木症候群】に対する耐性が……無い?
いや、でもそれはおかしい。耐性が無いならとっくに朽木は丸木人になっているはずだ。
「だったら、何だ」
しかし、朽木は反論する事なく舌打ちをしながらそう言った。
どうやら本当に、【丸木症候群】に対する耐性が無いようだ。
「君は本当に分かっているのかい? これ以上【C501】を服用すれば君の脳はどうなるか分からないんだ。最悪の場合死ぬかもしれない。いや、場所が場所だから、丸木人にはならなくても――植物人間になってしまうかもしれない」
そこでハッとした。
そうだ、【C501】は【丸木症候群】によって起こる脳の変異を同程度の変異でもって相殺する薬。
【丸木症候群】に耐性の無い人がこの薬を飲み続ければ、それこそ……『脳がどうなるか分からない』。
「……余計なお世話だ」
そう言うと朽木は不機嫌そうにソファーから立ち上がった。
「あれ、この流れ凄く嫌な予感がする」
そして朽木はどんどんとこちらに近づいて来た。
これは不味い。故意にやった訳ではないけれど僕が立ち聞きしていた事が知られたらそれこそフォリウムさ れかねない。ここは立ち去った方が良さそうだ。
回れ右をしてもと来た道に戻ろうとするも、その先 には―― 寝ぼけているのか目を糸のように細めた枯葉が立っていた。
「樹さぁんそこで何をやってるんですかぁ」
いまだに眠いのか間延びした声が廊下に響き渡る。
愕然とする僕、猫撫で声の枯葉、思いのほか響く廊下。 朽木が気付かない筈もなく――
「お前ら、何やってんだ」
「あ、おはよう……朽木。今日は良い天気だね」
「一応言っとくけど、ここ地下だからな」
ああそうだ、ここは地下にあるのだった。
外の天気 なんて知りようが無い。実に初歩的なミスだった。
「朽木さぁんおはようございますぅ」
「お前は……本当に寝起きっぽいな。今日は偵察作戦の日だ。さっさと顔洗ってシャッキリして来い」
枯葉は「あい〜」と、これまた間延びした声で応えるとゾンビのような挙動でのそのそとどこかへと歩いて行った。そうなると、当然僕が残される訳で、非常に気まずい空気が辺りに立ち込めた。
「単刀直入に聞く。……何処から聞いてた」
「ゴメン、多分重要な部分は全部聞いたと思う。……朽木が【丸木症候群】に対する耐性が無くて、これ以上【C501】を飲めば死ぬ可能性があるって事とか」
「それ、殆ど全部じゃねぇか」
「……ゴメン」
僕は叱られる直前の様に肩を縮こませながらギュッと目を瞑った。
顔に拳の一発でも飛んで来るかと身構えていたのだけれどいつまで経っても衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開けるとそこにはいつもと何ら変わらない朽木がいた。
「怒らないの?」
怒らないのが不思議でそう尋ねると意外過ぎる返答が返って来た。
「俺がお前を怒れる訳ねぇだろ」
「それは、何で」
「確かに立ち聞きは気分悪いけどよ。でも、結局は俺に耐性が無いのが悪い。心配されるような有様を作っちまったこの俺がな。それに、お前は同じ【AMT】の仲間だ。 同じ戦場で戦う仲間に最後まで隠し通せるものとはハナから考えちゃいねぇし、遅かれ早かれどっかのタイミングでゲロっただろうからな。だから、俺は怒らねぇし、怒れねぇ」
「でも、さっき讃岐さんと喧嘩を……」
「そいつは別の話だ。あいつは俺を戦線から退かせようとした。それが許せなかったんだよ、俺は。……眼鏡の心配はごもっともなんだろうけどよ」
そう言うと朽木は力の無い笑みを浮かべた。
「それでも、朽木は戦うんだね?」
「ああ。俺はあくまでも【AMT】の戦士で、病人でもなければ臆病者でもねぇ。それにこれは俺が望んだ戦いだ。言い出しっぺの俺が退ける訳がねぇだろうがよ」
その言葉には決意とか、誇りとか、男の意地とか。そんなものがたくさん込められているような気がした。
「朽木って凄いね。僕もその位カッコ良くなりたいよ」
「いや、実際は全然カッコ良くは無いぞ。何せ俺が今まで【丸木症候群】に罹らなかったのは酷い花粉症のせいだしな」
「……うん?」
酷い……花粉症?
「いや、だから俺がここに転校して来た時期がたまたまブタクサの最盛期でな。お陰で毎日鼻水がズビズビで、涙なんかも出っぱなしだったもんだから丸木杉の花粉も鼻水とか涙と一緒に流れたっぽいんだよな。だから、俺は耐性無しでも【丸木症候群】に罹からなかった。んで、俺が【丸太至上主義】に反抗すんのは単純に気に食わなかったからだ。マイノリティーがどうとか、そんな大層な事なんて考えちゃいねぇ。手前勝手な理由で動いてんだ、俺に何一つカッコ良いところなんてねぇよ」
……思いの外アレなスタートだった。
でも、それでも――
「それでも、結果的に命懸けで世界を救ってるんだから。そこはきちんと評価するべきだと僕は思う。朽木はカッコ良いよ」
そう言うと朽木は無言でフッと微笑を浮かべた。
「さて、枯葉が戻り次第作戦のミーティングにするぞ」
「そうだね」
僕はそう答えると讃岐さんの待つミーティングルームで枯葉が戻って来るのを待った。
……けれど、幾ら待っても枯葉は戻って来なかった。




